甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

6月のマンスリー

2011-07-10 20:33:05 | Weblog
     こだまでしょうか、  いいえ、誰でも。
 東日本大震災くらいから?TVからこんな詩が流れるようになった。初めて聞いた時、白黒の写真の風景とともに、こどものころが思い出された。「そんなこと、あったよな」そして・・・「今でも、一緒だな・・・」という感じで。

 「遊ぼう」っていうと  「遊ぼう」っていう
 「馬鹿」っていうと   「馬鹿」っていう
 「もう遊ばない」っていうと   「もう遊ばない」っていう
  そして  あとで  さびしくなって、
 「ごめんね」っていうと   「ごめんね」っていう
  こだまでしょうか、   いいえ、誰でも。
                金子 みすず

 東日本大震災をうけて、この詩が流れることに、さみしいけれど、「ほっとする」ような優しさと、安心感を覚えた。なぜだかわからないけれど・・・

 今年3月、イランでペルシャ語に翻訳された金子みすずの詩集が出ました。その翻訳にあたられた方がこうおっしゃいました。「金子みすずの詩は人間の詩」だと。金子みすずの詩というものは、民族も宗教もイデオロギーも越えて、人間本来の眼差しで歌われています。だからこそ、世界11ヶ国語で翻訳され、しかも中国の四川省で起きた地震の時には、みすずの詩が被災した子供達の心のケアにも使われたのです。
人間を温かに見つめるみすずの詩の原点はどこにあるのかと言えば、それは自他一如、みすずの言葉を借りれば「あなたと私」という眼差しです。私たちは誰しも自分が人間だという認識を持って生まれてきたわけではありません。両親や周囲の人たちの姿を通して、初めて自分は人間だということを認識できるのです。
このような根源的なことを教えてくれるのは、あなたの存在であって私ではありません。あなたがいなければ私は存在しえないのです。つまり二人で一つ。ですから幸せや悲しみを感じる時も、片一方が幸せの時にもう片方が不幸という構図は本来ありえないのです。  (致知7月号 金子みすずの詩を読む。   金子みすず記念館館長 矢崎節夫さんの記事から)    
 こだまでしょうか、  いいえ誰でも。・・・
この詩が、震災直後から、日本の国をやさしく包み込むように、こだましている。
2011年6月 28日            笹原 真二


    私と 小鳥と 鈴と
  私が  両手を  ひろげても、
お空は  ちっとも  飛べないが
  飛べる小鳥は  私のように、
  地面を  速く走れない。
  私が  体を  ゆすっても、
  きれいな  音は  出ないけど、
  あの鳴る  鈴は  私のように、
  たくさんな  唄は  知らないよ。
  鈴と、 小鳥と、 それから私、
  みんなちがって、 みんないい。  
            金子 みすず



 追伸、
 没後80年以上経っても、一度聞いただけで「ハット」するような新鮮な詩。金子みすずの詩は、時代を越えて、私たちに問いかけてくる。

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梅雨明け宣言

2011-07-10 20:15:55 | 瓦のこと
 先日、例年よりも随分早く、梅雨明け宣言が出されました。雨でしごとの段取りがやり難い状況からやっと逃れることが出来ると思うと、ほっとするような、しかし、梅雨が明けると、暑い、熱い日々がやってくるのかと思うとぞっとするような・・・毎年のことではありますが、8月まで、お盆が来たら、少し休める、風も変ると思いながらの日々が始まります。昨年の梅雨明けは7月の20日頃だったと思いますが、それからまるっきり雨が降らなくなって、お盆が来ても風も変らず、9月になって少し風が変った本当に暑い熱い夏でした。
 今日は7日の雨休みと振替で仕事をしました。ものすごい汗。汗が出るときって本当に気持ち悪いのですが、反対に汗が出始めてしばらくすると、ものすごく気持ちが良いんです。休憩の時、こんな話をしていたら「それは、社長だけでしょ!やはり気持ち悪い」って、みんな汗の修行が足りないのです。
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