甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

残暑、お見舞い申し上げます。

2011-08-13 17:41:08 | 山のこと
 今日からお盆休みに入りました。昨日は仕事を終え、社員の皆が帰ったあとの開放感というものは格別なものがあります。昨年の厚さと比べれば今年は過ごしやすいかもしれませんが、やはり、暑いことに変わりなく皆もバテぎみです。今日から17日までの5日間でしっかり疲れを取って後半戦に臨みたいと思います。
 先月の28日から31日にかけて山梨県の北岳(3193m)に登って来ました。芳井山楽会(会平均年齢が65才を越えている)の年間行事の一環で7月には日本アルプスへ、今年は南アルプスの北岳、富士山に次ぐ日本で2番目の高い山へ。なんせ平均年齢が高いものだから、一般の登山者の片とは、ウサギと亀くらいの違いがありますが、そこは年の功、けっこう皆さん、豊富なキャリアの持ち主の方もいらしてます。昨年は、立山の他の屋久島の縄文杉を見に行ったらり、中には海外遠征でスイスの山仁登ったりと、とてもアクティブなメンバーが居られます。
 今回、けっこう雨にたたられたりしましたが、それでも山の醍醐味はいっぱい味合うことが出来ました。28日は井原を午前5時に出て南アルプス市登山口の広河原山荘へ。ここでは夏休みに入って、かなり混んでると思っていたのですが、一人一畳使うことができて本当にゆっくり休むことが出来ました。29日は午前3時30分ころ起床、4時半に朝食を取って、5時前に出発。なんせ我々は亀さんチームですから、次々に抜かれて・・・途中で雨にあって雨合羽を着たり脱いだり、もちろんガスもかかって、でも時々にガスも無くなって、眺望も晴れ富士山を見つけてははしゃいでました。やはり富士山を見つけると嬉しくなります。予定より随分と遅れましたが、午後3時には皆無事に北岳肩の小屋に到着。ここは寒かったですね。夕食後はストーブの周りで、長崎から来たという山ガール?平均年齢やはり60歳過ぎのおば様、おじ様方とお話。夜の星空を楽しみにしていましたが、11時頃はどうにか星も見え、麓の町の明かりも見えていましたが、1時に起きたときはガスで視界30mくらいで楽しみにしていた流れ星を見ることは出来ませんでした。
 翌30日はやはり4時半朝食、5時前に出発。北岳山頂へ、あんまり寒いから雨合羽を着てガスの中を・・・眺望が開けない中、山頂で一休み、しばらくするとガスがどんどん流れていって、ちゃんと見せてくれるんですね。本当にラッキーでした。北岳山荘へリュックを置いて、間ノ岳(日本で4番目に高い山3189m)に行きは合羽を着ることは無かったのですが帰りはけっこう降られて・・・2年前、3万円近い高価な合羽を買っていたのですが、本当にこの合羽でよかったと思いました。蒸れないんですね。軽いし、本当にいいものはいい!
 間ノ岳から山荘に帰ると、大雨になりました。我々は本当に運がいいんですね。間ノ岳にしろ中白根にしろ、ポイント、ポイントではガスも晴れ、眺望が開けて本当にラッキーでした。夜の雨は、降ったり止んだり、途中、星空が出ていないかなと思って、何度か起きましが、ガス、大雨と星をみることは出来ませんでした。朝、いつものように4時前起床、外に出てみると、空は曇り、微動だにしない雲海の彼方に富士山がきれいに頭を出している。今回のもっとも印象に残る景色でした。山って本当にいいですね。
 5時過ぎに下山開始、八本歯コイルというけっこう危険な場所も通りましたが、個こからの眺めも最高でしたね。当然我々は亀さんチームなので、大幅に予定時間をオーバーしましたが、なんの事故もなく楽しいトレッキングを体験することが出来ました。参加した山楽会の皆さんに感謝でした。
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鹿島槍ヶ岳紀行

