61年ぶりの再出発
61年前、昭和31年の9月に、親父がセメント瓦の製造販売、笹原洋瓦工業所を立ち上げた。物心ついたころには、砂とセメントをスコップで練っては、瓦の木型に入れて手刷りでコツコツと瓦を作る親父がいた。
砂置き場へ新しい砂が入ると一時の潮干狩り。時にアサリが入っていた。仕事が無かったのだろう?昼間から小田川で魚釣り、夜はガス灯とヤスを片手に、腰には魚籠を付けて夜ぼりに行く、魚は寝ているから獲れる。獲った魚は食卓に上がる。梅雨から秋にかけて雨で川が増水すれば、親父は大きなタイマツという三角の網を担いで腰のあたりまで水に浸かりながら鰻を獲りに行っていた。この鰻が殊の外美味かった。小学校3年生くらいまでの思い出だ。
小学校3年生の時、鹿児島からプレスで圧力を掛けて瓦を作る機械を購入。高度成長の波に乗って仕事は忙しくなる。夜ぼりもタイマツも行かなくなった。それは、どこの家庭でも同じだった。
以前は忙しい時に、アルバイトが手伝いに来ることがあったが、プレスを導入してから、少しずつ従業員やアルバイトの人達が増えてきて、中学生の頃には、従業員は10人くらいになっていた。
34年前に帰る。運が良いことに、縁あって京都の甍技塾徳舛瓦店の現場(西教寺、立専寺 広島県)に入らせてもらう事ができ、社寺瓦のいろはを教えてもらう。狂気のバブル景気に翻弄されながら従業員は16名まで膨れ上がった。
その後の景気後退も経験しながら試行錯誤を繰り返した。運が良いことに武速神社、胎蔵寺、甲奴神社等、極めつけは2年前の妙政寺の仕事にも恵まれ、少しずつ目指す仕事の方向性も固まってきて少し自信も持ち始めていた。
しかし、3~4年前からの急激な少子高齢化に伴う井原地区の過疎化は、自分が感じていた以上の速さで進み営業状況は後手に回るようになる。
今年の初め、6名で出発したが、定年退職、体調不良を始め、「独立したい」「長距離トラックの運転手になりたい」等、一人また一人と辞めて行く。私に対して「NO」を突きつけられているような・・・これからへの不安も感じた。
そんな中、これは、「川の流れ」がそうなっているんだと。そうであれば「事業縮小」「業態転換」一人にはお盆前「新しい仕事を見つけて欲しい」とお願いした。当てのない訪問販売の営業もやらなくてよい。新たな再出発!幸い、日本国中、どこの瓦屋に出しても恥ずかしくない妹尾英明がいる。彼がいるだけで、確実に岡山では一番技術力のある瓦屋だ。むしろ、これからが楽しみだ。
運が良いことに、来年の3月にはお寺の山門の工事も決まった。当てのない営業も楽しみになってきたような・・・61年ぶりの再出発?竹原ピストルの歌「カウント10」が応援歌だ。「カウント9までは神様に数えられてしまうけど、カウント10だけは僕は絶対数えない。」 2017年9月28日 笹原 真二
61年前、昭和31年の9月に、親父がセメント瓦の製造販売、笹原洋瓦工業所を立ち上げた。物心ついたころには、砂とセメントをスコップで練っては、瓦の木型に入れて手刷りでコツコツと瓦を作る親父がいた。
砂置き場へ新しい砂が入ると一時の潮干狩り。時にアサリが入っていた。仕事が無かったのだろう?昼間から小田川で魚釣り、夜はガス灯とヤスを片手に、腰には魚籠を付けて夜ぼりに行く、魚は寝ているから獲れる。獲った魚は食卓に上がる。梅雨から秋にかけて雨で川が増水すれば、親父は大きなタイマツという三角の網を担いで腰のあたりまで水に浸かりながら鰻を獲りに行っていた。この鰻が殊の外美味かった。小学校3年生くらいまでの思い出だ。
小学校3年生の時、鹿児島からプレスで圧力を掛けて瓦を作る機械を購入。高度成長の波に乗って仕事は忙しくなる。夜ぼりもタイマツも行かなくなった。それは、どこの家庭でも同じだった。
以前は忙しい時に、アルバイトが手伝いに来ることがあったが、プレスを導入してから、少しずつ従業員やアルバイトの人達が増えてきて、中学生の頃には、従業員は10人くらいになっていた。
34年前に帰る。運が良いことに、縁あって京都の甍技塾徳舛瓦店の現場(西教寺、立専寺 広島県)に入らせてもらう事ができ、社寺瓦のいろはを教えてもらう。狂気のバブル景気に翻弄されながら従業員は16名まで膨れ上がった。
その後の景気後退も経験しながら試行錯誤を繰り返した。運が良いことに武速神社、胎蔵寺、甲奴神社等、極めつけは2年前の妙政寺の仕事にも恵まれ、少しずつ目指す仕事の方向性も固まってきて少し自信も持ち始めていた。
しかし、3~4年前からの急激な少子高齢化に伴う井原地区の過疎化は、自分が感じていた以上の速さで進み営業状況は後手に回るようになる。
今年の初め、6名で出発したが、定年退職、体調不良を始め、「独立したい」「長距離トラックの運転手になりたい」等、一人また一人と辞めて行く。私に対して「NO」を突きつけられているような・・・これからへの不安も感じた。
そんな中、これは、「川の流れ」がそうなっているんだと。そうであれば「事業縮小」「業態転換」一人にはお盆前「新しい仕事を見つけて欲しい」とお願いした。当てのない訪問販売の営業もやらなくてよい。新たな再出発!幸い、日本国中、どこの瓦屋に出しても恥ずかしくない妹尾英明がいる。彼がいるだけで、確実に岡山では一番技術力のある瓦屋だ。むしろ、これからが楽しみだ。
運が良いことに、来年の3月にはお寺の山門の工事も決まった。当てのない営業も楽しみになってきたような・・・61年ぶりの再出発?竹原ピストルの歌「カウント10」が応援歌だ。「カウント9までは神様に数えられてしまうけど、カウント10だけは僕は絶対数えない。」 2017年9月28日 笹原 真二