甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

揺れ惑う 梅雨空のもと 段取りも 日替わり予報 頭抱える

2021-06-28 21:04:51 | Weblog
  「青天を衝け」郷土の偉人

 NHKの大河ドラマ、「青天を衝け」6月13日日曜日の放送では、母校の興譲館高校が物語の舞台となった。

 井原が舞台となって放送されるという情報をもらったのが、1週間前、それが嬉しくて、「井原市が、母校の興譲館が、物語の中で出て来るから、「青天を衝け」を是非、見てくれ。」という電話や、メールをしまくった。結果13日までに、沖縄から北海道まで、47都道府県の半数以上、親戚をはじめ友人知人の50名近くの人たちに連絡を取っていた。意外だったのは、案外、大河ドラマを見ていない人が多かったことだ。しかし、「今回だけは見て!」とお願いした。

 興譲館の卒業生さえも、渋沢栄一が一橋領だった井原へ農兵募集に来て、興譲館の館長だった阪谷朗蘆と交流を持ったこと、朗蘆が一橋慶喜に進講したこと、後に、渋沢の次女琴子が、朗蘆の息子芳郎に嫁いだことなど、知らない人が多いくらいだ。幸いに30年ほど前、童門冬二さんの「小説・渋沢栄一」を読む機会があったから、これらのことを知っていた。

 そんな説明をしながら電話やメールをした。追伸として、放送終了後の予告編の後「栄一ゆかりの地」が紹介されるのだが、今回は、岡山県の史跡で県の文化財に指定されている興譲館高校の校門、講堂が必ず紹介されると予想して、「校門、講堂の屋根は、私が瓦を葺いています。」と付け加えた。

 物語の中で、一橋家の家臣で在りながら攘夷を唱える渋沢に対し、朗蘆は、「私は、港を開くべきと教えている。今日、異国が通商を求めるのは、異国の魂を広げるためではなく、互いの利のため。それを、盗人盗賊のごとく無下に打ち払おうとするのは、人道に外れるだけでなく、世界の流れに反することになる。」と、江戸や大阪の多くの漢学者が攘夷を唱えていた意見とは、全く違った考え方を示す場面があった。

 高校時代、当時の森本校長から、「嘉永6年、黒船ペリー来航の年、代官所と、領民有志のこれから学問が必要になるという思いから設立に至った郷校、興譲館。多くの漢学者が攘夷を唱える中、この地方にあって、朗蘆先生は、開国を主張していた。」という話を聞かされていたことを思い出した。当時、何気なく聞いていたことだが、ドラマの中でその場面を見ると、誇らしく思えた。

「青天を衝け」今後、どんなドラマの展開になるか?朗蘆の息子芳郎は、渋沢の次女琴子と結婚、大蔵大臣、東京市長を歴任している。だから、ドラマ後半、また、阪谷朗蘆、芳郎親子が再び登場しないか?楽しみに見て行こうと思っている。     

   令和3年6月28日         笹原 真二

追伸  芳郎は、義父渋沢栄一らとともに明治神宮創設の有志委員会の中心的存在となっている。明治神宮の鳥居には、現在の東京の街の礎を作ったと言われている。後藤新平と共に、阪谷芳郎の名が刻まれている。
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