23日、小倉で、全国瓦工事業連盟の総会がありました。岡山県の技術委員長ということで出席しましたが、当日の懇親会を中座して、私が大東文化大学の2年生の時の陸上競技部の主将で北九州の安川電気マラソンをしていた森田さんと久しぶりに再会。創作料理「やす多」というお店だったと思いますが、そこでごちそうになりました。本当に口に入れるものがすべておいしかったですね。もしかして生涯最高のおいしさだったかもしれません。そんなおいしい料理をいただきながら、気持ちだけは大学時代にタイムスリップ。しかし話す内容は健康のこととか、やはり今の生活のこと、森田さんの息子さん、娘さんは結婚して、お孫さんも出来ていてスマートホンの中には写真がいっぱい。娘さんのほうのお孫さんは男の子で、「元気が良すぎてベランダからダイブしたり、階段から落っこちたりして大変なんだ」とのこと、娘さん、息子さんは横浜、千葉にいて共働きで、奥さんはよく子育ての応援要請があって行くんだということでした。うちの方でも時々聞く話で、そういう年代になったらみんな同じなんですね。
翌24日は、やはり大学の同級生、主将をしていた現在鹿児島実業高校の進路指導をしている吉元がJFKの入社説明会に福山へ来て1年ぶりの再会。来るや「墓参りに行こう」とうちの墓へ。普通なら花立てに水をたすだけで帰るのに「お前、そんな参り方じゃダメだ。心が籠ってない」と言って水場まで花を持って行って茎を1本1本きれいに洗って再び花立てに。その夜は昨夜同様、気持ちだけ学生時代にタイムスリップ。60歳前になっても青春を楽しみました。
森田さんと、吉元、2人ともハートで走る選手でした。森田さんが3年の時の箱根駅伝の2区早稲田の瀬古にピッタリくっ付かれてペースメーカーにされながらどうにか振り切りましたが、レース後「瀬古はやっぱり強いなあ」4年の時は体調が万全でない状況でしたが、エース区間の2区をもがきながらハートで走っていました。また、4年生の関東インカレ、前半に行われた30kmで惨敗、翌週の1日目の5000mで3位に入ったものの、ちょっと体が触れたくらいなのにインターフェアで失格に。そんなレースではなかったのを38年前のこと、今でも覚えている。翌日の10000mではインカレ3種目、疲労困憊の中、意地のレースで5位に。今でも忘れることはありません。吉元は3年の時のやはり関東インカレ1500m牽制し合って400m70秒、800m2分20秒、今だと中学1年生でもこんな遅いラップは刻まないと思います。1000mまでこのペースで行ってラスト500mのスパート合戦。確か、中村(日体大)新宅(日体大)山口(青学)小川(日大)吉元(大東)瀬古(早稲田)だったと思うのだが・・・面白い忘れられないレースでした。箱根でも疲労がたまっているのが見て取れる中のレースでもやはりハートで持っていきました。私は端にも棒にも引っかからなかったけど、身近で、森田さんや吉元の試合を見れたことは本当に貴重な経験でした。
翌24日は、やはり大学の同級生、主将をしていた現在鹿児島実業高校の進路指導をしている吉元がJFKの入社説明会に福山へ来て1年ぶりの再会。来るや「墓参りに行こう」とうちの墓へ。普通なら花立てに水をたすだけで帰るのに「お前、そんな参り方じゃダメだ。心が籠ってない」と言って水場まで花を持って行って茎を1本1本きれいに洗って再び花立てに。その夜は昨夜同様、気持ちだけ学生時代にタイムスリップ。60歳前になっても青春を楽しみました。
森田さんと、吉元、2人ともハートで走る選手でした。森田さんが3年の時の箱根駅伝の2区早稲田の瀬古にピッタリくっ付かれてペースメーカーにされながらどうにか振り切りましたが、レース後「瀬古はやっぱり強いなあ」4年の時は体調が万全でない状況でしたが、エース区間の2区をもがきながらハートで走っていました。また、4年生の関東インカレ、前半に行われた30kmで惨敗、翌週の1日目の5000mで3位に入ったものの、ちょっと体が触れたくらいなのにインターフェアで失格に。そんなレースではなかったのを38年前のこと、今でも覚えている。翌日の10000mではインカレ3種目、疲労困憊の中、意地のレースで5位に。今でも忘れることはありません。吉元は3年の時のやはり関東インカレ1500m牽制し合って400m70秒、800m2分20秒、今だと中学1年生でもこんな遅いラップは刻まないと思います。1000mまでこのペースで行ってラスト500mのスパート合戦。確か、中村(日体大)新宅(日体大)山口(青学)小川(日大)吉元(大東)瀬古(早稲田)だったと思うのだが・・・面白い忘れられないレースでした。箱根でも疲労がたまっているのが見て取れる中のレースでもやはりハートで持っていきました。私は端にも棒にも引っかからなかったけど、身近で、森田さんや吉元の試合を見れたことは本当に貴重な経験でした。