甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

大仕事 秋の気配も 気付かずに 我に返れば 冬の到来

2022-11-29 18:19:47 | Weblog
    二度目の感謝状

 平成13年の春から初夏にかけて、仕事をさせていただいた福山の胎蔵寺の本堂。その屋根の小さな異変に気付いたのは、平成26年の年末ことだった。本堂に向かって右側、東南の降棟と隅棟の接点が少し離れていたのだ。考えられることは、隅鬼を釣っている銅線。しっかり縛っているのだが、何らかの異変で緩んだ?どのような不具合があったにしろ直さなければならない。まさか、栩木が折れているなど思いもしなかった。翌年の仕事のスケジュールから考えると秋になるかな?という思いだったので、その時は本堂の屋根の異変のことはあえて胎蔵寺さんには伝えなかった。

 27年の夏、修理のことを話さなければならないと胎蔵寺に行くと異変はさらに悪化。東妻の素丸瓦がズレているのが見えた。そこで初めて異変の原因は、栩木が折れているのか?構造材に何らかの問題が生じていることに気が付いた。そしてその旨を胎蔵寺のご住職に話した。ご住職、檀家の方々にとって改修工事からわずか14年後、このような不具合が起こるとは晴天の霹靂だったに違いない。

 ご住職の本山大覚寺への勤めの関係で、改修工事は応急の補強工事をして、一時棚上げとなった。

 令和3年2月、素屋根を掛け二度目の改修工事が始まった。元請けは㈱徳岡伝統建築研究所。3月、既存の瓦を解体する作業を始める。20年前の瓦、使えるものは再使用するということで、パレットに瓦を積み込む。それを会社に持って帰る。300坪の土場の半分近くが胎蔵寺の瓦で埋まった。


 仕事は、伸びに伸びた。屋根の構造材の解体中、桁にも不具合があることが判明して結果、上棟式は本年4月22日に行われた。6月の後半、遅くても7月には瓦工事に入れると思っていたが、うちが現場に入れたのは9月5日。
大工工事は北側の裏面の屋根しかできていない。東西の妻も途中、南側の正面は垂木さえ流れていないという状況だった。本堂改修事業完成法会は10月15日から、11月26日に延期されたが、この時点では10月末には、応援が順調に入ってくれれば、どうにか仕上げることが出来ると思っていた。

 ところが、当初から、応援をお願いしていた妹が嫁いでいる京都の甍技塾徳舛瓦店が、京都の仕事があまりに忙しくすぐには行けないという連絡が入る。予定が狂い始めた。

 9月3日に福岡の熊谷裕二の現代の名工、黄綬褒章の祝賀会で同じテーブルにいた福岡の北原清治が9月の中旬から2週間、応援に来てくれることになった。12日から現場に入ってくれた。当初、2週間の予定だったのが、彼が次に入る現場が大幅に遅れたお陰で、結果最後まで手伝ってもらえることが出来た。北原君は一人目の幸運のキーパーソンだった。

 屋根下地が全て出来上がったのは9月も末のことだった。この状況で瓦工事の工期に赤信号が灯った。10月に入り、妹尾英明が高梁市備中町の長遠寺の鐘楼堂に入る。ここに来て一人現場から離れるのは痛かった。応援要請の電話を甍技塾の同門に掛けるが、タイミングが合わず良い返事は貰えない。そんな中、栃木県の金原さん親子が10日から20日まで応援に入ってくれた。

 半分諦めていた京都の徳舛瓦店から、25日から2週間、深町健次と、宮崎人楽が応援に入るという連絡が入る。健ちゃんも、人ちゃんも、昨年11月、12月と2ヶ月も応援に来てくれていた。結果、健ちゃん一人の応援になったが、まぎれもなく、健ちゃんは、二人目の幸運のキーパーソンだった。

 2週間の予定を徳舛に自分から連絡して1週間延長を要請。その上、甍技塾の同門に電話で応援要請、熊本県から末吉真也、福岡県から友田敬悟がさらには、兵庫県から吉盛幸一親子が予定を早めて現場に入ってくれた。
末吉君は11月8日から4日間、友田君は9日から1週間、吉盛親子は11日から最後の5日間、さらには地元の河合さんが最後の2日半、応援してくれた。

 14日、15日の二日間は足場の解体作業と重なるようなことになったが、15日の午前中に片付けまで、どうにか瓦工事は終了した。
途中、スポットで応援に入ってくれた地元の広兼君、諏澤君、更には瓦の荷揚げ等で手伝ってもらった高校大学の先輩平盛さん、もっと言えば瓦の清掃、のし瓦の選別でサポートしてくれた家内、瓦清掃のアルバイトに来てくれた妹尾英明の次女莉那ちゃん。家内と共に、応援に入ってくれた職人さんたちの食事を作ってくれたお袋。本当に多くの人達に支えられ事故無く大仕事を仕上げることが出来た。

 26日午前10時から、本堂改修事業完成披露法会が営まれた。この日は胎蔵寺の竹原善生住職の誕生日、更には主賓として来山されていた大本山大覚寺門跡尾池泰道猊下も83歳の誕生日という日だった。その席で、瓦工事の感謝状を頂いた。前回もいただいているので「2回目の感謝状」前回の仕事に関わった者として今回の感謝状は、複雑な心境だった。

 ところを変えた祝宴の席で、竹原住職が、徳岡伝統建築研究所の社長のところへ来て「工期が遅れたお陰で、私の誕生日、門跡の誕生日の日に完成披露法会が出来ました。ありがとうございました・・・いえ、これは工期が遅れたという皮肉じゃないですよ。」と笑いながらお酌をされた。そんな言葉に「2回目の感謝状」という複雑な心境が少し癒されるように感じた。

 大仕事を終えて改めて思うこと、9月3日、北原君と同じテーブルに座ったこと。あのタイミングで徳舛瓦店の深町健ちゃんが応援に入ってくれたこと。運が良かったとしか言いようがない。
                         令和4年11月28日              笹原 真二
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする