甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

振りむけば 昭和の唄が 駆け巡る 時は朽ちない 青春の花

2021-03-28 19:52:21 | Weblog
    山口百恵にハマってる

 10年程前だったか?芳井生涯学習センターで、宇崎竜童のコンサートの中で。

「皆さん、山口百恵さんのこと聞きたいでしょ。百恵さんが引退、結婚してから会うことも無かったんです。ところが、30年振りくらいに帝国ホテルの喫茶店だったか、妻の阿木と3人で会うことになった。当然、ハイヤーか、タクシーで来ると思うでしょ!ところが百恵さん、中央線と山野手線を乗り継いで来たという。芸能界にいた当時はものすごいオーラがあったんですが、そのカケラも見事に消し去って普通の人になっていました。スーパーでカードで買い物をした時、“三浦百恵”とサインしたら「あの百恵さんと同じ名前なんですね」と対応した店員が言ってきたという。今は、完全に普通の人なんですね・・・」

 山口百恵は、同世代のアイドル。当時特にファンだったわけではないが、引退、結婚、二人の息子祐太郎・貴大の母となり、家庭を守りご主人の三浦友和を支えている。そんな生き方に惹かれるように、彼女のファンになって行った。

 1月30日の土曜日、スマホを開くと、NHKが「伝説のコンサート山口百恵1980.10.5日本武道館」放送と出ていた。すぐに家内に電話して録画を頼んだ。

 早速、その日の夜、2時間半の伝説のコンサートを再生。アイドルだと思っていた山口百恵は、アイドルなんかじゃなく、ボーカリスト、とんでもない表現者、21歳?まさか?本当?山口百恵の歌う歌にどんどん魅せられていった。

 唄う歌が、詩が歌詞の内容が、みんな山口百恵という一人の女性とオーバーラップしている。「This is my trial」私のゴールは 数えきれない人達の胸じゃない・・・「横須賀サンセット・サンライズ」あの日と同じあの場所で も一度夕日見つめてみたい・・・「 I came from 横須賀」I came from 横須賀 あなたに会いに来た・・・「横須賀ストリー」急な坂道 駆けのぼったら 今も海が見えるでしょうか ここは横須賀・・・「いい日旅立ち」いい日 旅立ち 夕焼けをさがしに 母の背中で聞いた歌を道連れに・・・「一恵」現に戻す罪の深さを 知ってか知らずか あなたへの愛を両手に呟いた私は女・・・「秋桜」こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさが染みて来る 明日嫁ぐ私に・・・

 14歳でデビュー21 歳で引退この間、歌手だけでなく映画にも、絶唱 、潮騒、伊豆の踊子他、それらの主題歌も当然、山口百恵が歌っているのだが、それもまた良いのだ。You-tubeで見ることが出来ます。是非、一度見てください。

追伸  三浦友和の話。「私や息子達が、出演する映画やドラマのチェックは欠かせないようです。先日、貴大の映画を一緒に見に行ったのですが、映画人としては気が引けたのですが。妻は夫婦割のチケットを・・・」そんな言葉を聞いて思い出したのが、オードリー・ヘプバーンの話。二人の息子は十代後半まで母親が映画女優だとは知らなかったそうだ。いつも並んで普通席のチケットを買って映画を見ていたという。
                        令和3年3月27日   笹原 真二
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傘がない いつの間にやら 口ずさむ 大切なこと 思い巡らす

2021-02-26 22:22:36 | Weblog
傘がない
 
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります・・・ラグビー協会は今までの倍時間がかかる。女性が10人いるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起こる)5人います・・・」という失言から、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長をしていた森元総理が、マスコミから大きなバッシングを受け会長職を辞任する事態になった。

 森元総理の擁護をするわけではないが、今の時代、確かに不適切な発言ではあるのだが、マスコミからそこまでバッシングされなければならないような失言だったのかと事の成り行きに大きな違和感があった。

 当然のことながら不適切な発言だから、バッシングのコメントはスポンサー企業を始め、各界から取材すればいくらでも取れる。そのことを良いことにマスコミが煽って「森叩き」に火を付けていったようにも見えた。