2008-08-06 20:51:01 | 山のこと
     鹿島槍ヶ岳
 7月24日、東京で全瓦連での会議終了後、17時新宿発あずさ25号で松本まで、大糸線に乗り継いで21時過ぎ信濃大町へ。七倉荘という旅館へチェックイン。明日のトレッキングの為のお茶、飴を近くのコンビニで調達。
 翌25日早朝6時、信濃大町の駅で芳井山楽会(今回、私を含む男7、女6の13名参加平均年齢60?歳)のバスに合流。扇澤出会いの登山口へ。8時半前、登山届を出して出発。暑い中、屋根の上で仕事をしている皆のことを思うと申し訳ないような気持と一緒に歩き始めた。
15分もしないうちに昨年の甲奴神社の仕事の時、お世話になった塩田さんが異常発汗、顔色が悪くなる。スポーツ飲料と救心(薬)を飲んで少し休む、夜走りのバスで睡眠不足の様子。木立の中は心地良いが、日が差すところはけっこう暑い。その後、塩田さんは良くなったが、今度は会長の馬屋原さんの様子がおかしい、行程のちょうど半分くらい?な所で突然嘔吐。睡眠不足の上に車中でのお酒が残っていたのか?・・・ここで若い私(50歳)の出番、馬屋原さんのリュックサックを私のリュックの上に載せて歩く。
山はいい。行く人が皆、「こんにちは」「お疲れです」「もう少しですよ。頑張ってください」・・・と声を掛けう。途中、幼稚園の年長さんの女の子とお父さんの二人連れに追い越される。地元の大町中学校の2年生130人のグループが下山。山楽会のご婦人方は彼らとハイタッチしながら「元気をもらった」とはしゃいでいる。中学生は男の子も女の子も元気のいい子もおとなしそうな子も、皆笑顔で挨拶してくれる。そんな一期一会がいい。
平井君のお母さんが3時間半で登った種池山荘(2450m)まで6時間かけて14時過ぎに13人全員無事到着。(標高差1100m)その頃から雨が。
17時に夕食を取る、山小屋の食事は質素だがおいしい。夕立のため日の入りを見ることは出来ず寒い夜となった。楽しみは星空を見ること。今夜は無理かなと思いながら、雑魚寝の床につく(20時15分全館消灯)。12時頃?目が覚めた。ヤッケを着て外へ。「ラッキー」なんとお月様も出て満天の星、目の高さに星がある。私が出て2分もしないうちに大きな流星が落ちた。
26日3時過ぎ起床。朝食と昼食の弁当と昨日もらった水1ℓをリュックに詰めて4時過ぎ出発。寒い夜明け前の暗い道。これがまたいい。爺ケ岳(2670m)へ。宿泊する冷池山荘(2410m)に着いたのが8時。 
大きなリュックはここで預かってもらって鹿島槍ヶ岳(2889m)へ。山頂は霧がかかっている。布引岳(2683m)への途中で西の霧が切れていくと後立山連峰が突然開けてきた。それもつかの間またすぐ隠れてしまう。布引から鹿島槍の尾根伝いは西風が東側で発生した霧を止めている。登山道の東は霧で視界ゼロ、西には後立山連峰を見渡すことができるいう不思議な風景だ。
鹿島槍ヶ岳南峰に到着しても霧は立ち込めたまま。展望は開けない。そんな中、若い私一人が北峰へ。30分くらいの行程、岩場を霧がさらに覆ってくる山頂に上がったものの誰一人としていない。視界は30m。初めての山で深い霧、これがまたいい。心細くなってくると同時に山のふところに抱かれているようで何とも言えない感覚だった。
夜10時過ぎに目が覚める。外は満天の星、天の川が広がっている。東南の方角から稲光が空を一瞬明るくする。「東京あたりが大夕立になっている」という話を聞く。山楽会のメンバーを起こして星空ツアーへ庭に出る。この日も見事な流星が。2日連続であんな大きな流星を見ることが出来るなんて本当に運がいい。
そして今日、温かい朝食を取った後下山。5時25分出発、20分も歩いたであろうか、爺ケ岳北峰の尾根に出た時、後立山の霧の中に自分の影(ブロックン現象)が。近くにいた70歳過ぎくらいの単独行のおじさんが「40年山に来ているけど3回目、皆さん運がいいよ。ブロックン現象は幸せの予兆」と話してくれた。
3合目くらいまで下りた頃、あれだけ姿を見せてくれなかった鹿島槍ヶ岳が木立のすきまから少しだけその雄姿を見せてくれた。「また来いよ。」と言ってくれているかのように。
   2008年7月27日           笹原 真二

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