甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

長すぎる 一息ついて 読んでみて 読めば行きたや 北海道へ

2018-05-28 21:46:54 | ツーリング
平成30年GW北海道紀行

 4月30日、お袋と家内、京都へ嫁いでいる妹と4人で北海道へ飛んだ。朝5時、目が覚める、6時過ぎに家を出て岡山空港へ、8時20分離陸。前夜、床に就いたのが遅かったせいもあるのか?水平飛行に入る頃には眠りについていた。

 1時間ほど眠っただろうか?妹が機内でくつろぐお袋や家内の写真を撮っている。10時頃には、残雪を残す北海道の山が眼下に広がる。いよいよ楽しみにしていた北海道(新千歳空港)へ着陸態勢に入る。 

 10時20分頃着陸、預けた荷物を受け取って、空港内でレンタカーの手続きの確認。トヨタレンタカーすずらん店まで車で10分くらい?11時にカローラフィールダーに乗り込んで出発。道東道に入って上川郡清水町を目指す。GWの最中なのだが、車が少ないことに驚く、まるで中国道を走っているような?やはり除雪車の影響もあるのか、道路が傷んでいることも中国道と似ていた。

 清水町には、122年前に入植した、本家(5年前に亡くなった親父の実家)の分家の笹原猛司さんが40町歩(1町歩=約100m×100m)もの農場を経営されている。1年前、お孫さんの結婚式で広島に来られ、その折、芳井まで帰ってこられ、先祖のお墓参りをして帰られた。結婚した孫の恵介君は広島生まれ、広島育ちのお嫁さんを伴って、農場を継ぐため一週間後、やはり、先祖のお墓参りをして北海道へ帰って行った。

 占冠PAで笹原さんに電話、十勝清水ICを降りた駐車場で待ち合わせ、午後1時頃?1年ぶりの再会を果たす。笹原さんの計らいで昼食会場へ。笹原さん御夫婦、私と同年代の息子さん富平さん御夫婦、そして恵介君(恵介君のお嫁さんは務めの都合で一緒できなかった。)と我々の4人で会食させていただいた。

 ご馳走になったあと、「お墓参りをしていただけないか。」と笹原さんが。「我々の今回の目的は、仏壇に手を合わせることだけではなく、お墓参りもさせてもらう為に来ましたから、是非、お墓参りをさせてください。」と。

 北海道の大地の中、丘陵地の墓地公園の一角にお墓があった。122年前、極寒の地、北海道へ開拓に入った一族のお墓にお参りさせてもらうことに一族の一人として誇らしく思えた。

 伝え話なのだが、122年前、北海道へと旅立つ日は、雪が降る寒い日だったという。そんな天候の中、「おーい!おーい!元気で!がんばれー!」と言いながら見送ったそうだ・・・そんなことを親父の従妹から聞いていた。雪が降っていたということは、芳井を発ったのは3月の末頃かな?・・・上川郡に入ったのが6月と聞いているから・・・、2か月以上を要して北海道へ。・・・それから極寒の地、北海道で122年。・・・道具と言ったら、鉈、ツルハシ、鍬、鋸等々?・・・すべてが手作業、その艱難辛苦は想像に難くない。自分の一族の中に、こんな開拓者がいることがやはり誇らしいのだ。

 お墓参りの後、笹原さんの自宅に向かう。街から離れた大地は一面広大な畑、その畑には麦が植えられ、日本の砂糖の95%以上を作っているビート(砂糖大根)の苗が植えられていた。途中、笹原農場の畑を見せてもらう。ものすごい強風、車のドアも開け辛い。お袋はその強風で飛ばされそうになるくらい。遠くには土煙も舞っていた。

 家には「笹原農場」の看板が掲げられていた。大きなサイロの中には、テレビや映画でしか見たことが無いような大型のトラクターが何台もある。農機具と言うより、農業重機、大型のダンプカーのような・・・タイヤは人の背丈くらいある。40町歩の農場を家族だけでやっている。忙しい時には、お互いに農場仲間で、手伝ったり、手伝ってもらうそうだ。

 お茶を頂きながらの歓談は終わりを知らず、それでも宿泊する十勝川温泉に出発しなければならない。家の前で、「笹原農場」の看板を背に写真を撮って、名残惜しかったが、清水町の笹原農場を後にした。泊まる十勝川温泉の観月苑まで、笹原さん御夫妻が先導して案内してくださった。大感謝だ!