 誰か、森擁護のコメントを出していたならと思うのだが、バッシングは擁護した人にも企業にも降りかかってくるから誰も出来ない。

 東京オリンピックのボランティア辞退、聖火ランナー辞退にも違和感があった。それとこれは別の問題でしょと言いたくなる。2014年から組織委員会の会長を務めてきた森元総理を、今回の失言でオリンピック開催半年前に会長から引きずり下ろした。7年もの間、会長職を務めてきた森元総理の功績も当然あったはずなのに。なんと寛容さのない世の中になったのだろうと思う。

 昨年のコロナ渦中から、世の中が変わっていった。「こんな時だから・・・」というフレーズの後、自粛するのが当然と言わんばかりの「同調圧力」は、罹患者への誹謗中傷、自粛警察へと昇華?そんな状況に違和感を憶えた。

 話は大きく飛ぶが、戦時中も戦意高揚に向けて同じようなことが起こっていたのではと、テレビドラマや、親父、お袋の話から窺い知ることが出来る。

 森バッシング、コロナ騒動、76年前に終わった戦争、全く関係のない出来事ではあるが、同質のものが関連しているように感じられる。

 今回の森元総理の失言によるバッシングから見えたものは、社会に蔓延する「いじめの構造」。正解か不正解か、間違っていたら容赦なく叩く。そこには全く寛容さというものが存在していない。そんな住みにくい社会になっているような・・・正解か不正解かの前にもっと大切なことがあるのではないか・・・子供たちに、「いじめを、無くそう。」と言っても無理な話だ。今の社会が「いじめの構造」の手本を見せている。  
                                   令和3年2月28日   笹原 真二

追伸  書いているうちに、50年近く前の井上陽水の「傘がない」という唄の歌詞が浮かんできた・・・「テレビでは、我が国の将来の問題を、誰かが深刻な顔をしてしゃべってる。だけども問題は今日の雨、傘がない・・・行かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ・・・」
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寒い冬 いつの間にやら 暖冬に 雨多かりし 木の芽膨らむ

2021-01-28 20:41:10 | Weblog
     COVID-19の1年
 新型コロナウイルスが、一昨年の末、中国の武漢で発生してから1年が過ぎた。対岸の火事だったこの騒動は、あっという間に地球上を席巻。今現在、世界中の累計感染者は1億人を超え、亡くなられた方は216万人を超えている。
地球上の人口が約70億人。と言うことは70人に1人は感染者。


 1年前、誰が今の状況を予測していただろうか?世界の科学者、ウイルスの研究者の中には予測していた人も多くいたと思うが、悲しいかな、世界中の政治家、指導者には誰一人として予測できた人は居なかったようだ。

 最も、この状況を政治家、指導者に予測しろと言う方が酷なことかもしれない。この新型コロナウイルスは100年前5000万人が亡くなったと言われるスペイン風邪(当時、感染者は推計5億人、全世界の人口18億8千万人、4人に1人が感染者と言うことだ。ウイキペディアから)以来の状況だ。

 時系列で見て行けば、昨年1月15日、国内で初めての感染者確認。30日、WHO国際的緊急事態宣言。2月27日、小中高校に臨時休校の要請。3月24日、東京五輪、パラリンピック延期を決定。4月1日、アベノマスクを配布すると発表。16日、全国に緊急事態宣言。
5月20日、夏の甲子園中止決定。25日、緊急事態宣言解除。6月28日、世界の感染者1000万人超。29日世界の死者50万人超。7月20日、国内の死者1000人超。29日、国内の1日の感染者1000人を超える。岩手県で初確認。

 8月11日、世界の感染者2000万人超。9月5日、WHOワクチンの分配開始は来年中頃の見通しと発表。29日、世界の死者100万人超。10月2日アメリカ、トランプ大統領感染。14日、フランス3カ月ぶりに非常事態宣言、ヨーロッパで感染拡大。29日、国内感染者10万人超。

 11月20日、国内の死者2000人超。12月7日、大阪府知事、自衛隊に看護師派遣を要請。8日、イギリスでワクチン接種開始。14日、アメリカでワクチン接種開始。17日、フランス、マクロン大統領感染。20日、国内感染者20万人超。26日、政府は全世界から外国人の新規入国者を1月末まで停止を発表。

 今年1月13日、国内感染者30万人超。16日、世界の死者200万人超。23日、国内の死者5000人を超えた。
今日現在、国内の感染者は373000人、亡くなられた方は5298人。感染者は1000人中約3人。お隣韓国では感染者は76429人、亡くなられた方は1378人、感染者は1000人中約1.5人。地球上では1000人中140人が感染者だ。

