甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

 夜も更ける 幼なじみの 思い出は、嘘か誠か 夢幻か

2018-02-14 22:51:57 | Weblog
2月の4日から、本当に寒い日が続きました。二十数年前?から暖冬が続いたでしょうか?とにかく寒い冬は久しぶりです。子供の頃はよく冬には雪が降っていたし、だから竹を切ってきてはその竹を半分に割って焚火であぶって、武スキーを作ったり、板で箱を作って竹スキーを取り付けて雪ソリにしたり、そんな冬の思い出があるから、やはり冬は寒い方が好きなのですが・・・
 とは言いながら、あんまり寒いと晴天産業の我々にとっては、あんまり寒いと仕事はやりにくくなるし、昔の頃のように雪が降ろうものなら、仕事は全くできなくなるから困るのですが・・・
 
 先日の11から12日の連休で、芳井中学校の同級生7人で、兵庫県の香住へ、蟹を食べに行ってきました。5年くらい前から、毎年この時期、一泊で美味しいものを食べに香住へ行ったり、島根県の温泉津温泉へ行ったりしているのですが、還暦を迎えても、幼馴染が集まれば、中学生までには戻れませんが、20代には戻れますね。

 昨年の12月、還暦同窓会の案内の電話を、私たちが中学3年生になった時に、新卒の体育教師で来られた花岡茂先生にしたところ、「6年前にに亡くなりました。」と奥さんが言われ、驚いたのですが「近いうちに、お墓参りをさせてください。」と電話で伝え・・・
 
 11日、玉野の花岡先生の家に行って、みんなでお墓参りをしてから香住に行こうと、いう事で玉野に車を走らせました。1時間半ほどかかって、玉野へちょうど10時頃だったでしょうか?家の方について、皆で仏壇に手を合わせ、60歳ころの遺影は少し頭は薄くなっていましたが、」先生の面影がしっかり残った優しい顔がありました。お茶を頂いてからお墓参りをして花岡先生の家を後にしました。

 天気予報は日本海側は寒波到来、大雪が降ると言っていましたから、山陽高速に乗って播但道で和田山まで、ここでも雪は無かったのですが、豊岡から、香住行く途中から・・・但馬空港あたりものすごい雪がありました。5時頃宿に着きましたが、雪はまだ降っていませんでした。夕食の頃から降り出しましたね。

 朝起きると車の屋根には20cm位の雪が積もって、なおかつどんどん降ってくる。雪をほとんど見ない我々にとっては、最高の非日常を味合うことが出来て、だから日本海側を走って鳥取から津山に抜けて帰ろうと私は思ったのですが、後の6人は、豊岡へ抜けて来た道を帰ろうという意見、多勢に無勢皆の言う通り播但道、山陽高速を橋って、芳井まで帰ったのは午後5時過ぎ、やはりそれでよ良かったのでしょう?もし鳥取廻りだと返ったのは午後8時?くらいだったかもしれませんね。

 それにしても、蟹を食べ終わって、部屋飲み座談会は、昔の事をよく覚えている、要らんことだけは記憶力の良い人がいるんですね。それを腹を抱えて笑いながら、どうでも良いようなことに小さな喜びを感じることができることが幸せだなと皆が感じたのではないかなと思いました。
 参加者は地元から柳本益裕 多賀浩二 榊原俊英 松井元司 大阪から高橋忠弘 広島県三次から河合昭二が初参加 それに私。河合昭二は12日、朝食後、三次の奥様に電話でラブコールついでに「来年からレギュラーになります。」と宣言・・・
コメント
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