甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

世界陸上・女子マラソン

2015-08-30 11:50:53 | 陸上競技のこと
 伊藤舞が強かったですね。何度も離れかけては立て直して。見事に7位入賞してリオデジャネイロ五輪のマラソン代表に内定しました。朝の7時半からのテレビ中継を見ていましたが、ぱっと目についたのが、興譲館高校の後輩、重友梨佐。故障で練習が積めていなかったロンド大オリンピックの時とは違い、一目で体がしぼれていることがわかるくらいでした。しっかり練習が積めたのだと感じました。実際、走るフォームも安定して、30kmまでづっとレースを引っ張っていました。余裕もあるように見えたのですが、30km過ぎ、アフリカ勢のペースアップに対応できず、ずるずると後退結果、前田彩里の13位に次いで14位でゴールしました。レース中は重友が日本人最上位で入賞して来年のオリンピックの内定をもらうのではと思っていましたが残念でした。本当の復活までもう少しですね。頑張れ!重友梨佐!
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女たちの太平洋戦争から・・・70年

2015-08-29 19:05:12 | Weblog
 女たちの太平洋戦争から・・・70年
毎年のことだが8月に入ると、15日の終戦記念日に向けて、各TV局の番組には戦争特集が組まれる。NHKの「女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録」中国大陸、ビルマ戦線、フィリピン戦線、さらには16万人が亡くなったと言われるインパール作戦等に従軍した二十歳前後の看護婦たち(5万人を超えると言われている。日本赤十字からは35785人従軍1120人が亡くなる)の証言「傷あとには、うじがいっぱい。それを取ってあげるんです。翌日にはその人たちが亡くなっているんです。毎日たくさんの人が亡くなって、病棟の横には火葬場があって、死体を一丁上がりなんて・・・涙も出ないんです・・・」「兵隊さんが、私たちを見て日本人だと分かると、お母さんや家族を思い出すのか、抱きついてきてオイオイ泣き出すんです。前線での死と隣り合わせの緊張が解けるのか?兵隊さんが泣くんですよ・・・わたしたちも一緒に泣いて・・・」「国のために志願しました。従軍できることは栄誉なことだと思っていました・・・」そして「戦争とは?」の問いに「馬鹿がする・・・馬鹿がすることですよ」と、悲しみや怒りを通り越したような空虚な言葉が印象的だった。
安部内閣が、提出した「安全保障関連法案」は大きな議論を残しながら衆議院を通過し、今、参議院において議論されている。野党の一部からは「戦争法案」などと厳しく非難されているが、世界情勢は大きく変化している。アメリカの影響力の低下、ある意味、戦前の日本を思わせるような中国の拡張主義。
国会議事堂の周辺では、この法案に反対している学生を中心としたグループが集まり、「戦争反対!」と軽いラップ調のシュプレヒコールを上げながらデモ行進をしている。「戦争反対はみんな同じ気持ちだ」しかし、彼らのニュース映像からは違和感が湧いてくる。「日本の平和は当たり前」タダで今の日本の平和があると勘違いしているような?だから、同じ戦争反対でも、彼らとは同調したくない。
戦後70年の光と影、日本は日米同盟、日米安保条約を基軸に戦後復興を果たし経済大国へと成長した。アメリカの保護下の元?憲法9条?だから戦争に巻き込まれることも無かった?・・・その陰には、朝鮮戦争における特需もあった。ベトナム戦争もあった。結果、東西冷戦という構造も経済成長を果たす大きな要因にもなっていた。そんな影の上に日本の繁栄は築かれていったのではないか?・・・世界情勢の変化、アメリカの影響力の低下、アメリカの自国の利益という御都合主義?がもたらした状況かもしれないが、自分の国は自分たちで守るという当たり前の話をする時期にきているのではないか?それが70年間、出来ない状況にあった事の方がむしろ異常だったのではないか?「備えあれば憂いなし」それでも・・・備えがあっても、馬鹿がすることはやってはならない。      2015年8月28日         笹原 真二
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天気予報は日替わりメニュー

