西日本豪雨
梅雨と言うと6月というイメージがあるかもしれないが、実際には7月に入って1週から2週にかけて強い雨がよく降る。この強い雨が上がって梅雨明け宣言がなされ、炎天下の夏が始まる。
6月の雨は、丸一日降った日が延べで7日間、半日が1日と、例年とあまり変わらなかったように思っていた。それどころか6月の末の予報では、7月の第一週は全て晴れマークが付いていた。今年の梅雨明けは例年よりも早いのかな?と思っていた。ところが、7月1日の日曜日の夜の予報では、翌2日から全て傘マーク。一体前日の予報は何だったのか?疑いたくなるような天気予報となった。
2日は降らなかったものの、3日からは雨、例年通り、梅雨明け前のまとまった雨が始まったと思っていた。しかし、天気予報は6~7日と非常に強い雨が降ると警告のような予報を繰り返し出してきた。
5日、強い雨が一日中降り続いた。夜には、避難勧告が出された。組内の80歳台の老夫婦松井さんの家に行き、「避難勧告が出たから、次の指示で、避難するような時には、迎えに来るから避難する準備だけはしておいてください。」と伝える。家に帰って20分くらいしただろうか?ピンポンが鳴る。玄関に出てみると松井さん夫婦が「今から、避難しておく。」と言って来られたので、農協会館まで案内した。結果、この日は避難指示まで出なかった。松井さん夫婦は避難所に一夜を過ごした。
6日も一日中強い雨が降った。夕方船穂町の内藤屋敷の雨漏り修理に行く。あの大惨事となった真備町を通って。帰ってみると小田川の水位は異常に上がって、午後7時頃には避難勧告が、8時前には避難指示に変わる。組内の家を回って避難を促す。電話の繋がらない長女成美が勤めるヤマダ電機に行った。「帰る時は会社の事務所へ帰れ。2階にお祖母さんがいるからそこで避難しろ」と店長に伝言してもらう。
9時前に帰宅、川の濁流は見たこともない勢いと、橋げたすれすれまで増水している。消防団員が、灯りの付いている家を回って避難を呼びかけている。
9時半、避難所に入った27人目だった。11時前、小田川に掛かる金毘羅橋が通行止めに、簗瀬のセブンイレブンが浸水、与井の冨士ベークライト㈱が浸水、国道313が崩落、一時期芳井町が孤立した。福山№の車も農協会館に避難。12時頃には避難者は60名を数えた。
幸い一夜だけ避難所で過ごした。雨も12時頃を境に峠を越した。
7日朝、少しだけ濁流の水位も下がっていた。井原まで行ってみると、簗瀬のセブンイレブンはかなり被害を受けていた。道路の水も完全に は引いていなかったが、歩道に乗り上げている車もあった。それでも少しだけ安心した。
テレビをつけてみると、前日の夕方、通った真備町が水没している。まるで東日本大震災を見ているような映像が、どのチャンネルを回しても映し出された。広島でも4年前の豪雨の再来、被害も甚大。福山では3歳の女の子が行方不明。井原市でも、家が土砂に押しつぶされ、48歳の主婦の方が亡くなった。
9日から、また日常が始まった。豪雨前に瓦を解体して、ルーフィングを貼って、シート養生だけで過ごしてもらっていた笠岡の内山さんに入る。幸いあの豪雨でも雨漏りは無かった。
高屋の街では浸水した家の人たちが、土砂を土嚢に入れる作業。そんな中、車を走らせ内山さんへ向かった。「気の毒だな」という屁のツッパリにもならない気持ちだけ残しながら・・・
「決して対岸の火事ではない」「決して他人ごとではない。」
2018年7月28日 笹原真二
追伸Ⅰ
あの豪雨から、お見舞いのメール、電話、一体何人の人からもらっただろうか?新潟の高橋、長崎の立石、福岡の森田さん、熊谷裕ちゃん、熊本の佐藤さん、鹿児島の吉元、埼玉の石川さん、柿沼さん栃木の神山、金原さん、名古屋の江場さん、竹村さん、久保田さん、東京の片寄さん、真奈さん、森本さん、群馬の佐藤さん、飯沼さん、大分の長峰さん、沖縄の仲尾さん、島根の佐々木さん、小川さん、高校時代の同級生竹内、北海道の親戚、大阪の親戚、本当に多くの方からお見舞いの言葉を頂いた。
追伸Ⅱ
一晩だけ、避難所で過ごした。畳の間で、毛布もあった。雑魚寝は当然だけれど、やはり寝苦しいというか?これが続けば、かなりストレスが溜まるだろう。真備町の人たちはまだこれが続いている。また、酷暑の中の跡片付け、ボランティアの人たちが多く支援に入られているというが、本当に頭が下がる思いだ。
追伸Ⅲ
今回の西日本豪雨と命名された大災害は、自然災害は皆無と言っても良いと思っていたこの地方も、例外ではないことを改めて思い知らされた。明日は、台風が東から来るという。こんな天気図は見たことが無い。例外中の例外だ。温暖化で、2100年は40度を超える暑さが日本を襲うと先日、NHKが特集をしていた。世界中で異常気象が起こっている現実がある。これから地球はどうなっていくのだろうか・・・・