 十勝川温泉から10分程のところに、大学時代の2年先輩、小林雄二さんの家がある。OB会の住所録から調べていた。会うのは40年ぶり、アポ無しで行ってみる。車はある。家には灯りもついている。ピンポンを鳴らす「どちら様ですか?」と奥さんが「笹原と申します」玄関へ出てきたのは、小林さん。しかし、誰が来たのか分からないみたいでキョトンとしている。
「大東文化大学陸上競技部の2年後輩の笹原です。」ようやく思い出してもらえたのか?

「まっ、入れよ。なんで?」「122年前に入植した清水町の分家を訪ねて来ました。明日は幕別町錦町の分家、笹原信勝さんを訪ねます。」と北海道に来た理由を説明。それから学生時代の寮生活、箱根駅伝の話に花が咲く。途中、小林さんの同期、北九州の森田さんを驚かせよう電話をする。小林さんに代わっても、誰だか分からない、「小林雄二だよ」でやっと分かったようだ。

「俺は、今、沖縄にいるんだ。娘が孫連れて帰って来て「どっか、連れて行って!」とせがまれて、急遽、沖縄に来たんだ。」森田さんも、小林さんが電話に出るものだから驚いたと思ったが、我々も、娘さんの「どっか、連れて行って!」で、急遽、沖縄に家族旅行というのにも驚いた。長崎のハウステンボスあたりは、行きつくしているんだろうか?・・・

「幕別と言えば、スケートの高木姉妹ですね」「この前のパレード、孫を連れて行ってきました。」と奥さん。「うちの家内と高木姉妹は遠縁になるんだ。有名になると親戚が増えるっていうけど・・・」そんな話をしている時、テレビでは、漫才師、千鳥のノブがファブリーズのCMに出ているのが流れていた。

「それこそ、ノブもうちの縁続きになるんですよ。ノブはうちの町出身で、ノブの親父から聞いて初めて知ったんですが、ノブのお母さんと、うちの本家、私の従姉(親子ほど年齢は違う)のところに婿養子に来ているおじさんが従兄弟になるそうで、だから、ノブの親父公認で、ノブはうちの親戚だと、よそに行った時は言っているんです・・・」そんなたわいもない話をしながら1時間ほどの短い時間だったが、小林さんの家で過ごさせてもらった。
 午後7時前に観月苑に帰って夕食を取ってお風呂。第一日目が終わった。

 5月1日、4時頃、目が覚める。なんと外が明るいのだ。二度寝、6時頃起きて、朝風呂、雄大な十勝川を眺めながらの、露天風呂に幸せを感じる。

 9時、幕別町の笹原さんを訪ねる。奥さんの瑞子さんと、信勝さんが出て来られる。お袋は20数年前、瑞子さんと会っている。家に上がらせてもらって、先ず仏壇に手を合わす。我々が来るということで、古い写真が出されていた。その中の何枚かは本家にもあるものだ。

 幕別の笹原さんは、瑞子さんのお母さんが、笹原の出で、実家の笹原家を継ぐ人がいなかったため、瑞子さんが笹原の養女となり、信勝さんが婿養子に入られて笹原の家を継がれている。息子さんは帯広で、歯科医院を開業、自身は、空調設備などを扱う㈱笹原商産という会社を経営され、その会社は現在、娘さん御夫婦が舵を取っておられる。

 信勝さんは、目の病気で手術。療養中だそうだが、「まだ、瑞子には言っていないんですが、目が良くなったら、来年くらいに、先祖の地、岡山へ一度お墓参りに行かなきゃと思っているんです。」と、「是非、お墓参りに来てください。ご先祖様が喜ばれますよ。我々も楽しみにしています。」

 祖母や叔母が遺していた北海道からの手紙や葉書、それを頼りに20数年前、親父とお袋、大阪の親父の兄、伯父夫婦が北海道旅行の際、事前の連絡も入れずに、清水町の笹原さん、幕別町の笹原さんを突然訪ねて行った。その時は、「こんにちは。さよなら」で終わったが、それが縁での再びのお付き合いが始まった。親父が元気なうちに、北海道のお墓参りが出来ていたらどんなに喜んでいただろうか?今では6~7時間も有れば、うちから、北海道の笹原さんの家まで来られるのに・・・

 幕別の笹原さんの家を後にする頃、昨日の清水町の笹原さんと同じように「お墓に参ってもらえませんか?」と、「それが、目的で来させてもらいましたから」とお墓参りをさせてもらった。昨日と、同じ気持ちだった。うちは、本家ではないが、同じ一族の岡山に居を構えるものとして、お墓参りをさせてもらえることの幸せを感じた。

