甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

4月のマンスリー

2013-04-28 19:01:35 | 陸上競技のこと
    同じ釜のめし
 今年の1月の中旬、大東文化大学名誉教授で陸上競技部の元監督、青葉昌幸先生(箱根駅伝優勝4回、全日本学生駅伝優勝7回)の古希の祝いと前立腺癌からの快気祝いの案内が届いた。
大学を卒業してあっという間に33年が過ぎた。4年間の寮生活、同じ屋根の下で暮らし同じ釜のめしを食った先輩、後輩、同期の仲間。8日に1度回ってくる食事当番では、1年生と2年生が組んで2人で約40人分の食事を作った。朝夕のおかずの材料費は200円、肉は当時g50円の豚の細切れ、鶏肉、レバー、魚は鯖、皆が工夫を凝らしながらスパー丸武、加島肉店で買出しをした。
同期で新潟の高橋から「卒業以来、みんなで一緒に会うことが無かったから集まろう!」という連絡が入る。主将をしていたか鹿児島の吉元からも「3月10日の青葉先生の会へ行こう」そんな電話は先輩や後輩からも掛かってきた。
寮の部屋は江戸間の6畳、おもちゃのようなタンスとファンシーケースがあって3人分の布団を引けば畳は見えなくなる。最初の部屋長は岩手県出身で2年先輩の後藤さんだった。あまり口数は多くなくお酒が好きで・・・後藤さんに会いたい!と思って1月31日、電話を掛けた。すると奥さんが「主人はこの20日に会社で倒れてそのまま亡くなりました」35年ぶりに会える事を楽しみにしていた先輩は亡くなっていた。しかもほんの少し前に。
3月10日14時頃、新宿ワシントンホテルに同年代が10名ほど集まる。後輩の長谷川は坊主頭でまるで修行僧のような感じ、なつかしい先輩後輩の顔が。電車に乗り込んで会場の川越プリンスホテルへ向かう。車内はいつの間にか学生時代にタイムスリップ。先輩の寺坂さんが「おい、笹、お前の顔、大学3年に戻っているよ」その通りだった。当日、関東地方はものすごい強風で川越まで約一時間のところが40分遅れ。そんなことも全く気づかなかった。
会場は全国にいるOB約450名のうち150名が出席。頭の薄くなった人、昔と変わらない人・・・1年生の時の主将大久保さんは当時、人を寄せ付けないような雰囲気さえあったが、笑顔で「おお!なつかしいなあ!元気か?」と声をかけてくれた。長い間OB会の事務局をしていた原田先輩が来ていないのが残念だった。しかし、在学中体調を壊して中退せざるをえなかった2年先輩の松岡さんが来ていた、これが大東文化大学陸上競技部の誇れる自慢だ。
寮には北海道、東北の人もいれば九州の人もいる。今までまったく知らなかった人たちと同じ屋根の下で暮らした、青葉先生の家族もいた。だから、先生の娘や息子たちとも同じ釜のめしを食った。同じ生活の中で様々な体験をさせてもらった。当然、監督、先輩に怒られたこともあればいやになるようなことも確かにあったのだが、それが今では、すべてが面白かったという記憶しかない。そんな不思議な縁を陸上競技が結んでくれた。          2013年4月27日   笹原 真二
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今日の雨・・・おかげさまでゆっくりできました。

2013-04-24 22:10:36 | Weblog
 4月、5回目の雨でした。昨日から雨予報でしたので、今日は休みにしようということで、雨天休業!久しぶりにゆっくりできました。21日に市会議員の選挙も終わり、電話もあまり掛かってこなかったし、だからゆっくっり本も読むことができて本当に良い雨の休日となりました。山は新緑の季節に向けて恵みの雨だったと思いますが、私にとっても恵みの雨でした。こんなやさしい雨はいいですね。
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3月のマンスリー

2013-04-01 20:01:34 | Weblog
     韋駄天様のお話
 3月3日の日曜日、重玄寺(井原市芳井町)で画聖雪舟の報恩忌が行なわれた。(雪舟終焉の地は、山口市、島根県益田市等、いくつかあるが、「東福寺誌」「吉備物語」等の文献に重玄寺終焉説が出ている)藤井宗俊住職からは、法要後、広島県世羅町の修善院住職神田敬州和尚(世羅高校陸上競技部OB)が「韋駄天様のお話」という法話があるということでお誘いをいただいていた。
「駅伝シーズンになると、新聞、TVニュース等でごぼう抜きをしたとか、とんでもなく速く走った選手に対して「韋駄天走り」という言葉が使われていますが、そもそも韋駄天とは、仏教の神様の一人韋駄天様のことで、お釈迦様が亡くなった後、捷疾鬼という足の速い鬼が仏舎利を奪って逃げた。この時、韋駄天様がこれを追って取り戻したという逸話から「韋駄天走り」という言葉が生まれた。
韋駄天様は寺院を守る神様で、特に禅宗では庫裏の厨房にまつられていることが多い。それは、韋駄天様がお釈迦様のために方々駆け巡って食べ物を集めてきたという逸話から「御馳走様」という言葉が出来たと言われている。
農家の方が田んぼを走り回ってコツコツと様々な仕事をして米をつくり、畑では野菜を作って収穫する。山の猟師は森を走り回って獲物を獲る。漁師は船で海の上を走り回って魚を捕る。それを流通業の方が運んでくれる。いろんな人達が走り回って食べる物を我々のところに届けてくださるから、食事を頂くことができる。だから「御馳走様」という言葉は「御、馳せ走る様」と書いて、走るという意味の漢字が二つ使われ、敬うという意味の漢字も二つ使われている。仏教の教えから「ごちそうさま」という言葉が使われているのです」
 法話が終わったあと、なるほどと感心していた時、ある方が「韋駄天様」とはどういう字を書くのですかと質問された。考えてみると「韋駄天様」の駄は「駄馬の駄」ではないか。韋駄天走りであれば、「駿馬(サラブレッド)の駿」の方が合っているのではないかと思うのだが「駄馬の駄」だから、改めて感心した。昔の人は面白い字を当てたものだ。
 公務員ランナーの川内優輝選手のマラソンは、練習も試合も関係ないかのようないつも韋駄天走り。力を使い果たしてゴール後は度々医務室へ。ゴール手前で倒れたこともある。決してサラブレッドの選手ではないが、最強の駄馬だ!
韋駄天走りはサラブレッドの特権と思っていた。しかし彼を見ていると、韋駄天様の意味と重なって見えてくる・・・どちらも一所懸命走り回っている。そして川内選手はゴール後必ずコースに向かって一礼「御、馳せ走る様」と言って感謝しているような・・・神田敬州和尚の韋駄天様の話から韋駄天様も川内選手も、ものすごく身近に感じている。
             2013年3月27日       笹原 真二
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