甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

8月のマンスリー

2013-08-29 20:48:02 | Weblog
     四十九日の雑魚寝
 6月22日、親父が亡くなると、床の間に祭壇が作られた。翌日の葬儀が済むと骨壷が置かれる。どれもこれも初めての体験に戸惑うような・・・まさか自分の家でこんなことをするようになるとは夢にも思わなかった。一月前、主治医からは、「余命、一月、今日、逝ってもおかしくない状況」と告げられていたにもかかわらず、全く想像することは出来なかった。
京都の方では、亡くなった人が一人では寂し思いいをするから、納骨までの四十九日の間、家族は祭壇が飾られている部屋に布団を敷いてみんなで雑魚寝をするという話を妹から聞いていた。
葬儀の終わった6月23日、親父に寂しい思いをさせてはいけないと、前日の通夜で襖を取り外したままの和室の続き間に布団を敷いた。その時、何故だか分からないが、小学校の修学旅行のことが思い出された。あの時も、襖が取り外された大部屋に布団が敷いてあった。さらに思い出されたことがあった。それはもっと小さいころ、親戚のおじさんや、おばさん、従兄弟たちがきて、布団を敷きつめて雑魚寝をした。雑魚寝は楽しかったという淡い思い出が甦った。
以前の家は、2階住まい(1階は瓦工場)で絵に書いたような田の字の間取り、襖を取り払えば30畳くらいあった。個室にするには襖を閉めるしかなく、子供心にもかっこ悪い家だと思っていた。そんな家でも、みんなよく遊びにきてくれた、今に思えば面白い家だった。
最近の家には和室が少なくなってきている。畳がある部屋は一部屋というのも決して珍しくない。仕切られた部屋では、家族の中でもプライバシーが守られている?これはけっして良いこととは思わないのだが・・・
うちは30年前に建てた家だから、十畳と八畳の和室の続き間がある。当時、葬祭会館など無く葬儀は自宅で行うのが当たり前、そうであれば、和室の続き間は絶対必要な間取りだった。40~50年前であれば、結婚式も家で行われていた。昔の茅葺の家は、以前のうちの間取りと同じ、田の字の間取りに南側には広縁があって、そこでお年寄りは、日向ぼっこをしてはよくお茶を飲んでいた。
生活スタイルの洋風化も手伝って、うちでも床の間に入ることも少なくなっていた。しかし、親父が亡くなってから、あまり使うことが無かった床の間で、家族みんなが雑魚寝した。入院中「帰りたい。帰りたい」と言っていた親父。親父が一生懸命磨きあげた自慢の床の間には、目を覚ませば、親父の前には、お袋がいる。親父の膝の上にちょこんと座ってテレビを見ていた孫たちは、いつのまにか大きくなってそこで眠っている。
四十九日の間、親父と家族みんなで、あのなつかしい雑魚寝を楽しみながら同じ時間を過ごすことができた。
     2013年8月28日             笹原 真二
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父を亡くしてその偉大さを今頃知る親不孝者 (村の遊び人)
2013-09-13 08:58:04
7月27日、父の命日に一周忌を終え続けて初盆まで無事に済ませることが出来ました。 父が亡くなってからずっと父の偉大さを今さらながらに感じている親不孝者です。 近いうちに佐賀の親不孝者と一緒に伺わせて頂きます。
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