2015-08-19 20:29:15 | Weblog
 朝起きて、天気予報を見ると、午前中50%午後60%の降水確率。ヤフーの予報では午後3時くらいから傘マークが、他の予報では午前中から降る。9時半くらいから雨が落ちだして・・・「あーあ」という感じ。シート養生して屋根から降りて小休止。仕方ないから帰ろうと帰りかけたが、雨が上がって「仕事、出来そう」ということで再び屋根に。ところが11時半くらいから再びの雨が。今度は上がることはなかったですね。でもこの1時間少々の雨が上がってからの仕事がシート養生をしなくてすむくらいの仕事をさせてくれました。昨日の予報ではずっと曇マークだったのに、やはり天気は、日替わりメニューです。明日の朝には雨が上がってほしいですね。
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雨天順延

2015-08-17 13:29:37 | Weblog
 今日から、後半戦の仕事始めでしたが、各天気予報は降水確率も高く、6時にはポツリポツリと雨も落ちてきたので、急遽お盆休みをもう一日取ることにして、皆に連絡。午前中は小さな雨下降ったり止んだりしていましたが、お昼前から強い風と強い雨が。いったいどうなるのかと思うくらいひどかったですね。今午後1時40分なのですが、その強かった風雨も上がっています。夕方まではたぶん降ったり止んだりの天気になるのではないかと思われます。後半戦の開幕は雨天順延。明日は晴れるみたいですが、その後は曇マークがしばらく続くようです。
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雨が少し早い?

2015-08-13 11:53:07 | Weblog
 昨日の雨は予定外でした。と言ってもお天気はお天道さまが決めることだから、お天道さまにとっては予定通りだったのでしょうが・・・例年ならお盆に入っての14、15日あたりから雨がよく降るのではないかと思うのですが、12日というのは本当に記憶がないですね。兆しは8日の土曜日あたりからありました。8日の午後は思ったよりも暑くならなくて、お蔭で午後の3時からお墓の草取りをすることができました。予定では夕方6時からの草取りでしたが、7時から用事が入ったため急遽3時から、さっきも言ったようにそんなに暑くなく、良かったのは蚊がいなくて刺されなかったことでした。だから例年ならお盆の間に秋の気配を感じるのですが、今年は8日から少し早いなと感じていました。週が明けてからも思ったより風を感じることがあったし昨日、今日の雨が例年よりも少し早い。だから秋も少し早くやってくるのかもしれませんね。
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カンカン照り、4日目!

2015-08-02 09:46:59 | ツーリング
 それにしても今日で4日連続のカンカン照り、今日は日曜日で一息入れています。毎年のことではありますがお盆休みまでの一日一日が暑さとの真剣勝負です。でもこの時期は頑張らないように、頑張ってしまうと、熱中症になる恐れもありますから・・・
 先日、二日続けて大夕立がきましたが、三日続くことはなかったので、ありがたかったですね。30日の木曜日から、葺き替えで瓦降ろしをしています。カンカン照りで暑いのは難点ですが、仕事途中のシート養生をしなくてすむので、本当に助かっています。
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7月のマンスリー 妙政寺の大仕事は、後世の瓦屋さんへのメッセージ