 まさかこんな1年になろうとは・・・アメリカ、ヨーロッパでは主要都市がロックダウン。国内では自粛を国民に強いて、休業。外出自粛を要請。当然莫大な財政出動。休業、働かないのだから景気は悪くなるはずだ。企業存続のための金融緩和。しかし低金利のお金は何処へ?不思議なことに景気が悪いのに株価だけは上昇中という変な現象が起こっている。「行き場のないお金」が株に流れるだけの現象とは皮肉なものだ。「行き場のないお金」を金融緩和する必要があるのだろうかと思うのだが・・・

 令和3年1月28日 笹原 真二

追伸 NPBは、6月19日プロ野球を無観客で開幕。7月10日には、5000人を上限に観客動員に切り替え。無事年間120試合のペナントレースを、このコロナ渦の中乗り切った。単純にメジャーリーグが60試合だったこととは比べられないが、それでも、もし昨年プロ野球を見ることがなかったらなんてことは、やはり考えられないのだ。大相撲にしても同じことが言える。3月場所は無観客、5月場所は中止となったが、以降は観客制限をして開催。

 駅伝も、11月、全日本実業団女子駅伝が開催されて、以降、コロナ患者が目に見えて増え始めたが、暮れの京都での高校駅伝、元旦のニューイヤー駅伝、箱根駅伝と開催された。高校ラグビーも、大学ラグビーも、高校サッカーも、大学サッカーも、春高バレーも、いずれも無観客で無事開催され我々を楽しませてくれた。ラグビートップリーグの開幕は延期されたが、やはり無観客でも開催して欲しいと思う。

 さて問題は、東京オリンピックだ。観客制限、無観客という案も出てきている。国、IOCは開催に向けて準備をしているとは言っているが、そううまく事が進むのだろうか?

 コロナ渦を上手く乗り切っている国トップ5、ニュージーランド、台湾、オーストラリア、ノルウェー、シンガポール、日本はフィンランドに続き7位にランクされている。ちなみに韓国が8位、9位が中国(12月21日時点のインターネットニュースから)この状況で、世界各国が選手を派遣できる状況をこの半年の間で作り上げることが出来るのだろうか・・・まさに、今、歴史の真っ只中にいるようbな気がする。

 身近なことでは、昨年3回開いたライブ。更なるコロナ対策が必要だと感じている。素敵な、ミュージシャンが清水紹音さんを通して来てくれる。井原に来ることを楽しみにしてくれているミュージシャンがいる。いろんなことを探りながら道を切り開いて行きたいものだ。
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予報では 年末年始 雪景色? 寒い正月 是もまた良し 

2020-12-27 23:29:44 | Weblog
田舎の天才啓典さん

妹尾啓典さんは、2年先輩で子供のころから顔見知りではあったが、そんなに交流があるわけでも無く、会えば頭を下げ挨拶をするくらいの関係だった。

趣味が広く、絵が上手で油絵を描いたり、オーディオセットを自分で作るという音楽マニアで、地元では、かなりの数のオーディオセットを頼まれて作っているということは、結構知られている存在だった。

昨年、大阪から越してきた清水紹音さん(おーらいレコード代表)が、「10月、谷川賢作&アバウトタイム+大塚ひろ子のコンサートを開くから手伝って欲しい」と言って来た時、最適な協力者として浮かんだのが啓典さんだった。

以前、陶芸家の茂谷郁夫さんの家でのギャラリーコンサートに、大塚ひろ子が来て以来、彼女のファンということを知っていたから、その日のうちに紹音さんを連れて訪ねて行った。それが、啓典さんとの付き合いの始まりだった。

啓典さんの家には、オーディオルームがあり、ここで聴く音楽はライブ会場にいるような音がする。プロのミュージシャンも、感激するような部屋なのだ。毎日、オーディオの研究をしているという。「今までにつぎ込んだお金は1000万円以上。オーディオ仲間で、3億以上使っている人もいるけど、その人はお金持ちだから、割合から言えば、俺の方がたくさん使っている。」という開いた口が塞がらないような変な友達?を持っている人だ。

啓典さんの天才ぶりは、音楽ばかりではない。作るお米が美味しいことに驚いた。紹音さんの家で、ご飯をご馳走になった時、「この米、美味しい!」と言うと、「俺が作っとるんよ!米は、田んぼの水の管理が大切なんじゃ!」

