甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

 行く時が 年追う毎に 早すぎる おおつごもりは センチメンタル    

2023-12-30 21:24:33 | Weblog
     突然の電話
 今年の5月だったか、6月だったか?日曜日の午前中、携帯に突然、知らない番号の人から電話が入ってきた。

「私、日南の伊藤翔子さんの友達で、加藤悦子と言います。突然、電話掛けてごめんなさい。私ね、今朝4時頃から、伊藤さんから借りた酒井俊のCDを聴いていてね、ずっと涙が止まらないんです。私、尾崎豊が大好きなのね、酒井俊のCDを聴いて尾崎豊以来の感動で、笹原さんとお話がしたくて伊藤さんに教えてもらって、ご迷惑も顧みず電話させてもらった次第です。」

「酒井俊さんの「回想」という10分を超す曲でしょ。僕も、大好きで、倅にも言っているんです。俺の葬儀の時の出棺時の曲はこれをエンドレスで流してくれと。「ちりじりになったかけらたちよ、だかせてはくれまいか?慈しんだあるいは見捨てた、かけらたちかけら」詩が、優しくて切なくて、人生そのものの詩。この曲は、ジャズのサックス奏者の林栄一さんが作曲して、ジャズ歌手の酒井俊さんに林さんが詩を依頼して出来た曲だそうです。」と清水紹音さんから聞いていた「回想」という曲の生い立ちを話した。

 こんな突然の電話は、迷惑どころか、すごく嬉しい電話だった。同じ曲に、同じように感動、共感することが嬉しかった。その日はルンルンな気分だった。

 酒井俊さんの歌は、紹音さんの家で聴かせてもらった「満月の夕べ」にハマり、ユーチューブで検索していたら、ボーカル酒井俊、サックス林栄一、ピアノ田中信正の「だいだらぼっち」というグループにたどり着き「回想」という曲を初めて聴いた。それからしばらくいくつかの「回想を」聴いた。ライブ会場によって、その時の雰囲気によって様々な「回想」がユーチューブに上がっていて、どれもが魅力的だった。そんなことも、電話で加藤さんに伝えた。

 ボーカルの酒井俊さんの表情、サックスの林栄一さんの表情、間、ピアノの田中信正さんの演奏を見て聞いて、この「回想」と言う曲は「だいだらぼっち」のライブでしか披露しない曲のようだった。実際、酒井俊さん単独のライブ動画では「回想」を聴くことは出来ない。
 
 日南の伊藤さんは、東京の日本BE研究所(感性、感受性の訓練・研究)の行徳哲夫先生の事務所で秘書をされていた。30年以上前のことだが、年に一度のBE例会が東京であった時、二度程参加させてもらった。その時、受付に伊藤さんがいて「岡山の笹原さんね。」なんで俺の名前を知ってるんだろう?と単純に感動した。

 伊藤さんが、東京から実家のみかん作りのため日南に帰られてから、一度お家に遊びに行かせてもらったこともある。10歳ほど先輩だが、そんな女性の友達がいるということが、さらには、そのお友達の加藤さんから突然の電話が入る。そんなことが面白い。 令和5年12月26日      笹原 真二
 
 回 想    詩 酒井 俊   曲 林 栄一

すっくと立ってた人、たたいていた壁 
光る涙、瞳の奥、叫んでた欲望
浜風にたわむれ、くるくるまわる女 
行き違う自転車、麦わら帽子の眩しき

ちりぢりになったかけらたちよ、
だかせてはくれまいか?
慈しんだあるいは見捨てた、かけらたちかけら

小さな指との約束、今夜の線香花火
破っては拭えぬ痛み ざっくりと悔恨

笑い声、青の光線、きらり充満する小部屋 
白いバラに隠された棘、気がつかずに過ごした 
落ち着いたと思えば逃げる、天使のいたずら 
苦しみさえも幸せの一部と、受け入れる人の貴き

ちりぢりになったかけらたちよ、
だかせてはくれまいか?
慈しんだあるいは見捨てた、かけらたちかけら

ひとり旅だった少年、見知らぬ国の空港 
その匂いが今は、好きだと笑った後ろ姿

タオル大きいブカブカ、見えなくなっちゃったね体
捨てられていった足踏みオルガン、二人で運んだよ
街角で出会った父さん、異邦人の面影 
大好きなおばあちゃんの声が消えた夜

ちりぢりになったかけらたちよ、
だかせてはくれまいか?
慈しんだあるいは見捨てた、かけらたちかけら


初めての林間学校、見上げる不安気な眼差し
大丈夫よと送り出した、困惑の瞬間

ある主なきテーブルに、残された楽譜たち
雨にざわめき、うたい揺れる、木々達の涙
秩序なき日常、迷い失った生活
悲しみがみえすぎるその目、その耳とじて

ちりぢりになったかけらたちよ
だかせてはくれまいか?
慈しんだあるいは見捨てた、かけらたちかけら

底なし沼のような不安定な人生
けど、冒険の日々、揺るがずに行ったね砂漠、波、果てしなき

色あせた古布の、懐かしい温もり
おおつごもりの日、母の動線、追いつけなくて
突然の積雪にはしゃぎ、眠ってしまった手と手
遠い昔すんでた街の、消えた曲がり角

ちりぢりになったかけらたちよ
だかせてはくれまいか?
慈しんだあるいは見捨てた、かけらたちかけら

冬になる前に埋めた、内緒の球根
春になって芽をだしたね、はじける笑顔
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駆け足の 秋は短し 矢のごとく 師匠も走る 師走に入る