2015-08-02 09:44:09 | Weblog
  妙政寺の大仕事は後世の瓦屋さんへのメッセージ
 昨年の8月・・・370坪ある大きな屋根、3尺3寸もある大きな鬼瓦、そしてカネ勾配よりもきつい屋根。素屋根が掛かりクレーンも使えない、人の手作業でしか仕事は進まない、そんなことを考えると怖いくらいだった妙政寺の瓦降ろしも「案ずるより産むが易し」9月の初めには無事終える事が出来た。備後福山藩第二代藩主水野勝俊公の菩提寺、江戸時代初期建立され、文化財に登録されていてもおかしくない妙政寺の本堂。その本堂の屋根瓦葺き替え工事も足かけ1年、どうにか無事終えることが出来た。
 38年前の瓦の葺き替え工事、当時、社寺の瓦工事が出来る職人は、奈良、京都、岐阜の一部にしか居らず、国宝や国の重要文化財あたりでないと、地方の仕事にそのような職人が来るということは稀なことだった。妙政寺も、当時、瀬戸内沿岸では日本一と言われた愛媛県の「菊間の瓦」を使用し、菊間から職人に来てもらって瓦を葺き替えたと聞いていた。
10年以上前から、妙政寺の修理に行くようになる。そんな中、御住職と時々世間話をするようになったのだが、まさかこんな大仕事をするようになるなどとは思ってもいなかった。一昨年、御住職から見積もりの依頼を受けた。前回の大改修から40年も経っていない、巴釘は鉄製でそれが腐食して瓦を割っている。葺き替えるには少し早い気もするが、これも致し方無い事か・・・
 何社かの競合はあったものの、御住職を始めとする妙政寺の役員さんの強い推薦を頂いて、元請けの㈱鈴木工務店の下で瓦工事をさせていただくことになった。御住職からは、「笹原さんが思うように、思いっきりやってください」と全幅の信頼を頂いた。その思いに応えるには仕事で返すしかない。
本堂は南向きの370坪の大きな入母屋、南の向拝は唐破風、そして谷が。北面にも入母屋があり、やはり谷がある。この南北の谷を瓦で納めることが仕事を面白くし、さらに価値あるものに変えて行く。それは150年後、200年後の改修工事になるか?後世の職人へのメッセージだ。
6間お堂、3棟分の仕事はうちの単独では荷は重く、文化財も経験豊富な京都の甍技塾徳舛瓦店㈲(社長は義弟・先代は師匠)とJVで。今回の原寸図を書いた徳舛瓦店の成松秀麻を棟梁に工事は12月1日から始動した。谷回り、箕甲、野棟の大工工事が全て終わったのは1月の末。成松の仕事は原寸図に忠実で、「そこまでやるのか}と半分あきれるくらい頑固に瓦を葺くための下地作りに徹し、時折、人を寄せ付けないくらいの雰囲気を出しながら、この大仕事に入っていった。だから戸惑うことも多々あった。毎日10人くらいの職人が入る。人工数は飛ぶように消えていく。
12月からの人工数は3月末で600人を数えた。GWまでには丸瓦を納めておきたかったが、オーダーした谷瓦が遅れたため予定は狂う。工期のプレッシャー、出来ないものは出来ないのだが、出来ることはやっておかねばならない。
応援は岐阜から屋根島工務店さんが2人で3月(2週間)、5月(8日間)と来てくれた。片岡洋瓦の広兼篤ちゃんは最初から最後まで、慧瓦の須澤君は3月から最後まで。そんな多くの人達の応援があって確実に仕事は進んで行った。5月の22日には大棟の足場も上がりいよいよ終盤戦へ。25日から兵庫の大原さんが2人(2週間)応援に駆けつけてくれた。甍技塾の後輩、吉盛幸一も2人で6月15日から1週間応援してくれた。本当に多くの人に支えられながら、大棟、降棟、隅棟と順調に進み、瓦の仕事はどうにか6月24日、無事終えることが出来た。
その後、屋根の上の足場の解体、屋根掃除、付帯屋根の修理、既存瓦の収納と全て終わったのは7月25日。現場での人工数は1200人を数えた。昨年の8月9月の既存瓦の解体の180人、さらに言えば、のし瓦の選別、銅線通し他の人工数を加えれば、足かけ1年、1400人もの人が関る大工事となった。
既存瓦解体においても多くの応援を貰った。笠岡の平田洋瓦さん、岡山の広安瓦建材さん、総社の岡本工業所さん、さらには早川建設さん、小田板金さん、左官の佐藤さん等々、本当に多くの人達のお陰で、この大仕事が出来上がった。
しかし、この現場の決算には、厳しい現実を突き付けられた。大きな課題が残されたが、今は、この大仕事を無事終えることが出来た事に感謝したい。
       2015年7月28日          笹原 真二
追伸  32年前、広島県の甲奴の西教寺で甍技塾の仕事に入らせてもらった。素丸瓦の選別を初めてした・・・帰ってからは、皆に任せ、私自身やったことが無かった。しかし、2月には2週間くらい?約7割7000本の素丸を1人で選別した。一番大きい丸と一番小さい丸では18mmも違う。慣れた頃には計らなくても見ただけで、このパレットは5寸6分~7分の素丸が多いとか、5寸3分~4分が多いとかが分かるようになった。そんなことが単純作業を面白くさせてくれた。主に使用される素丸瓦の種類は20種類くらいなのいだが、全てのねじれ、寸法で選別した素丸瓦は50種類近くになった。それはのし瓦においてもそれ以上の種類に分けられた。軒瓦、巴瓦、全ての瓦を選別して基本に忠実に葺く瓦の場所が決められて行った。
32年前の仕事とは、明らかに違った。理想はそうだとして、予算のことも考えれば、現実はそこまでしない。しかし、成松の指示は下地作り同様、基本に忠実だった。「頭では知っているが・・・そこまではやらなかったこと」を実践することが出来た。


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