日曜大工も、お手の物だ。紹音さんの家のゲストルーム?も、啓典さんが改装。時々、ミニライブをするキッチンの照明も、もちろんオーディオセットも。 そして今、木小屋を牡蠣小屋にするため腕を振るっている。道具も、材料もほとんど啓典さん持ちだ。ただ、紹音さんのところには、地域通貨ならぬ、紹音通貨というものがあって、紹音さんが今までにリリースした160枚のCDの在庫で決済がなされている。何人かは紹音通貨で決済してもらっている。

啓典さん曰く、「おーらいレコード」のCDは、素晴らしく良いという「録音技術者の春日さんが凄い!日本のヴァン・ゲルダ―(アメリカの世界的な録音技術者)じゃ!最近はおーらいレコードのCDしか聞けないようになった。そのくらい良い!」CDにそんな差があるかは、分からないが、確かに春日さんが録音したCDは素直に良いと感じられる。「二人でお茶を」なんか最高に良い。

啓典さんのCDコレクションは、クラシックが一番多いという。ベルリンフィルなどのクラシックも聴きに行くという。JAZZも、歌謡曲も、演歌も、童謡も、民謡も、良いものは良い!と言う。この1年でとても魅力的な素敵な人と友達になることが出来た。

     2020年12月28日            笹原 真二
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過疎の町 医療現場の 物語 人の想いが ドラマチックに 

2020-11-29 16:50:53 | Weblog
  NHK逆転人生 過疎地の病院を救え新米医師の奮闘

 11月2日、月曜日夜10時。床に着こうとしていたそのとき、たまたま付けていたテレビ。NHK逆転人生「過疎地の病院を救え新米医師の奮闘」というタイトル。これは見なければ!と床に着くのをやめた。
 
  江戸時代から続く医師の家系、父は膵臓がんの権威、国立癌研究センターの院長も務めた超エリート医師、母は理学博士。「100点以外テストじゃない」そんな父や母の厳格なしつけに反発して育った息子。名門、都立西高校時代には、茶髪、タバコ、バイク、停学、警察の世話になったこともある。父からは「おまえの人生は、お前のものじゃない!もっと人のために使え!」と、耳にたこができるほど言われて育ったという江角悠太。

  高校3年の時、たまたま入った映画館で、貧しい人々に無料で診療する。ありとあらゆるものを使って幸せを届けていく実在の医者「パッチ・アダムス」を見て人生が一変。「こんな風に自分は生きたい。」と医師を志す。

 2浪を経て三重大学医学部で総合診療を学んだ。東日本大震災では、地域医療の大切さを痛感する体験。福島県いわき市で、病気のおばあちゃんを抱えて2週間取り残されていた家族のところへ救援活動に入る。そこで思ったことは、「そういう状況の人たちを助けられる人間になりたい・・・恵まれていないところに、自分は医療をしにいくべきだ。」
 
 こういった体験から、地域医療の理想に燃えて、2014年12月、自ら志願して過疎化が進む志摩市民病院へ赴任した。医師は外科2人、整形外科1人と偏っていた。そのため治療を断ることも多く、住民たちは、遠くの県立病院まで通っていた。次第に病院は信頼を失い年間7億円の赤字を経常。民間に運営をしてもらう案も出たが引受先は表れなかった。
2015年12月、院長含む先輩医師が病院をやめることになった。このとき30名近い入院患者がいた。医師が3名未満になるとベッドは19床以下にしなければならない。

 おばあちゃんの介護をしているのは、おじいちゃん。車の運転は出来ない。家族は、ここじゃないと通えない、大変負担になる等々、頭を抱えていたとき、病院のスタッフから、「江角先生、この病院に残って立て直してくれませんか?」「それって、院長になれっていうことですか・・・」1年の間に、地元の人に助けてもらった。恩返しをしなきゃ・・・

 父親にも電話で助けを求める「ここで院長になることになった・・・」「そんな病院やめて東京へ帰ってこい。留学する道だってあるだろ!」「もうやるって決めたんだ!」相変わらず父とは価値観が合わなかった。

