甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

感性の声 小さな決意 初めの一歩 持続可能な 人のマインド

2022-05-29 17:23:31 | Weblog
    最後の講義 吉岡秀人 感性の声を聞け

 3月13日、NHKの「最後の講義・吉岡秀人」という番組では、ジャパンハート(ミャンマー・カンボジア等発展途上国で医療活動・原資は寄付)の代表で医師の吉岡秀人先生の講義を、高校生から大学、一般社会人17名が受講した。
 
 1965年、吉岡秀人、大阪市吹田市に生まれる、第二次世界大戦が終わって20年。20年前に生まれていたら、毎日爆弾が降っていた。

 1970年、吹田駅の地下道には、何人もの人が物乞いをしていた。その人たちは同じ軍服を着て、手や足が無かった。方や、同じ街で、アジアで初めての万国博覧会が開かれ、毎日がお祭り騒ぎだった。

 中学生の頃に気づいた。人間というのは、わずかな時間と空間のズレで人の運命は変わるんだと言うことを。20年前に生まれていたら戦争。わずか1時間くらい飛行機に乗っていったところで生まれていたら軍事政権であったり、飢餓であったり、いろんなことに巻き込まれていた。そのことに気がついたとき、もったいないなと思った。恵まれていると思った。それでもサボるんです。
 
 高校時代は全く勉強していなかった。大学受験に失敗。予備校の試験にも5回落ちた。友達の家で大学案内を開いたとき、医学部のページが。それを見たとき「俺でも、行けるかもしれない。」なぜそう思ったか分からない。そう思ったとき、子供の頃の情勢だとか社会のむずかし境遇だとかが、自分の中でスパッと重なった。医者になればこういう人たちの為に働ける。
 
 二浪して大分岡大学に入学。大阪、神奈川で救急救命医として働いた後30歳で単身、ミャンマーに向かう。空き家を格安で借り受け、無償で診療を始める。噂だけが広まって、朝の5時過ぎから診療、午後は巡回医療、夕方5時頃に帰ってきて夜の12時頃まで診療という日が毎日続いた。

 そのうち「手術をしてくれ」という要望が出てきた。「人間って、いいわけ得意じゃないですか。」「こんなところで、電気は2時間しか来ない。手術の道具は?感染症は?」僕は、こういう人達を助けたいから医者になったのではないか?そんな時、自分の中にふと降りてきた言葉「それで、お前、どうする?」

「進むか?去るか?止まったままになるか?」進もうと思った。手術をやると決めた。部屋を改造し、窓をたくさん付けて、電気は2時間しか来ない。スタッフに10個の懐中電灯を持ってもらって、部屋は閉め切っているから40度以上になる。汗びしょびしょになるけど手術は出来るんです。そうやって初めての手術にこぎ着けた。今では私の仲間達が年に数千件の手術をやるようになっています。でも最初の一歩は、ここだったと思うんです。「それでも、前に進もうと思った小さな決意」

 命を助けることって、すごく大切なことですよ。でもそれだけじゃ無くて、医療機関に来る前と後で、「少しでも患者の人生の質を上げる」ことが、医療の役目だと分かった。
 
 サステナビリティ(持続可能性)ミャンマーに入った頃から、いろんな国際機関から、コンタクトがあった。僕がやっているのは医療、大きな団体がやっているのはヘルス、保健。その人たちから言われたのは「先生のやっていることは、サステナブルではない。先生がいなくなったら元に戻る。だから僕らと一緒にやりませんか」と言われたけど、彼らの言うことを聞かなかった。
何故かというと、日本では、医療者たちが病院で一人一人、診て助けている。なんで途上国に来たらそんな言われ方をするのか?違和感があった。あれから25年以上経つが、彼らのやっていたことはきれいに無くなっている。でも僕のやっていることは続いている。
 
 何故、あれほどサステナブルじゃ無いと言われた僕の活動が続いているのか?僕は、最初、医療を受けられない人、困っている人を助けたいと言ってミャンマーに行ったじゃないですか。その後に来る人がみんな同じこと言うんですよ。医療を受けられない人、困っている人を助けたいと。

 困っている人を助けたい、つらい人たちの力になりたいと思うのって、そういうマインドって人間が生まれたときから持っているものじゃないですか?僕らに本性として備わっているものなのです。それがずっと続いて僕らの活動は続けて来られた。人を助けたい、困っている人の力になりたいと思うマインドほどサステナブルものはない。
 
 何故、こんなに長く、この活動続けて来られたのか?その答えは非常にシンプルです。それは、あらゆる行動全て、自分の為にやっているからです。そのことをずいぶん前から自覚していました。勿論先ほど言ったように結果的に他人の為になっています。自分がしたくてやっている。だからつらいことでもやることが出来るんです。  
    3月13日、日曜日NHK「最後の講義 吉岡秀人」から抜粋。        令和4年5月28日   笹原 真二

追伸   10年位前、名古屋の江場さんの会社のシンポジュームで、吉岡先生の講演を聴いた。そのときの忘れられない話が二つある。一つは「医療とは、その人の生活の質を上げること」今回の講義でも言われていた。

 そしてもう一つ、ミャンマーでは、手術が出来ない小児癌の子供を連れて帰国されたことがある。先生が以前勤務されていた倉敷の川崎医科大学付属病院。手術が無事終わり何日か過ぎた頃、婦長が、今現在、手術代、入院費で300万円くらいになっていると。退院も近くなり自分が働いて返すしか無いと思っていたところへ、院長が、病院の食堂へ昼飯を誘ってくれた。「入院費いくら出せる。」「これでどうだ」と三本指を立ててくれた。「300万円ですか」というと院長は首を振り、「じゃあ30万円ですか」というと「3万円にしておく・・・」本当に心温まる素敵な話だった。
コメント
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