甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

傘がない いつの間にやら 口ずさむ 大切なこと 思い巡らす

2021-02-26 22:22:36 | Weblog
傘がない
 
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります・・・ラグビー協会は今までの倍時間がかかる。女性が10人いるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起こる)5人います・・・」という失言から、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長をしていた森元総理が、マスコミから大きなバッシングを受け会長職を辞任する事態になった。

 森元総理の擁護をするわけではないが、今の時代、確かに不適切な発言ではあるのだが、マスコミからそこまでバッシングされなければならないような失言だったのかと事の成り行きに大きな違和感があった。

 当然のことながら不適切な発言だから、バッシングのコメントはスポンサー企業を始め、各界から取材すればいくらでも取れる。そのことを良いことにマスコミが煽って「森叩き」に火を付けていったようにも見えた。

 誰か、森擁護のコメントを出していたならと思うのだが、バッシングは擁護した人にも企業にも降りかかってくるから誰も出来ない。

 東京オリンピックのボランティア辞退、聖火ランナー辞退にも違和感があった。それとこれは別の問題でしょと言いたくなる。2014年から組織委員会の会長を務めてきた森元総理を、今回の失言でオリンピック開催半年前に会長から引きずり下ろした。7年もの間、会長職を務めてきた森元総理の功績も当然あったはずなのに。なんと寛容さのない世の中になったのだろうと思う。

 昨年のコロナ渦中から、世の中が変わっていった。「こんな時だから・・・」というフレーズの後、自粛するのが当然と言わんばかりの「同調圧力」は、罹患者への誹謗中傷、自粛警察へと昇華?そんな状況に違和感を憶えた。

 話は大きく飛ぶが、戦時中も戦意高揚に向けて同じようなことが起こっていたのではと、テレビドラマや、親父、お袋の話から窺い知ることが出来る。

 森バッシング、コロナ騒動、76年前に終わった戦争、全く関係のない出来事ではあるが、同質のものが関連しているように感じられる。

 今回の森元総理の失言によるバッシングから見えたものは、社会に蔓延する「いじめの構造」。正解か不正解か、間違っていたら容赦なく叩く。そこには全く寛容さというものが存在していない。そんな住みにくい社会になっているような・・・正解か不正解かの前にもっと大切なことがあるのではないか・・・子供たちに、「いじめを、無くそう。」と言っても無理な話だ。今の社会が「いじめの構造」の手本を見せている。  
                                   令和3年2月28日   笹原 真二

追伸  書いているうちに、50年近く前の井上陽水の「傘がない」という唄の歌詞が浮かんできた・・・「テレビでは、我が国の将来の問題を、誰かが深刻な顔をしてしゃべってる。だけども問題は今日の雨、傘がない・・・行かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ・・・」
コメント
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