甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

気忙しい つるべ落としの 夕暮れは 赤い夕日を 見ることもなし 

2022-10-28 21:28:45 | Weblog
  野田元総理の追悼演説

 安部晋三元総理大臣の追悼演説は、当初、甘利明前幹事長がするのではないかという報道があったが、第一次安倍内閣の直前の総理大臣を務めた野田佳彦元総理に決まったというニュースを見て、いい人選だなと思った。

 民主党も、立憲民主党も指示するの政党では無かったが、地味な感じがする野田さんには好感を持っていた。朴訥として安定感があるように感じられた。それは、民主党の鳩山由起夫、菅直人の直後に総理を務めたから、余計にそう感じられたのかもしれない。野田さんは指示する政治家だった。

 野田さんが首相を務めていた、平成24年11月14日の党首討論は今でも思い出すことが出来る。「16日に解散しますよ。」「総理、本当ですか?本当ですか?」と浮き足だったような安部さん。党首討論の勝負は野田さんが勝った。

 野田さんは、負けると分かった選挙にあえて、当時の膠着した政治状況を動かすために解散すると宣言した一場面だった。だからこそ追悼演説は野田さんが良いと思った。その追悼演説では、うかがい知ることの出来ない安部さんと野田さんのエピソード、総理大臣を経験した者でしか分からない重圧と孤独、激務の一端を見ることが出来た。そして野田さんの一言、一言に共感した。

「戦う政治家だったが、国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもあった。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居であなたの親任式に立ち会った。控え室は静まりかえり、気まずい沈黙だけが支配する。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは安部さんだった。「お疲れ様でした。野田さんは安定感がありました。あの、ねじれ国会をよく頑張り抜きましたね。」

 残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。あのときの安部さんの優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。
 
 第一次政権の終わりに、失意の中であなたは、傷ついた心と体にむち打って入院先の慶応病院から、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。わずか一年で辞任を余儀なくされた事は、誇り高い政治家に取って耐えがたい屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね・・・」

 追悼演説だから、負の遺産に関しては触れることは無い。日本の最高責任者を経験した者でしか分からない安部総理の功績を知ることが出来た。そして最後に、全国会議員に対して「真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか・・・」

 25日の夜のニュースは、野田さんの追悼演説で持ちきりだった。私は名古屋の江場さんに「やはり、野田元総理は、違いますね!というメールを打った。翌日の返信「真ちゃん、同感です!」 
                              令和4年9月28日    笹原真二
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