 江角先生は、医師の確保に奔走する。若い研修医の石崎先生が常勤で来てくれることになった、後は非常勤の医師を雇うことでなんとか入院患者を転院させずにすんだ。そして病院の方針転換、それまで専門外だからと言って断ってきたが、「どんな患者でも断らない。志摩市の人が利用したいと思われるような病院にする。」

 しかし、医師、看護師が少ないため大忙しになる。当直は月に10~15日。ひどいときは月曜日に病院に来て金曜日に家に帰ることも。そんなある日、「私、事務の仕事をやめたい・・・病院を辞めるんじゃなくて、メディカルアシスタントの資格を取って院長のサポートをしたい。」スタッフは、病院は職場であると同時に家族や友人を支える大切な医療拠点。

 「ここに残っているスタッフは、院長先生の頑張っている姿を見て私たちも一緒に頑張ろうと思った。」「業務も増えた。大変だったけど、私たちも、院長について、必要とされる病院になりたい。」
 
 しかし、少しずつ良くなっていったが、住民のニーズに十分応えられているとは言いがたい。そこでアイデア、夏休みなどの体験学習の一環で、中高生に入院患者の話し相手になってもらい、若者たちに地域医療の担い手になってもらう。彼らは病院スタッフにない特別な力を持っていた。患者たちが言えずにいた本音を上手に聞き出してくれた。

 手応えをつかみ始めた矢先、石崎先生が辞めるという大事件が起こった。都市から離れ激務が続く地方の病院、長く務める医師は多くない。再び病院存続の危機が。このとき常識破りの一手を、以前クルーズ船で働いていたときの伝で、マレーシア出身のアメリカ人医師78歳のクー・エン・ロック先生が来てくれることに、しかし、1年の半分は帰国するという条件、東京から非常勤で来てもらうこともあった。経費を抑えるため、江角先生自身が、休み無く働くしかない。ほとんど家に帰れず妻とも離婚することになった。理想に燃えて飛び込んだ地域医療だったが、心はすり減っていった。

 しかし、人生は、ときに想像もしないことが起こる。国立癌研究センターを退職し、大学教授になっていた父江角浩安が病院を訪ねてきた。病院を見て回った父は、大学教授の職を辞し、ここで常勤医師として働くと決意してくれた。「息子が困っているので、行ってやってもいいかなと思った。近くでどういうことをやっているかわかるのは、少しは安心かなと思っただけ・・・」

「癌を治さなくてもいいという患者さんに会ったよ・・・」「うちの病院は、病気を治すことより、どう人生を全うするかを大切にしている人がたくさんいるから・・・」「これまで、癌を治すことばかり考えてきたからな・・・悠太、良くやってるよ・・・」そりの合わなかった親子が同じ方向を見るようになった。

 ここで働くため、父は総合診療の研修を受けて来てくれた。父が加わったことで、病院は危機を脱した。余裕を持って診察できるようになり、経営も上向き赤字も毎年、1億ずつ減らしている。崖っぷち病院は希望の病院へと生まれ変わっているという。
父が志摩に引っ越してきて2年、すっかりこの街に、なじんだようだ。病院にはさらに頼もしい味方が増えた。30代の土田医師が志摩に移住し3人目の常勤医となってくれた。「医者が足りていない地域で仕事が出来たほうが人の役に立ちやすいかな・・・」
江角先生の弟、江角亮先生も三重大の医学部で学び、救急医療の医師として働いている。

 たまたま付けていたNHK,逆転人生、感動の物語だった。
                            2020年11月28日             笹原 真二

 追伸 お父さん、江角浩安さんの生き方も素敵です。志摩市民病院もしくは江角浩安で検索してみてください。もっといろんなことが分かります。
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いつの間に 柿も色付き 秋深し 日々の暮らしも 早く過ぎゆく

2020-10-28 21:26:53 | Weblog
     米寿の母

 今まで、お袋も、亡くなった親父も、還暦、古希、喜寿、傘寿の祝いは、一度もやったことがなかった。例年の誕生日と同じで、家内が作ったお寿司と食後のショートケーキが恒例のうちの誕生日だった。

10月25日は88歳になるお袋の誕生日。その一週間前、京都にいる妹から電話が入った。「24日、お母ちゃんには内緒で、家族みんなで行くから、米寿のお祝いをしよう。子供たちもサプライズなプレゼントを考えとるから・・・」という電話から、妹家族と、うちの家族でお袋の米寿の祝いをすることになった。