梅雨と言うと6月というイメージがあるかもしれないが、実際には7月に入って1週から2週にかけて強い雨がよく降る。この強い雨が上がって梅雨明け宣言がなされ、炎天下の夏が始まる。
6月の雨は、丸一日降った日が延べで7日間、半日が1日と、例年とあまり変わらなかったように思っていた。それどころか6月の末の予報では、7月の第一週は全て晴れマークが付いていた。今年の梅雨明けは例年よりも早いのかな?と思っていた。ところが、7月1日の日曜日の夜の予報では、翌2日から全て傘マーク。一体前日の予報は何だったのか?疑いたくなるような天気予報となった。
2日は降らなかったものの、3日からは雨、例年通り、梅雨明け前のまとまった雨が始まったと思っていた。しかし、天気予報は6~7日と非常に強い雨が降ると警告のような予報を繰り返し出してきた。
5日、強い雨が一日中降り続いた。夜には、避難勧告が出された。組内の80歳台の老夫婦松井さんの家に行き、「避難勧告が出たから、次の指示で、避難するような時には、迎えに来るから避難する準備だけはしておいてください。」と伝える。家に帰って20分くらいしただろうか?ピンポンが鳴る。玄関に出てみると松井さん夫婦が「今から、避難しておく。」と言って来られたので、農協会館まで案内した。結果、この日は避難指示まで出なかった。松井さん夫婦は避難所に一夜を過ごした。
6日も一日中強い雨が降った。夕方船穂町の内藤屋敷の雨漏り修理に行く。あの大惨事となった真備町を通って。帰ってみると小田川の水位は異常に上がって、午後7時頃には避難勧告が、8時前には避難指示に変わる。組内の家を回って避難を促す。電話の繋がらない長女成美が勤めるヤマダ電機に行った。「帰る時は会社の事務所へ帰れ。2階にお祖母さんがいるからそこで避難しろ」と店長に伝言してもらう。
9時前に帰宅、川の濁流は見たこともない勢いと、橋げたすれすれまで増水している。消防団員が、灯りの付いている家を回って避難を呼びかけている。
9時半、避難所に入った27人目だった。11時前、小田川に掛かる金毘羅橋が通行止めに、簗瀬のセブンイレブンが浸水、与井の冨士ベークライト㈱が浸水、国道313が崩落、一時期芳井町が孤立した。福山№の車も農協会館に避難。12時頃には避難者は60名を数えた。
幸い一夜だけ避難所で過ごした。雨も12時頃を境に峠を越した。
7日朝、少しだけ濁流の水位も下がっていた。井原まで行ってみると、簗瀬のセブンイレブンはかなり被害を受けていた。道路の水も完全に は引いていなかったが、歩道に乗り上げている車もあった。それでも少しだけ安心した。
テレビをつけてみると、前日の夕方、通った真備町が水没している。まるで東日本大震災を見ているような映像が、どのチャンネルを回しても映し出された。広島でも4年前の豪雨の再来、被害も甚大。福山では3歳の女の子が行方不明。井原市でも、家が土砂に押しつぶされ、48歳の主婦の方が亡くなった。
9日から、また日常が始まった。豪雨前に瓦を解体して、ルーフィングを貼って、シート養生だけで過ごしてもらっていた笠岡の内山さんに入る。幸いあの豪雨でも雨漏りは無かった。
高屋の街では浸水した家の人たちが、土砂を土嚢に入れる作業。そんな中、車を走らせ内山さんへ向かった。「気の毒だな」という屁のツッパリにもならない気持ちだけ残しながら・・・
「決して対岸の火事ではない」「決して他人ごとではない。」
2018年7月28日 笹原真二
追伸Ⅰ
あの豪雨から、お見舞いのメール、電話、一体何人の人からもらっただろうか?新潟の高橋、長崎の立石、福岡の森田さん、熊谷裕ちゃん、熊本の佐藤さん、鹿児島の吉元、埼玉の石川さん、柿沼さん栃木の神山、金原さん、名古屋の江場さん、竹村さん、久保田さん、東京の片寄さん、真奈さん、森本さん、群馬の佐藤さん、飯沼さん、大分の長峰さん、沖縄の仲尾さん、島根の佐々木さん、小川さん、高校時代の同級生竹内、北海道の親戚、大阪の親戚、本当に多くの方からお見舞いの言葉を頂いた。
追伸Ⅱ
一晩だけ、避難所で過ごした。畳の間で、毛布もあった。雑魚寝は当然だけれど、やはり寝苦しいというか?これが続けば、かなりストレスが溜まるだろう。真備町の人たちはまだこれが続いている。また、酷暑の中の跡片付け、ボランティアの人たちが多く支援に入られているというが、本当に頭が下がる思いだ。
追伸Ⅲ
今回の西日本豪雨と命名された大災害は、自然災害は皆無と言っても良いと思っていたこの地方も、例外ではないことを改めて思い知らされた。明日は、台風が東から来るという。こんな天気図は見たことが無い。例外中の例外だ。温暖化で、2100年は40度を超える暑さが日本を襲うと先日、NHKが特集をしていた。世界中で異常気象が起こっている現実がある。これから地球はどうなっていくのだろうか・・・・