甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

雪が舞う お誘いの無い 日曜日 さみしさ共に 思いは巡る

2023-01-29 17:39:50 | Weblog
  戸田さん
 井原青年会議所(当時68?名)に入会した33年前、平成元年1月14日(井原青年会議所の例会日)が、戸田さん(10歳先輩)と初めて会った日だった。戸田さんは、レナウン、バーバリーなど高級衣料品や、地元井原産の生地を使った鮮やかな藍色の作務衣を作る縫製会社を経営されていた。 

 40歳定年の青年会議所では、戸田さんと被ったのは一年だけ。委員会も違ったし、ほとんど話もしたことが無かったが、「大らかな、笑顔の素敵なダンディーなおじさん」という印象があった。だから、あんな風になりたいという気になる先輩だった。
 
 戸田さんが、青年会議所を卒業して三年ほどたった頃、屋根瓦の葺き替えの見積もりをしてほしいと声を掛けてもらった。行ってみると、「本瓦葺きで見積もってくれ。」お寺の屋根の本瓦葺きはあっても、普通の和型の瓦価格より3倍から4倍掛かる本瓦葺きでの民家の見積依頼など、あることはないと思っていた。戸田さんの見積依頼は、驚きだった。

 そんな経緯で、母屋の瓦の葺き替えを本瓦葺きでさせてもらった。以降、離れ、蔵、北の塀、10年ほど前には、門長屋、南の塀、車入門、他。離れと車入門は和型だったが、他は全て本瓦葺きでの仕事をさせていただいた。

 瓦は、東大寺の昭和の大修理の瓦を製造した奈良瓦センターの本瓦。その瓦センターの営業の植田さんが現場に来たとき、「ここは、文化財の現場ですか?」と聞いてきた。たまたまそこに戸田さんの奥さんが。「普通のおうちです。」と。
 
 戸田さんは、「先祖からもらった家は、大切にせんと。」躯体だけでなく、建具も、かつて使っていた物を再使用する。万事がそんな調子で。「全部壊して、新築した方が安く上がるんじゃないんですか?」と言っても「これでえんじゃ!(良い)」と。使える物は使うと全ての物を大切にされる方だった。

 門長屋の改修が終わると庭に芝を張った。暑い盛り行ってみると、パンツ一丁で芝の中の雑草を取っていた。「こうやってちゃんと、雑草を取ってやらんと、芝もきれいに張らん。」

 庭の岩松も、雑草を取って、取って、砂利を綺麗にして、水を打って、打って、見事に岩松を育て上げた。「手を掛けてやらんと根付かん。手を掛けた分だけきれいに根付く。」松、梅の木の周りには見事な岩松が根付いている。

 そんな戸田さんはペースメーカーを入れていた。「わしの心臓は30%くらいしか機能しとらん。」実際、青年会議所の忘年会で倒れ心肺停止状態になったことがある。幸い、医者が同席をしていて応急処置がなされ大事には至らなかった。という強運の持ち主だった。

 母校、興譲館高校の、陸上競技部の応援も、選手、監督コーチを自宅に招き、食事会を何度も開かれた。ステーキ、ウナギ、カレー、すき焼き、しゃぶしゃぶ等、白菜のごとく鍋いっぱいに入れられた松茸のすき焼きは、見たことの無いすき焼きだった。親元を離れ寮で生活している子供たちが、興譲館で、井原という街で過ごしている。高校時代、青春時代の大切な3年間、「井原に来て良かった。」という思いを持って帰ってくれたら・・・」とよく言われていた。

 全国高校駅伝の応援も、毎年のように。二年前は、世界の100台、日本に2台しかない戸田さんの愛車ベントレーに乗って京都へ。途中、「運転を変わってくれ」と、身体は軽トラ仕様になっているのに、名車ベントレーを運転する羽目に。ウインカーを出したはずが、フロントガラスのワイパーが右に左に。

 興譲館高校OGの新谷仁美が出場した韓国、大邱の世界選手権、新谷と重友梨佐が出場した、ロンドンオリンピックも、一人で応援に行かれた。日本国中探しても、こんな人はいないんじゃ無いか。
 
 20年程前、名古屋の江場さんの仕事で、上海で瓦の仕事をしたことがある。その時も、屋根の上で仕事をしていると、誰か車から降りてきたと思ったら、戸田さんが、「おーい、来たど!」

 上海の松江という、大学がいっぱいあるところで仕事をしてきますと、言ってはいたものの、まさか本当に現場まで来られるとは思ってもみなかった。懐かしい、嬉しい思い出だ。

 田中建設の行ちゃん、井原自動車の柳本さん、江草板金、他数名の方と共に、よく食事に誘われた。多いときは月2~3回の時もあった。一月もお誘いの電話が無いと、行ちゃんと「戸田さん、体調でも悪いんだろうか?」というような話になる。お誘いの電話は、戸田さんの体調のバロメーターになっていた。

 そんな戸田さんが、2019年に一時体調を崩された。年末には痩せ方が酷く、大丈夫かと思うようなこともあった。それでも、元のダンディーな戸田さんに戻っていった。

 翌年には「前立腺に癌が見つかった」と。根拠は無いが、戸田さんは大丈夫。と思っていた。なぜなら、変わらず、「新見へ焼き肉を食べに行こう。「中華を、食べに行こう。」「今度は、インド料理を。」「うちで、鍋をするから。」「ビーフシチューを作ったから。」と変わらずお誘いの電話が入った。ビーフシチューは、戸田さん自ら寸胴鍋で2日間煮込んだものだ。ご飯も土鍋で自ら炊いた。