2023-12-01 21:08:10 | Weblog
     母とお伊勢参り

 25日午前4時前、玄関を出ると、西南の方角にオリオン座、北の方角には北斗七星が。冬の星座が煌めいていた、凛とした空気の中4時半過ぎお袋と伊勢に向けて車に乗り込む。

 空が明けた6時半頃、三木SAで休憩。京都東から大津の辺りで渋滞にあったもののその後は順調に流れる。8時、新名神高速の土山SA、小雨が降る寒い中、松阪牛の豚まんならぬ牛まんを550円を購入ものすごく美味しい。9時50分、伊勢神宮外宮に到着。

 内宮には、二度お参りしたことがあるが、外宮にお参りするのは初めて。駐車場から400mくらい歩いて正門へ。表参道火除橋を渡って、勾玉池を見て手水舎で清め神楽殿へ、御朱印を頂く。正宮へお参り、亀石を渡り、風宮、土宮へお参り、多賀宮へは急な石段を登って行くのだが、お袋は足が痛いとリタイア。一人でお参りをした。下で待ってくれていたお袋と北御門の日除橋を抜けると駐車場が目の前にあった。約1時間。

 食レポ番組でよく出る伊勢のブランドスパゲッティ、モリスパを食べたくて喫茶モリへ行くが駐車場が無い、しばらく探したが諦めて路上駐車。15分くらい並んで店内へ。昭和の小さな喫茶店、熱々の鉄板の上に卵とパゲッティ650円が本日の昼食。勿論美味。

 12時過ぎにモリを出て内宮へ。宇治橋にちかい駐車場は1時間待ち、臨時駐車場へと向かうが、ここから内宮まで1㎞以上ある。おかげ横町は人、人、人でいっぱい。宇治橋に着く。ここが全日本大学駅伝のゴール地点。43年前、青葉先生と監督車に乗っていたことが思い出された。

 五十鈴川の御手洗場で手を清める。清流の中に小さな魚がいっぱい泳いでいる。上流を見ると神々しいような陽光と紅葉が。お袋が歩けないと言って一休み、91歳の母親とお伊勢参りが出来ることにこの上ない幸せを感じる。

 23年前、江場さんに誘われて伊勢修養団の研修会に参加した。この時、五十鈴川で一糸まとわず禊ぎをした、7月の夜だった。翌日の早朝には、正宮の玉砂利の中まで入ってお参りさせていただいた。「伊勢神宮は、全て腐るのもで、出来ています」という一言に感動した。「国歌君が代には二番があるんです」ということも、そしてトイレ掃除も教わった。

 お袋も歩き出した。神楽殿で御朱印を頂き正宮へお参り、さらには荒祭宮、風日祈宮をお参りして内宮を後にした。

 おかげ横町のいっぱいあるお店の中で、たまたま「千の幸」というお店でお土産を買う。持ちきれない量になってしまった。するとお店の人が駐車場まで一緒に運んでくださった。文字通り私たちにとって「千の幸」だった。次に来た時もこのお店でお土産を買う。

 15時過ぎ臨時駐車場を出て、二見浦の夫婦岩へ。年末年始には必ずニュースでは見る。着いて海の彼方を見ると富士山がうっすらと見える。ラッキー!大洋に面した夫婦岩は荒波の中に雄々しく建っていた。

 お袋がお参りしたいと言っていた女の人の願いなら一つだけ叶えてくれる石神様(神明神社)がある鳥羽の相差(おうさつ)へ着いたのが16時半、宿のかず美さんへ入る。その後、石神様へ早速参るも御朱印がいただける時間は過ぎていた。境内は小さくどこの町にでもあるような神社。

 お風呂をいただいて6時から食事、鳥羽の海の幸がこれでもかというくらい満載。鮑のお刺身は格別。91歳のお袋と二人での完食は当然のごとく無理だった。夕食後もう一度お風呂に入って就寝21時。

 よく眠ることが出来た。7時過ぎ散歩に、5分も歩くと防波堤が、きれいな海が広がる。瀬戸内の海とは違い果てしなく広がっている。朝食を取り8時過ぎ宿を出て石上様へ。すでに40名くらいの方が団体でお参りされていた。御朱印をもらって帰る頃には、さらに二団体のお参りが、女の人の多いこと、やはり女の人の願いを叶えてくれる神様なのだ。
 
 9時過ぎ、石上様を出て、伊勢道で松阪まで、松坂から国道165号線の伊賀越えで名張、宇陀、天理、奈良、阪奈道に乗って阪神高速へ、山陽道は工事のため一部通行止め、そのおかげで中国池田から中国道を走り北房まで、30年振りに大阪からの中国道を走ることが出来た。
 
 旅の途中、途中でライン仲間に写真を送っていた。多くの友達から、「親孝行、いいね!」のメッセージが送られて来た。静岡の伊豆在住の益本からは「親孝行したいときに、親はなし。羨ましい限りです」両親ともなくしている友達はいっぱいいる。改めて元気な母親が健在していることに幸せを感じた。
 
 今年は、お袋と、高野山にもお参りした。そしてお伊勢まいりもすることが出来た。来年は閏年、お袋の大好きなお四国参りの逆打ち(八十八番から逆にお参り)をするつもりだ。
                                  令和5年11月27日        笹原   真二

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