甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

炎天下 ほっと一息 日が暮れて、 シャワーすれども 抜けぬ塩汗

2023-07-28 20:09:33 | Weblog
  思えば遠くへ来たもんだ。
 
 芳井に帰って40年になるが、今回、初めて、天神社の境内にある黒丸様のお祭りの当番組に、うちの組内(町内会)が当たることになった。

 7月16日日曜日に、コミュニティーハウスで口開け祭をした。黒丸様の掃除、しめ縄の張り替え、さらには奉納子供相撲の土俵作り。土俵には、前もって真砂土が少しだけ入れてあり、その周りに掘られた円周に合わせて、稲わらを腕くらいの太さにしてわら縄で締めては、それを順番に埋めていくという作業。

 子供の頃から、黒丸様の奉納相撲、恵比寿様の奉納相撲と、わずかな賞金?に釣られて来ていたが、当然、土俵作りは初めてのことだった。

 22日土曜日、夕方5時から、黒丸様で宵宮。当番組と、神社委員、宮司さんが集まって「大祓の言葉」を奏上して終了。

 23日は午後2時から本番のお祭り。と言っても昨夜同様、当番組、神社委員、宮司さんで「大祓の言葉」を奏上するという簡素なお祭りだ。
3時からは、先日、土俵造りをした奉納子供相撲。やっとの思いで集めた男の子2人、女の子4人の三番だけ。勝っても、負けても五百円。結びの一番は、2歳、3歳の女の子対決。片方が押されて尻餅、「アーン」と泣き出した。そんな奉納相撲は、昔と違ってあっという間に終わった。

 我々が子供の頃の奉納相撲は、勝ったら十円、負けたら五円。5人抜いたら金封に入れられた百円をもらうことが出来る。一学年下の中村博が5人抜きでガッツポーズ!百円が入った金封を取った時の得意気な顔が思い出された。負けて泣く子も当然いた。それが白黒混じりのカラー映像でよみがえってきた。

 たった三番の相撲だったが、昔と変わっていないなと思いながらも、浮かんだ台詞は、歌の文句じゃないけど「思えば遠くへ来たもんだ」だった。賞金が十円、五円から、五百円に。取り組みは二十番、三十番はあった。

 少子高齢化、過疎化がダイレクトに直撃している。街の景色も変わった。わずか三番の取り組み、勝ち抜き戦も無い。土俵も作る側になった。あれから55年以上が過ぎた。実際、歳も取った。そんな感慨深さがあった。
 
 一方で、尻餅をついて「アーン」と泣き出した女の子を見て、「思えば遠くへ来たけれど、昔と何も変わっていないじゃないか」という思いも出てきた。相撲に負けて泣いたのか、尻餅をついてビックリして泣いたのかは分らないが・・・
 
 今も、昔も、そう大きな差は無いのだ。

 思えば、遠くへ来たもんだ ♪ あの頃、恋しく思い出す ♪
 思えば、遠くへ来たもんだ ♪ この先、どこまで 行くのやら ♪        
 
  令和5年7月28日        笹原 真二

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