甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

彼我共に 同じ夢見し 四昔の 思い巡らし 秩父路の旅 

2022-09-29 20:21:04 | Weblog
     おじさんたちの修学旅行
 5月中旬、大東文化大学の陸上部の2年先輩、北九州在住の森田さんから、「森下静夫さん(3年先輩、東京在住)から、コロナ自粛も飽きたから、そろそろおじさんたちの修学旅行をしてもいいんじゃないか、計画してくれ。」という電話が入った。「分かりました。石川さん(1年先輩、埼玉在住)に、段取りしてもらいます。前回は九州だったので、今回は関東ですね。」
 
 静夫さん、石川さんに直接言えばいいのにと思いながら、「行き先は、3年前に亡くなった青葉先生(当時の陸上部の監督)の奥さんの墓参り(秩父)。これは外せないですね。秩父泊。コースとしては群馬の水沢観音にお参りして、清水屋さんで水沢うどんをいただく。それから日光東照宮にお参りして、船村徹記念館へ行くのはいかがですか?江田(1年後輩、埼玉在住)にも伝えておきます。彼は旅行会社に務めているから相談してください。広報活動は僕がしますから。」

 程なく石川さんから、「9月17~19日で決めようと思うのだが。」「それで良いんじゃないですか。」日程が決まると、早速携帯電話のメールやラインで広報活動を開始した、

 前回、当初参加を渋っていた清水(同期、広島在住)は一番に「じいさんは、楽しみにしています。」長谷川(1年後輩、愛知在住)も前回同様「是非参加させてください。」と参加表明。(結果二人とも参加することが出来なかった。)

 前回は来ていなかった作山(3年後輩、福島在住)が立石(2年後輩、長崎在住)と山崎(3年後輩、佐賀在住)が連絡を取ってくれたお陰で参加することになった。コロナも減少傾向にあったから、少なくとも20名の参加はあるだろうと見込んでいた。
 
 しかし、7月に入り第7波。コロナ罹患者は、異常な数字で増え続ける。それとは反対に参加者は減少していった。稲刈り、イチジクの収穫と重なる、野菜の植え付けがある、会社の方針、奥さんが病院勤め、奥さんの体調が・・・母親の入院等々・・・やはりこの年齢になるといろいろある。あって当然。

 そんな中、熊本の佐藤さん(2年先輩)は、一泊二日で参加すると言ってきた。熊本から高い飛行機代使って一泊は無いでしょと言ったが、頑なに一泊だけ。

 最終的には岩元さん(鹿児島1年先輩)吉元(鹿児島同期)森田さん、平盛さん(1年先輩広島)長崎(1年後輩新潟)森下静夫さん、石川さん、望月(同期東京)江田、神山(1年後輩栃木)作山、青葉先生に私。13名が二泊三日。佐藤さん榎田(同期埼玉)が一泊参加となった。

 9月17日、子供の頃の修学旅行みたいに、予定より1時間前4時に目が覚めてしまった。5時半、事務所の玄関を開ける。胎蔵寺の本堂の大仕事の真っ最中、福岡から北原君に応援に来てもらっている。そんな中、一人遊びに行くことに少々気が引ける。

 井原発5時56分の電車に乗り福山へ。平盛さんと落ち合い、新幹線に乗る。集合場所、東武東上線の高坂駅には12時に着く。3年ぶりの顔、5年ぶりの顔、作山にいたっては42年ぶりの顔だった。バスの中には笑顔の青葉先生がいる。子供のようにはしゃぐ望月。みんな再会を喜んでいる。

 バスは、新しく出来た陸上部の合宿所の前を通り一路秩父へ。46年前の新入生歓迎会が、昨日の事のように思い出される。「チーズを食べておけば胃に幕が貼って酒が飲める。」岩元さんの言ったことは嘘だった。冷たいビールコップ二杯飲んで30秒後その冷たいビールは噴水のごとく飛び出してきて撃沈。そんな思い出の地、長瀞の河原はどの辺りだったかな?と思いを巡らしながらのバスは、いつの間にか青葉家の墓地に到着した。
みんなでお墓参り。奥さん、喜んでくれたかなと思いながら、諸事情で今回参加できなかった人たちのことを思うと、参加できたことに幸せを感じた。

 お墓参りの後は、秩父泊ではなく群馬の伊香保温泉。夜の宴会で、青葉先生が「監督冥利に尽きる。」と言った言葉が嬉しかった。先輩は兄貴、後輩は弟、監督は若い親父、奥さんは若いお母さんだった。そして二人の娘、奈幸、幸紀は幼い妹だった。46年前、同じ屋根の下で同じ釜の飯を食わせてもらった。私もような者も、4年間過ごさせてもらえた事は、人生の大きな財産となった。

