東京、袋井、名古屋、井原
4月19日土曜日、東京に向かった。 午前6時57分発清音行きの井原線に乗るため家を出た。昨夜、今、行われている井原市議会議員選挙の情報が井原の友人から入った。立候補している幼稚園からの親友柳本益弘が、厳しい状況みたいだという。毎日、夜だけ後援会事務所に行っていたが、雰囲気も良く、寝水の電話に驚いた。
井原線のホームから、朝早いことなんかお構いなしに、友人、親戚に、ダメ押しの電話を掛けた。井原線の車中、さらには岡山から新幹線の車中から、ライン、ショートメッセージで、柳本益弘への投票をお願いし、それを広げて欲しいとお願いした。
東京には11時33分に到着、荒川宮の前公園にまで日暮里から舎人ライナー等を乗り継いで、元劇団ふるさときゃらばんの寺本建夫さん祖父江真奈さん夫婦に会いに行くが、お二人に急用が出来て会うことが出来ず、都電荒川線で池袋を目指した。新宿に出て、中央線で。25年前、名古屋の江場さんが立ち上げた上海の東方欣康(上海日本村)の竣工式の時、出会った片寄さん(当時日本貿易促進協会専務理事)にお会いするため国分寺へ向かった。
住所を頼りにタクシーで行く。「岡山から来ました笹原と申します」というと、奥さんはびっくりされたようで、昨年12月から2月初めくらいまで入院されていた片寄さんは、79歳、歩くには杖も必要とされ、家はエレベーターを付ける工事をされていた。東京大学法学部を卒業され、日本貿易促進協会で日中関係の仕事一筋、上海宝山製鉄所が出来るきっかけとなった鄧小平、斎藤(当時日経連会長・新日鉄会長)会談にも同席された方だった。10年ほど前のお盆に、わざわざ、うちの事務所にも着てくださったことがあった。その片寄さんに会いたかった。1時間ほど、お話をさせてもらって失礼したのだが、お二人に心から歓待していただいた。本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。
荻窪にある。登録有形文化財旅館西郊に入るが、朝6時の出発は出来ないということでキャンセルさせてもらい、倅卓真と、次女純子が待つ渋谷を目指す。渋谷駅で降り口を間違ったのか迷子状況に、倅が迎えに来てくれて、109ビルの前で、純子、そして俳優の渡辺哲さんと17時半に合流。渡辺さんがCMに出ている王将で簡単に腹ごしらえ。
渋谷の街は多国籍の言語が飛び交う人の海。その中、19時半開演の酒井俊さんのライブ会場、東京山手教会のライブハウス、クラシックスを目指した。ライブは10時まで、あっという間に時が過ぎていった。酒井さんは、少し体調を崩されてのどの調子が良くなさそうだったが、そこは百戦錬磨の俊さん!倅、娘と酒井俊のライブを堪能できたことは幸せだった。渡辺哲さんは、心に刺さった曲がありました。良かったと、言ってくださり、誘って良かったと思うことが出来た。
20日、5時起床、4月の初旬に奥様を亡くした塚本さんを訪ねるため、東京駅6時30分発のこだまに乗り、掛川で降り袋井には8時23分に到着、塚本さん(㈱瓦粋)が迎えに来てくれた。仏壇に手をあわせ少しだけ業界の状況を話して失礼する。
9時23分袋井発の電車に乗る。浜松で新幹線に乗り換え名古屋10時37分到着。東山さん(上海日本村でお世話になった、本株エバの社員)が迎えに来てくださっていた。東山さんの車で、江場さんが入所している小牧介護施設ホットハウスに向かう。東山さんに続いて、部屋に入るとはじけるような笑顔を見せてくださった。「どうしたの」と一言。会ってお話しするのは昨年の9月以来。その時は自宅に伺ったけど、どうにか歩いていらしたのに、車椅子に乗るにも介助が必要な状況。それでも話はしっかりできる。東日本大震災の時、お世話になった宮城県登米市の及川あやさんに電話をして、久しぶりにあやさんと話をしてもらう。昨日行った東京の片寄さんの写真を見せると喜んでくださった。会って写真を撮って、エバさんに見せる予定だった、寺本さんと、真奈さんとは会えなかった話をする。真奈さんに電話するがミュージカルの稽古中とのことで繋がらない。 それではと江場さんの写真を撮っては、共通のお友達にラインで送った。お昼は、近くの割烹へ江場さん夫婦と東山さんの4人で食事に行った。2時過ぎ割烹で失礼する。
自分の手がずいぶん老人の手になってきているなと先日感じていたのだが。江場さんの手を握るとそれ以上に年齢を重ねた老人の手になっていた。当然と言えば当然なのだが・・・また近いうちに来させてもらおうと感じた。
最寄りの駅まで東山さんに送ってもらい帰路に就いた。井原駅に着いたのが18時50分。長女成美が迎えに来てくれた。家で簡単に食事を取り、柳本益弘の後援会事務所に向かう。
同級生をはじめ多くの支援者が集まっていた。8時過ぎの第一回目の発表で400票を取り、最多得票で当選した山田きくえさんと共にトップの報道に事務所が沸く。2回目発表700票。3回目発表760票、最終結果764票で23名中5人が落選という厳しい状況の中、見事10位で当選。本当に、土曜日はビリでも良いから当選して欲しいという思いだった。金曜日の「柳本は厳しい状況」という情報は当てはまらなかったようだが、それでもあの情報でダメ押しの電話、ラインでの投票のお願いが出来たことは良かったと感じている。
4月19日20日、忙しい2日間だったが、忘れられない二日間となった。
令和7年4月28日 笹原 真二