 休みが取れたと言って、大阪から帰っていた三女の菜穂は、古いアルバムを開いて、「おばあちゃんの若い時の写真は?おじいちゃんの写真は?」と言いながらスマホでその写真を撮っていた。「何をしてるの?」と尋ねると「京都の美奈ちゃんに送っとるんじゃ」と

 24日の朝、妹家族が来た。お袋は何事かと思って驚いたようだったが、やはり嬉しかったのか、様々な野菜が早く収穫してと、言わんばかりの畑を孫たちに案内していた。その様子を孫の康士郎が、写真に収めていた。

 夜帰ると、居間には色紙を切り抜きして、「安枝おばあちゃん、おめでとう88」バルーンで“HAPPY BIRTHDAY”お月様やお星様も散りばめられている。これは、幼稚園の先生をしている孫の千賀子が飾りつけをしたという。

 お祝いの食事は、お寿司と、しゃぶしゃぶ。しばらくすると照明が落ちた。テレビの画面からは、菜穂が従姉の美奈子に送っていた写真が。若い頃の親父とお袋、子供の頃の妹と私。親父とお袋は50代から60代にかけてよく旅行に行っていた。北海道の写真、ハワイの写真、グランドキャニオンの写真もあった。親父が最後に行った鹿児島旅行、お袋と成美が一緒に写っている。まだ、半年前は元気だった。これらの映像は高校で情報処理を教えている孫の美奈子が、「喜んでくれる!おばあちゃんのために」とパソコンで編集した。

 妹が買って来たケーキはとんでもなく美味しく、それをいただいた後は、再び照明が落とされた。エンディングは、今日一日の出来事、朝、京都から妹の家族が来て、驚きと喜びが入り混じった写真、畑で、うちの事務所で、今夜の様子の写真もいっぱい。さっきまでのことが次々と画面に映し出された。お袋にとって、この日の全ての出来事がサプライズプレゼントだったに違いない。
 88の手習い麻雀。 栗山の下草を草刈り機で刈る88。1反近い畑を耕運機で耕して、野菜を作り人様に上げるのが好きな88。運転免許返納も考えてはいるのだが、まだ大丈夫な88。一昨年、マツダスタジアムに行った88。また連れて行けと言う88。相撲が好きな88。生の音楽を聴いてピアノとパーカッションが好きになった88。そしてライブが好きになった88。JAZZも聴く88。なんと粋な米寿の母か! 
                            令和2年10月28日        笹原 真二
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 山里の 何もないけど 粋な街、老いも若きも ライブに集う

2020-09-28 19:47:58 | Weblog
  よそ者、馬鹿者、若者

 6月20日、うちの2階Roof-funで、ピアノ谷川賢作、パーカッション宮本香緒理、ボーカル深川和美のライブも、コロナ渦中で、賛否両論はあったものの、来てくれた人達からは、「良かった!次も声を掛けて。」と賛同の声を貰った。

 芳井小学校の校長を務められ退職後は、旧芳井町内で、柚子美人(柚子ジュース)、柚子こんにゃく、柚子みそを、地元の特産にしようと有志の方々と共に活動されている山下先生(72歳)が数日後、事務所にて来られた。

「この前の、ライブは良かった。英語の唄ばかりじゃなく、童謡や、唱歌があったのが良かったなあ。例えば、「深川和美を聴く100人の会」みたいなのを作って、その人たちが5枚チケットを売ってくれたら、3500円のチケット代は2000円にすることが出来る。聴く人が多くなれば、ミュージシャンに、もっと多くの報酬を支払うことが出来る、打ち上げも地元のお店で出来るようになる。そうなればお店も潤う。チケット販売の労力も少なくなる。」という提案を受けた。

 昨年の10月19日、谷川賢作率いるアバウトタイム+ボーカル大塚ひろ子による、地元の芳井生涯学習センターで開いた初めてのライブは500人のキャパに対して約200人。ホールの客席がかなり空いていたのが、勿体無くて仕方無かった。もっと多くの人たちに彼らの音楽を聴いて欲しかった。

 だから、山下先生の提案は、本当に嬉しい提案だった。決して一人がチケットを5枚売れなくても良い、それが3枚でも2枚でも良い。100人が半分50人でも良い。聴きに来てくれる人が多くなれば価格は下げることが出来る。