 翌18日は雨。朝風呂に行ったものの、風呂の温度調整がでたらめで熱くてお風呂に入れない。湯船の湯をかき出してみたがダメだった。ホテルを9時に立ち水沢観音へ。9時15分に到着、これでは水沢うどんを食べることはできない。それでも25年ほど前に行った清水屋さんを雨の中、探し当てることが出来た。お土産用のうどんも買う事が出来、意気揚々でバスに帰る。皆は少々待ちくたびれていたような・・・一路日光へ。

 車中で、皆が退屈しないようにと持ってきた「都はるみ」「山口百恵」「薬師丸ひろこ」のDVD,都はるみをかけてもらったが、みんな、「見ない」「聞かない」良いとは「言わない」。最高のDVDなのに、やはりタイミングが悪かったのかな?最終日なら良かったのかもしれない。次回は最終日にかけよう。

 東照宮の近くで昼食をとった後、東照宮へ。大勢の観光客が数珠繋ぎの中しかも大雨の中参拝。青葉先生も老体にむち打つも家康公の廟の前でギブアップ、我々は廟まで参拝することが出来たが、傘を差していたがかなり濡れる事態に。

 そして念願の船村徹記念館へ。30分のうち15分は代表曲を歌う映画ショウ。もう少しゆっくり見たかったがそれは叶わず、本を1冊買った。「船村徹記念館なんて行かなくていい。」と言っていた人たちも感激していたようだ。

 宿泊は鬼怒川温泉の大江戸温泉物語。着くなり岩元さんがウエルカムソフトクリームを見つける。無料と言うことに感激しながら二人で遠慮なく頂いた。

 宴会も終わり床に入ると、作山が、皆の幸せそうな寝顔の写真を撮っていた、これをラインで送ると言う。すると吉元が「送ること、当人の許可を取っているのか?」「いえ、取っていません。」「取っていないんだったら送っちゃダメだろ。もしトラブルになったら、出るところへ出たら、お前負けるよ。そういうことって大切なんだから。」「大久保さんのハゲ頭もラインに許可無く上げたけど、大久保さん、喜んでいましたよ。喜んでいてもダメなんですか?」「当人はOKでも奥さんが問題にしてダメだと言ったら、お前負けるよ・・・」笑いをこらえながらこのやりとりを、布団をかぶって聞いていた。作山にとって42年ぶりのテニスコート(学生時代の説教の場所)だったようだ。
 
 19日雨。台風14号の影響で山陽新幹線まで止まる。かねてから一度泊まりたかった荻窪の老舗旅館西郊(登録有形文化財)へ電話する。「今日ですが、お部屋空いていますか?」「空いています。6500円のお部屋と7000円があります。」「どう違うんですか?」「お部屋の作りが違います。」見栄をはって7000円の部屋にした。

 ホテルを9時出発、宇都宮へ、ここで神山とさよなら、青葉先生は東京ドームへ。ジャイアンツを見に行くと言う。平盛さんと私が湘南新宿ラインで東京まで同行。癌を患っている先生は、前日の二日間、時折車中で目をつぶってはきつそうな表情が見えていた。「大丈夫ですか?」と訪ねると「大丈夫だよ!」と。しかし、三日目はそんな表情は見られず体調は良さそうに見え安堵した。

 池袋で別れ、我々は東京駅のコインロッカーに荷物を入れ、柴又の帝釈天へ。日暮里で路線を乗り違え、タクシーを乗り継いでやっとの思いで柴又へ着く。先日テレビで見た密着社長交代物語の高木老舗という草団子のお店で、平盛さんと団子をいただく。帰り際、「若旦那は結婚した?」と若い従業員に尋ねると「いえ、していません。できないと思います。」思わず笑ってしまった。

 西郊には、5時過ぎに入る。憧れの老舗木造旅館、初老のご主人が出迎えてくださった。玄関、お部屋、年期が入ってなんとも言えない感覚。トイレ洗面は、共有。お風呂は、家庭のお風呂より少し大きい。2人入ればいっぱい。夕食は外で食べた。7時過ぎ、お風呂をいただく。

 風呂上がり、平盛さんはいびきをかいて寝始めた。夜、台風は庭の木々を揺らし・・・それでも夜明け前には、風も止んだ。テレビを付けると新幹線は始発から通常通り動いている。9時過ぎの新幹線に乗り、井原線との連絡も良く午後1時30分には井原へ帰ることが出来た。 
                                          令和4年9月28日 笹原 真二

追伸  2年後の「おじさんたちの修学旅行」行き先は、みんなの希望で、広島、岡山に決まった。どんなおもてなしをしようか?新幹線の中で平盛さんと話しながら帰った。楽しみが、また一つ出来た。青葉先生も「2年後行くから!」と言ってくださった。また笑顔でみんなと再会出来ることを確信している。
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