4月19日土曜日、東京に向かった。 午前6時57分発清音行きの井原線に乗るため家を出た。昨夜、今、行われている井原市議会議員選挙の情報が井原の友人から入った。立候補している幼稚園からの親友柳本益弘が、厳しい状況みたいだという。毎日、夜だけ後援会事務所に行っていたが、雰囲気も良く、寝水の電話に驚いた。
井原線のホームから、朝早いことなんかお構いなしに、友人、親戚に、ダメ押しの電話を掛けた。井原線の車中、さらには岡山から新幹線の車中から、ライン、ショートメッセージで、柳本益弘への投票をお願いし、それを広げて欲しいとお願いした。
東京には11時33分に到着、荒川宮の前公園にまで日暮里から舎人ライナー等を乗り継いで、元劇団ふるさときゃらばんの寺本建夫さん祖父江真奈さん夫婦に会いに行くが、お二人に急用が出来て会うことが出来ず、都電荒川線で池袋を目指した。新宿に出て、中央線で。25年前、名古屋の江場さんが立ち上げた上海の東方欣康(上海日本村)の竣工式の時、出会った片寄さん(当時日本貿易促進協会専務理事)にお会いするため国分寺へ向かった。
住所を頼りにタクシーで行く。「岡山から来ました笹原と申します」というと、奥さんはびっくりされたようで、昨年12月から2月初めくらいまで入院されていた片寄さんは、79歳、歩くには杖も必要とされ、家はエレベーターを付ける工事をされていた。東京大学法学部を卒業され、日本貿易促進協会で日中関係の仕事一筋、上海宝山製鉄所が出来るきっかけとなった鄧小平、斎藤(当時日経連会長・新日鉄会長)会談にも同席された方だった。10年ほど前のお盆に、わざわざ、うちの事務所にも着てくださったことがあった。その片寄さんに会いたかった。1時間ほど、お話をさせてもらって失礼したのだが、お二人に心から歓待していただいた。本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。
荻窪にある。登録有形文化財旅館西郊に入るが、朝6時の出発は出来ないということでキャンセルさせてもらい、倅卓真と、次女純子が待つ渋谷を目指す。渋谷駅で降り口を間違ったのか迷子状況に、倅が迎えに来てくれて、109ビルの前で、純子、そして俳優の渡辺哲さんと17時半に合流。渡辺さんがCMに出ている王将で簡単に腹ごしらえ。
渋谷の街は多国籍の言語が飛び交う人の海。その中、19時半開演の酒井俊さんのライブ会場、東京山手教会のライブハウス、クラシックスを目指した。ライブは10時まで、あっという間に時が過ぎていった。酒井さんは、少し体調を崩されてのどの調子が良くなさそうだったが、そこは百戦錬磨の俊さん!倅、娘と酒井俊のライブを堪能できたことは幸せだった。渡辺哲さんは、心に刺さった曲がありました。良かったと、言ってくださり、誘って良かったと思うことが出来た。
20日、5時起床、4月の初旬に奥様を亡くした塚本さんを訪ねるため、東京駅6時30分発のこだまに乗り、掛川で降り袋井には8時23分に到着、塚本さん(㈱瓦粋)が迎えに来てくれた。仏壇に手をあわせ少しだけ業界の状況を話して失礼する。
9時23分袋井発の電車に乗る。浜松で新幹線に乗り換え名古屋10時37分到着。東山さん(上海日本村でお世話になった、本株エバの社員)が迎えに来てくださっていた。東山さんの車で、江場さんが入所している小牧介護施設ホットハウスに向かう。東山さんに続いて、部屋に入るとはじけるような笑顔を見せてくださった。「どうしたの」と一言。会ってお話しするのは昨年の9月以来。その時は自宅に伺ったけど、どうにか歩いていらしたのに、車椅子に乗るにも介助が必要な状況。それでも話はしっかりできる。東日本大震災の時、お世話になった宮城県登米市の及川あやさんに電話をして、久しぶりにあやさんと話をしてもらう。昨日行った東京の片寄さんの写真を見せると喜んでくださった。会って写真を撮って、エバさんに見せる予定だった、寺本さんと、真奈さんとは会えなかった話をする。真奈さんに電話するがミュージカルの稽古中とのことで繋がらない。 それではと江場さんの写真を撮っては、共通のお友達にラインで送った。お昼は、近くの割烹へ江場さん夫婦と東山さんの4人で食事に行った。2時過ぎ割烹で失礼する。
自分の手がずいぶん老人の手になってきているなと先日感じていたのだが。江場さんの手を握るとそれ以上に年齢を重ねた老人の手になっていた。当然と言えば当然なのだが・・・また近いうちに来させてもらおうと感じた。
最寄りの駅まで東山さんに送ってもらい帰路に就いた。井原駅に着いたのが18時50分。長女成美が迎えに来てくれた。家で簡単に食事を取り、柳本益弘の後援会事務所に向かう。
同級生をはじめ多くの支援者が集まっていた。8時過ぎの第一回目の発表で400票を取り、最多得票で当選した山田きくえさんと共にトップの報道に事務所が沸く。2回目発表700票。3回目発表760票、最終結果764票で23名中5人が落選という厳しい状況の中、見事10位で当選。本当に、土曜日はビリでも良いから当選して欲しいという思いだった。金曜日の「柳本は厳しい状況」という情報は当てはまらなかったようだが、それでもあの情報でダメ押しの電話、ラインでの投票のお願いが出来たことは良かったと感じている。
4月19日20日、忙しい2日間だったが、忘れられない二日間となった。
令和7年4月28日 笹原 真二