 山下先生の提案は、形になっていなかったが、21日、再びRoof-funで、ピアノ谷川賢作、パーカッション宮本香緒理、ボーカル大塚ひろ子の、映画音楽をテーマにしたJazzライブを開いた。井原高校の音楽部の生徒も来てくれた。

22日は、地元井原高校で、谷川さん等が同校が昭和3年、1550円で購入した1894年製ドイツのスタインウェイ社のピアノ(昭和3年当時、岡山では500円~1000円で大きな家が建築された。そし平成15年の創立100周年事業でドイツに送って修復)でのCD録音が、井原高校の生徒も3人参加して行われた。

町おこしには「よそ者、馬鹿者、若者」が必要だと言われる。よそ者は清水紹音さん、馬鹿者は、妹尾啓典さん、三宅敏文さんと、陶芸家の茂谷さんと私。今まで若者がいなかったのだが、これを機に井原高校の若者が・・・そればかりか、年寄り?の知恵袋、山下先生もいる。だから、来年の井原でのCD発売記念ライブが楽しみだ。生涯学習センター、もしくはアクティブライフ井原のホールが満席になれば言うことは無い。  令和2年9月28日  笹原 真二

追伸 CD録音には、NHK岡山、山陽放送、テレビ岡山等の取材が入った。当日、夕方のニュースで流れた。驚いたのは後日、NHK鹿児島がこのニュースを流したという。プロと高校生のCD録音は画期的な出来事だったに違いない。
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本当に 暑さ寒さも 彼岸まで? いつまで続く 厳しい残暑

2020-09-03 11:34:52 | Weblog
    キツネノカミソリが早く咲いた

 毎年、8月に入る頃から、キツネノカミソリというオレンジ色の彼岸花に似た花が裏の栗山に咲くのだが、今年は長かった梅雨のせいなのか?植物にも気候変動の影響も出てきて当然なのかもしれない、キツネノカミソリが例年よりも2週間ほど早く7月の中旬くらいから咲き出した。

「お盆を過ぎたら風が変わる」と自分自身に言い聞かせながらお盆前の一番厳しい季節を凌いできた。例年お盆の期間に一度雨が降って、確かにお盆が明けると、吹く風の暑さが少し和らいでいた。しかし今年は逆で、お盆が明けてから連日の猛暑、熱帯夜に悲鳴を上げている。今じゃ、9月に入ったら、あと2週間したら凌ぎやすくなると慰めながら、一日一生の日々を過ごしている。救いは太陽が少し早く落ちるようになったから、その分だけは確かに風は変わってきているのだが、日中は暑い。

 8月12日の突然の雷雨。天気予報通り。それにしても稲光がすごかった。ニュース映像で見るような天を真っ二つに割るんじゃないかと思わせるような稲光と雷鳴。よく考えてみるとあんな稲光と雷鳴を生で見たのは初めてじゃないかと思うくらい凄いものだった。

 お盆過ぎくらいから、ツバメを見なくなった。今年は、3月の末から、本当にたくさんのツバメのファミリーが来てくれた。6月後半に巣が新たに2カ所増えて、計6カ所で子育てをしていた。6月後半から巣を作っての子育てを見たのは初めてのような気がする。

 今年、最初にツバメを見た日は3月16日、初雪が降った日だった。場所は、高梁市備中町平川、標高400mくらいの高原。午前中は現場に行くのを見合わせたが、午後、天気も回復したので行ってみると屋根のブルーシートの上に雪が積もっていた。それ以上に驚いたのは、この寒い平川にツバメが来ていたという事。うちに来たのがそれから10日後だった。

 例年なら、8月の末から、9月の初め、事務所の前の電線にツバメが止まり、4カ月間過ごした我が家の記憶を再確認するかのように、名残惜しそうにしばし時間を過ごし南の空に飛び立っていくのだが、今年はもう見ることが出来ないだろう。こんな状況はうちだけなのだろか?