 スーパー銭湯の垢すりで、仲良くなった韓国のおばさんに、韓国の家庭料理を作ってもらったから。というお誘いに行ってみると、「渡り蟹を醤油だれで漬け込んだというカンジャンケジャン」あまりの美味に、「これが、家庭料理?韓国の人は平生こんな美味しいもの食ってるんですか?これは宮廷料理でしょ!」

 昨年の7月、お誘いが一月半くらい途絶えたことがあった。あとで聞いてみると「コロナに掛かっとった。」「戸田さんのような、基礎疾患の百貨店みたいな人が、コロナに掛かったらやばいでしょ。」というと、「喉が痛かったけど、たいしたことない。」
時々、倉敷中央病院に入院しながら、退院したら、お誘いがあった。「退院そうそう、大丈夫なんですか?」と言いながらご馳走になった。だから、「戸田さんは、大丈夫」という想いがあった。

 12月19日メールが入る「残念ですが、今年の高校駅伝には行けません。来年の都道府県対抗女子駅伝の日時と、興譲館から何名エントリーしているか教えてください。」「1月15日、日曜日10時半スタートです。エントリーは4名で、走るのは2人になるとの事です。」

 21日、「明日の昼、「たかいで」(井原市内)で、焼き肉を食べよう!仕事中かもしれないが、現場から来れば良い。」という電話が入った。22日、行ってみると、奥さんは来られていたが・・・しばらくすると、弟さんと車で、倉敷中央病院から、今退院してきたという。「退院そうそう、焼き肉なんて大丈夫ですか?」「24日の京都、エクシブ(八瀬離宮)が取れとったのにごめんよう。せっかく興譲館、応援しようと思っていたのに。来年じゃ、14日、京都に行こう!」

 12月27日、「福山へ鰻を食べに行こう。」というお誘い。田中建設の行ちゃんと夕方6時過ぎに迎えに行くと。井原商工会議所の川井会頭に、手を引かれながら車に乗り込まれた。

 福山の鰻の「中勝」というお店に着くと臨時休業。「薬のせいか?味覚が変わって、何を食べてもあんまり美味しくないんじゃ。鰻だけが味が変わらんから食べたかったけど、仕方が無い、中華にしよう。」と、同じく福山の池野飯店でご馳走になった。戸田さんの家に帰ったのは9時前だった。明らかにきつそうだった。それでも、戸田さんが亡くなるなどと、露ほども考えられなかった。

 1月9日、今治で買った「晴れ姫」というミカンを届ける。留守のようだったのでメモ書きとメールを入れて帰る。翌日、戸田さんから、「笹原さん、ミカンたいへんありがとうございます、たいへん感謝します、」というメールが入る。

 この文章が、ものすごく気になった。このメールを打つことは、戸田さんの体力をものすごく使わせてしまうことになったかもしれないと・・・

 14日土曜日、朝、雨だった。仕事は休みにしていた。7時44分、田中建設の行ちゃんから、電話が入る。「戸田さんが、午前4時頃亡くなった。」

 12月27日以降、考えて見れば、あの状態であれば、いつ逝っても不思議でなかったような気はする。しかし、戸田さんが亡くなるという事は全く想像もつかなかった。何度も、蘇った戸田さんを見てきたから、癌は無くならないかもしれないが、調和しながらまた元気になるのではという思いがあった。

 12月24日。戸田さんと奥さんは、主治医から、余命10日という宣告を受けていたという。新年を迎えることができるかどうかとも・・・それでも、30日には戸田さん自身が運転して、児島の弟さんの家の餅つきに行かれたそうだ。
年が明けて、元旦にはお雑煮も食べたと。二日は、弟さん家族と、井原で、初詣に。

 12日、井原の小田病院に入院、13日の夕方には、一人でお風呂に入ることが出来たそうだ・・・主治医の宣告余命10日を、大きく上回り1月14日、大好きだった井原青年会議所の例会日に亡くなられた。

 10年前、親父が亡くなった時、あの状況では助からないだろうという思いはあったが、亡くなるという事。通夜をするという事、お葬式をするということは、全く想像出来なかった。

 土曜日の午前4時頃亡くなった事も同じだった。その日のお通夜、翌日曜日のお葬式。月曜日から日常に戻る。親父の時と同じようなだと思いながら二日間を過ごした。

 生前、「ピンピン、コロリが良い。俺の、棺桶を担いでくれ。」という事を何度か聞いていた。戸田邸を出るときも、葬儀会場から出るときも、戸田さんの棺を担がせてもらったことに、ある意味幸せを感じた。
   令和5年1月28日               笹原 真二

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新年の 仕事始めを 前にして 思い巡らす パソコンの前

2023-01-06 11:01:30 | Weblog
 ここ数年、このブログはマンスリーレポートでしか使って来なかったけど、本当に久しぶりに書いています。
 明日から、いよいよ仕事始め、9連休のあとだから、明日はウオーミングアップの一日、連休をして本格的には10日から動きます。先ほど、今年一番に入る大きな蔵の現場へ。足場屋さんが、足場を組み立てに来てくれていました。お施主さんとの打ち合わせをして蔵の中に、天井は無く、葺き土がすでにいっぱい落ちて、棚には様々なお宝が・・・明日、これらの養生をします。
 今年も、いよいよ始まります。
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