 昨日同様、名残惜しかったが、墓地公園で、幕別の笹原さん御夫婦と別れ、層雲峡温泉に向けて出発したのが11時頃だった。

 12時前に帯広の六花亭で、お土産を買う。当初、富良野、美瑛を通って層雲峡に入る予定だったが、ホテルに着く時間を考慮して変更。大雪山国立公園の真ん中を走る国道273号線を北上することにした。

 北海道の道は、限りなく真っすぐの一本道と聞いていたが、273号線はまさにその通り。上士幌町の山の中は道路の両横に大きな白樺の林が連なる。陽光が射してくると、まるでメルヘンの世界を走っているような、この道をドライブしただけでも北海道に来た甲斐がある。さらには、三国峠の少し手前にある緩やかに大きくカーブした山の中の半ループ橋、橋の上ではあるが、思わず車を止めて、来た道を振り返ると、エゾ松の樹海の中に来た道が消えていく。北海道のダイナミックな自然に大感動だった。士幌町から層雲峡までの約130kmの間、対向車線を走った車は20台も無かった。大自然を独り占めにしたような・・・

 層雲峡温泉に着いたのが、夕方4時頃、ホテルに入るには少し早い。見ればロープウェイがある。それに乗ることにした。大雪山の中の黒岳と言う山の中腹にロープウェイは一気に駆け上がった。廻りの山々は新緑の緑?エゾ松の緑の中に残雪を残している。ロープウェイを降りるとそこはスキー場、スキーをしている人はいないが、まだスキーが出来そうな量の雪があった。

 夜は層雲峡温泉にゆっくり浸かり、アイヌの民族舞踊を見に行くと。道外から来たということで、特別出演することになった。演目は「色男の舞い」二人の女の子が一人の男を取り合うというストーリー。言われるがままにクルクル回されて・・・家内や妹は大笑いしながら見ていた。

 5月2日、美瑛を目指す。北西の丘展望公園に。広大な丘陵地の色とりどりの花が一面に咲き誇るのは6月から、今は、花の苗さえ植えられていない。もちろん、観光客らしき人は我々を含めても20人もいない。カットメロンを頂いて、「美しき美瑛の光と空」という美瑛の四季を撮った写真集を買って帰る。
 青い池を見て富良野を目指す。富良野では札幌の村松弁護士お勧めの焼肉、豚のサガリを食べにお店まで行くが水曜日はお休みで昼食無し。食後に予定していたこれも村松弁護士お勧めの、フラノデリスでのケーキとコーヒーを昼食代わりにしたが、ケーキはものすごく美味だったが、空きっ腹に甘いケーキはお腹にもたれた。

 美瑛も、富良野も観光客はものすごく少ない。当然きれいなお花畑も何も無いのだが、大きな丘陵地を見ることが出来ただけで満足、人混みに酔うこともなく、渋滞にも合わない。案外、観光のシーズンオフの北海道、GWはお勧めなのかもしれない。

 その後、美唄の三笠ICから高速道路に載って札幌を目指す。車の運転は眠くなると、家内や妹が代わってくれるからありがたかったが、高速道路になると担当は私になる。夕方5時過ぎ、ホテルに着いた頃は、けっこう疲れていた。

 この日はファイターズの清宮が1軍に登録、札幌ドームへ観に行こうかとも思ったが、「一人で行って来い。」に負けてホテルに近いジンギスカンのお店で夕食を取り、お風呂に入って、バタンキュー。

 5月3日、8時過ぎ、昨夜から降り始めた雨の中、出発。傘を買いたいがコンビニを見つけられない。時計台だけは見て帰ろうとナビをセットして、車中から見る。旧北海道庁に行くが、まだ開いていないので取りやめる。中山峠を目指す。そのころには雨も小降りになって傘はいらない。留寿都を抜けて洞爺湖を目指す。細川たかしの真狩村への案内標識がある。洞爺湖で昼食を取って洞爺湖ICから、トヨタレンタカーすずらん店に帰る。午後3時過ぎ・・・4日間に及ぶ北海道行き当たりばったりのドライブ旅行も終わった。

 新千歳空港で荷物を預け、空港内を散策。当初「忙しいから行きたくない。」と言っていた家内に「どうだった?」と聞いてみると「やっぱり来て良かった!」と笑顔で答えてくれた。
大自然の北海道へ家族で旅行。これも122年前に、大きな勇気と志を持って北海道へ入植した一族がいたおかげだ。

 祖母や伯母が大切に保管していた手紙も、もし廃棄されていたならば、清水町の笹原さんも、幕別町の笹原さんも、幻の親戚になっていたかもしれない。
先日、本家と、北海道に入植された実家(屋号じっけと読む)のお墓参りをしてきた。   
 
     2018年5月28日          笹原 真二
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