甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

11月のマンスリー

2012-11-30 21:41:49 | Weblog
 被災地への旅Ⅲ 鎮魂
 11月2日、三匹のおっさん?(名古屋の江場さん、群馬の佐藤さんと私)とパキスタン人のタヘルさん(連帯東北で3.11の震災以来ずっと被災者への支援をしている)の4人の旅は仙台から石巻の大川小学校を目指した。
 全校児童108名中、死者74名(いまだに行方不明者もいる)当日勤務していた教職員11名のうち9名が亡くなるという悲劇は、助かった人たちからの証言を交えた番組がNHKでも何度か放映された。だから今回の旅では大川小学校に行って手を合わせてくることが目的の一つだった。
 北上川の堤防から道路をはさんで200mくらいの所にある大川小学校(河口から西南に約4km)に着いた時は、強い風が吹いていた。校舎の前には祭壇が、我々は祭壇に手を合わせ、南側に連なる小高い山の方へ。この山に避難しておけば全員が助かったと思われるような場所。校舎から道路を隔てても200mもない。親御さんにとっては「なんで?」悔やんでも悔やみきれないような場所での悲劇だった。つい最近だった、まだ見つかっていない我が子をさがしている親御さんの姿がTVで放映されていた。 
宮城県だけでも約2200名の行方不明者がいる、他県を合わせると約4300名。もう諦めた方がいいのではと思っていた。しかし、大川小学校の周りを歩いているうちに、この寒い土の中から、早く見つけ出してやりたい、寂しくないよう家に連れて帰えってやりたい、あまりに可哀想すぎる。そんなことを思いながら歩いていると、タヘルさんが「しばらくお祈りをしてもいいですか」と言ってお祈りを始めた。イスラム教のタヘルさんは手を合わせて声を出して、まるで唄でも唄っているかのように、風の中、なんとも言えない心地よい祈りが聞こえてきた。そんなタヘルさんを見ていると羨ましいような感じさえした。
その日は登米の及川あやさんの家、ニューコリアでお世話になった。昨年の4月26日のお昼にタヘルさん、その日の夜にあやさんから同じ言葉を聞いた。「困っている人がいたら助けるのは当たり前だ」だから、あやさんとタヘルさんが出会うのは当然のような気がした。夜は一足早い忘年会となった。
翌日、南三陸町の志津川中学校へ。校庭ではソフトボール部の女の子が練習をしている。校舎の中ではブラスバンドが・・・この高台から見た南三陸町の街は1年前とは違ってがれきはどこに行ったのか?無くなっている。新築中の家が2棟、あとは緑の雑草と枯れかけた雑草のコントラストが壊れたコンクリート基礎を覆い隠すように・・・だから風景は少し優しくなっていた
北上の笠井さんが言っていた。「被災地にはまだ電線が通ってなくて、灯りがないから運転していても道幅が分からなくて怖いんです。そして、誰かに見られているような気がするんです、それは、みんな感じているんです」
その日の夜、盛岡でのAKIRAと陸前高田の慈恩寺の古山住職との唄と詩の朗読のライブの中から・・・昨年、東北では夏祭りの自粛ムードが広がっていた。それに対して古山住職は、「お祭りをすることが彷徨っている霊の鎮魂になる。お祭りが、魂の帰る道しるべとなる」と言って祭りを開催するように警鐘をならしたという。規模は小さくなったものの、各地で鎮魂の夏祭りは開催された。
     2012年11月28日            笹原 真二
追伸   生きている者が、元気で過ごす。それが一番の供養になり、鎮魂に  なるのではないかと改めて感じています。

AKIRA  世界中を放浪する、画家、彫刻家、書道家、写真家
        小説家、詩人、ミュージシャン
        コットン100%はNHKが選んだ世界の本100選に
        川端康成、三島由紀、太宰治、等の本とともに選ばれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする