甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

末娘の引っ越し

2014-03-30 17:29:28 | Weblog
 末娘が、尼崎の短大に行くことになり、今日小雨の中は荷物を持って引っ越しをしてきました。大学の寮なのですが、個室、食事無しでキッチン、ユニットバス付き、寮母さんがいて、門限23時という寮です。パブリックバスで、同じ釜の飯を食うほうが面白いTとは思うのですが、プライバシーがどうのこうの、人に気を使うからとか、人には気を使うもんだ。だから寮は社会人になる前に、人にどう気を使うかという最高の体験になるのに、大学ももっとこの辺りを売りにすれば良いと思うのですが・・・昨日、車に荷物を積み込んで、朝8時前に出発。途中でお昼を食べて、12時過ぎに、大学の寮に着きました。小雨の降る中、寮母さんや、寮の先輩が荷物を運び込んでくださって、あっという間に部屋のほうに、ありがたいことでした。それにしても今月も雨が多かったですね。述べで14日降りました。
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3月のマンスリー

2014-03-28 21:24:55 | 陸上競技のこと
  陸上競技が大好きです!(56才からの挑戦)
 2月3日、毎日新聞に、興譲館高校の森政芳寿監督が「TOTO女子陸上競技部(北九州市小倉区)の監督に就任」とリークされた。以前からそれとなくそういう話があるというのは聞いていたが、あまりに突然の報道に驚かされた。
 3月22日、井原地場産業振興センタ―において、「森政監督、15年間、夢と感動をありがとう」の送別会が開かれた。その席で、「急な話でした。1月27日に決断しました」「突然の報道。反響の大きさに本当にこれでよかったのか?決断は間違っていたのではないか?」と苦しかった胸の内を吐露した。そして1年生、2年生の部員を置いていくことへの葛藤で眠れなかったこと、「私たちを置いていかないでください」と涙されたことを語る時、言葉に詰まった。
「小学校で4年、中学校で14年、興譲館高校で15年間、33年間教師をしてきました。いっぱい失敗をしてきました。しかし、その失敗があったからこそ、今の私があります。この興譲館での15年間は貴重な体験でした、成長させてもらったと思っています。子供たちを置いていくのは心苦しいです。しかし、置いていく以上、実業団でも、結果を出さなければ申し訳が立ちません。私は陸上競技が大好きです。2020年、東京オリンピックで活躍できるような選手を育成したい」と感謝の言葉を交えながら抱負を語ってくれた。
 森政監督は、新市中央中学校に赴任した年、陸上競技部を立ち上げ、中学中国駅伝に出場、ビリから2番がデビュー戦だった。その後、女子駅伝も立ち上がり、10年間で2度、中学中国駅伝を制した。だから・・・?根拠はなかったが、興譲館高校に帰ってくれば、必ず全国高校駅伝で優勝するチームを作ると信じて疑わなかった。それだけの情熱を感じていた。
興譲館に帰って来たとき、「10年で、全国高校駅伝、2回優勝すればいいと思っている」と言ったことがある。1年目のデビュー戦は35位。初の7位入賞が5年目、6年目が2位、7年目で初優勝、2回目の優勝は12年目。特筆すべきは、昨年まで10年連続表彰台という偉業をやってのけた。
41年前、ウォーミングアップも知らなかった中学生が井原後月の駅伝大会で区間賞を取った。それが縁で故長尾宣文先生に誘われて陸上競技の道に入っていった。その縁が実業団の監督に繋がっていたとは・・・。「56歳からの挑戦」が、今度は「東京オリンピックへ」と繋がって行く。
送別会の席で真友の新たな挑戦!男のロマンに燥いでいた時、留守を守る奥さんから「笹原さん、どうしてくれるん」と女のフマンがポロリ。「それはどうにもならんけど、奥さん、東京オリンピックに一緒に応援に行きましょ!」と返した。それにしても、「56才で新たな挑戦」少年のように「陸上競技が大好きです」かっこよすぎるじゃないか!俺たちも負けてはいられない!  
 2014年3月28日                笹原 真二  
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森政監督の送別会でのお話

2014-03-21 16:03:19 | Weblog
 昨夜、興譲館高校の陸上競技部の監督から、TOTO陸上競技部の監督に移籍する森政監督の送別会を、芳井中学校時代の同級生が14人で開きました。午後7時半から炉端焼きだんけに、皆が集まってワイワイガヤガヤ、楽しいひと時を過ごしました。中でも盛り上がったのが三宅K一君のアカスリへ行った時のお話。韓国人の女性が「イタカッタラ、イッテクダサイ」と言っていたから「いてー、いてー」と言ってるのに全く言葉が通じていなくて、全然弱くしてくれない。お蔭で肌がすりむけた。その上に塩もみをされて、稲葉の白ウサギになってしまった。という話を身振り手振りを交えながらの熱弁にみんな大盛り上がり。今度、妹尾K弘先生他同級生でみんなでアカスリに行くことになりました。
 森政監督の56歳にして「新たな挑戦」は我々、同級生の誇りです。是非、東京オリンピックで活躍する選手を作って欲しいですね。頑張れ!森政!
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「このくらいでいいか」は絶対よくない!