今年、身近な自然環境が少し早く展開しているような・・・遅かったのは梅雨明けだけ、キツネノカミソリが2週間早く咲き初めた頃から、彼岸花がいつ頃咲くかということが気になっている。どうでもいいようなことかもしれないが・・・
不思議なもので、文字通り彼岸花は彼岸の秋分の日を目指して咲いているような・・・見事なくらい違わないのだ。        
          令和2年8月28日         笹原 真二
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雨の唄、長崎は、今日も雨だった。岡山も同じく雨だった。

2020-07-28 20:07:39 | Weblog
     雨の唄

 ♪ 雨、雨、降れ、降れ、母さんが、蛇の目でお迎え嬉しいな、ピッチピッチ、チャプチャプ、ランランラン♪
 雨の唄を探せば、童謡もポップスも、演歌も数えきれないくらい、いっぱいあるのだけれど、つい口ずさむのは、やはりこの歌だ。

しかし、この歌もあまり聞くことが無くなったような気がする。今の御時世に置き去りにされたのか?その上、気候変動にも置き去りにされてしまって、だからこの歌は60年近く前、幼稚園の頃の風景の唄なのかと思ってしまう。

 ここ数年、毎年のように、日本のどこかで?「50年に一度の豪雨」に見舞われている。2年前は、天災の無い岡山県でも、西日本豪雨で、倉敷市真備町で、小田川の堤防が決壊して、甚大な被害を出した。今年は、熊本県の球磨川が氾濫、人吉市を始めやはり甚大な被害を出した。

大分県の日田市、福岡県の朝倉市などは、「50年に一度の大雨」が、毎年のように降っては、大きな被害を出している。報道も、「50年に一度」とか、「数十年に一度」という表現の仕方も考え直さなければならないのではと、要らぬ詮索をしてみたりもする。

晴天産業に携わって40年近くになるが、今年のような梅雨は初めてだ。例年なら、7月に入っての2週、14、5日あたりまで、梅雨の最後の大雨が降って、その後はカンカン照りの真夏日になる。晴天産業にとって、一番厳しい季節に入って行くのだが、今年は超長雨の梅雨、降り方がおかしい。

天気予報も未だに、曇りマークと傘マークが続いている。30日木曜日からやっとお日様マークが付いた。結果、7月の雨が降った日は、延べで15日を数え、weekdayで現場に出ることが出来なかった日が8日もある。言わば8日間は、日中ずっと雨が降っていたということだ。

この地域において今年は、確かに大きな災害は起こらなかった。しかし、我々のような屋根の上で仕事をするような業種においては、「50年に一度?の長雨」は少々痛かった。コロナ渦中で景気が下向く中の今回の長雨。それでも、熊本県の人吉市、八代市、大分県の日田市のような甚大な被害に比べれば、屁みたいなものだ。

♪ あらあら、あの子は、ずぶ濡れだ、柳の根方で泣いている、ピッチピッチ、チャプチャプ、ランランラン♪

♪ 母さん、僕のを、貸しましょか、きみきみ、この傘さしたまえ、ピッチピッチ、チャプチャプ、ランランラン♪

♪ 僕なら、いいんだ母さんの、大きな蛇の目に、入ってく、ピッチピッチ、チャプチャプ、ランランラン♪ (あめふり 大正14年、95年前の唄)
          
 令和2年7月28日       笹原 真二
コメント

長雨も、ここまで来れば お手上げだ 災害無いが 仕事は出来ぬ

2020-07-14 07:26:19 | Weblog
晴天産業に従事して40年近くになりますが、こんな梅雨の長雨は初めてですね。日本国中で、毎年50年に一度の豪雨がどこかできています。今年は熊本県の人吉が酷い災害に見舞われていますが、大分県の日田、福岡県の朝倉は、3年前も大きな被害があり、今回も酷いことになっています。
 
 幸い、うちの地域では2年前の西日本豪雨のようなことにはなっていませんが、こんな長雨で仕事が出来ないというのは、最初に書きましたが、初めての体験です。7月3日の金曜日からの雨で7日火曜日まで現場仕事は止まり、8~9日は、どうにか現場仕事は出来たものの翌10日は雨。11日の土曜日も9時頃まで雨で上がってからの9時半頃から現場仕事をしましたが、歩留まりの悪いこと。

 そして今週、13日も丸一日雨、今日は、朝6時以降は雨が上がるのではと期待していましたが、午前中はどうも雨模様です。6時には警戒レベル4が出ていましたが、今は3になっています。
 
 今までの経験から言うと7月の2週まで、雨は降る。それ以降は真夏の炎天下での仕事だったのですが、今週も明日以降17日までは曇り、18、19日と曇りと傘マークが出ていました。一体どんな梅雨、どんな夏がやってくるのでしょうか?
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