2014-03-16 13:10:18 | Weblog
 3月11日、伊勢神宮にお参りしたとき、内宮の社務所で正殿と同じ形の神棚を購入しました。それを持って帰ってのですが、今朝、新しい神棚にいわゆる遷宮をしました。それこそ我流で、お灯明をともして、大祓詞を読み終わったころ、お灯明の火が神棚の軒先を焦がしているではありませんか。すぐに火を消して大事には至らなかったのですが、新しい神様に移っていただいた早々に大失態をやってしまいました。蝋燭が少し大きいかなと思ってはいたのですが、「このくらいならいいだろう」と思って火をつけました。大祓詞も文字を追いながら読むのがやっとで、気づいたときは神棚の隅の軒先が焦げていて、「やってしまった」唖然としてしばらく落ち込みました。
 しかし、神棚、仏壇のお灯明からの火事というのはよくあることで、神様が身を以て「気をつけろ!」と諭してくださったのかと、良いように考え直しました。それでも一番の原因は「このくらいでいいか」という中途半端な判断がこの結果に。「このくらいでいいか」ではなく、「これなら大丈夫だ」というところで判断をしなければならないと、改めて感じた次第です。「このくらいでいいか」これまでの失態、失敗を振り返ってみると、すべてが当てはまります。自分のいいかげんなところが現れた出来事でした。
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昨日の雨はよく降りました。

2014-03-14 19:13:28 | 瓦のこと
 昨日の雨は、久しぶりによく降りましたね。昨夜からの雨。天気予報を見ると午後3時くらいまで雨雲が井原にはかかっていました。休日にするのも一案でしたが、皆に出勤してもらいました。今度入る高梁の現場に案内したり、屋根板の用意をしたり、葺土用の砂利を作ったり等々、午後からは瓦工事組合の理事会へ。部屋の中にいたため、いつ雨が上がったのかはよく分かり」ませんでしたが会議が終わった4時頃にはすっかり雨も止んでいました。それにしても、久しぶりのまとまった雨でした。今日は、午後2時半過ぎから30分くらい大きな霙が混じった雨が。そのせいもあるのか随分寒くなっています。
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3月11日、伊勢神宮へお参りしました。

2014-03-14 17:56:48 | Weblog
 私の人生の師匠、名古屋の江場さんと長野の丸山さんから3月11日、18時半から東日本大震災のチャリティーコンサートのお誘いが。ふと思ったのが昨年式年遷宮を終えた、伊勢神宮へお参りしてから、名古屋へ入ったらと。
 早速インターネットで路線検索で調べると、7時16分初の井原線に乗って、岡山からのぞみ、大阪で近鉄特急に乗り換えるとお昼前には伊勢に到着という。さっそくチケットを手配して、3月11日、東日本大震災が起こった日に、伊勢神宮にお参りしました。伊勢市駅から歩いて、外宮へお参り、バスで移動して内宮へお参りしてきました。内宮は過去2回お参りさせてもらっていました。五十鈴川を渡ると空気が変わるような・・・川の水は本当にきれいで、幹が10mくらいありそうな杉の木の木肌はやさしかったですね。新しい正殿と古い正殿。20年の歳月が杮葺きの屋根を朽ちかけさせていました。脈々と20年に一度、遷宮をして、次の世代へ伝えていく・・・ゆっくりとした時の流れのなかに包まれているようなとても居心地の良いひと時でした。
 追伸  以前お参りしたとき、「伊勢神宮の建物はすべて腐るものでできています」と。この言葉に感動したことを思い出した。腐ることが当たり前なのに腐らないというある意味非常に都合はよいのかもしれないが、おかしな状況だ。それに気づかされた。
 伊勢神宮では、屋根の朽ちかけた正殿を解体して。今度は五十鈴川にかかる宇治橋を掛け直したりするという。古い宇治橋はまた解体されて、地方の神社の社殿の材料になったりするという。こんなことが当たり前のように受け継がれてきたことを日本人として誇りに思う。
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