同じ釜のめし
今年の1月の中旬、大東文化大学名誉教授で陸上競技部の元監督、青葉昌幸先生(箱根駅伝優勝4回、全日本学生駅伝優勝7回)の古希の祝いと前立腺癌からの快気祝いの案内が届いた。
大学を卒業してあっという間に33年が過ぎた。4年間の寮生活、同じ屋根の下で暮らし同じ釜のめしを食った先輩、後輩、同期の仲間。8日に1度回ってくる食事当番では、1年生と2年生が組んで2人で約40人分の食事を作った。朝夕のおかずの材料費は200円、肉は当時g50円の豚の細切れ、鶏肉、レバー、魚は鯖、皆が工夫を凝らしながらスパー丸武、加島肉店で買出しをした。
同期で新潟の高橋から「卒業以来、みんなで一緒に会うことが無かったから集まろう!」という連絡が入る。主将をしていたか鹿児島の吉元からも「3月10日の青葉先生の会へ行こう」そんな電話は先輩や後輩からも掛かってきた。
寮の部屋は江戸間の6畳、おもちゃのようなタンスとファンシーケースがあって3人分の布団を引けば畳は見えなくなる。最初の部屋長は岩手県出身で2年先輩の後藤さんだった。あまり口数は多くなくお酒が好きで・・・後藤さんに会いたい!と思って1月31日、電話を掛けた。すると奥さんが「主人はこの20日に会社で倒れてそのまま亡くなりました」35年ぶりに会える事を楽しみにしていた先輩は亡くなっていた。しかもほんの少し前に。
3月10日14時頃、新宿ワシントンホテルに同年代が10名ほど集まる。後輩の長谷川は坊主頭でまるで修行僧のような感じ、なつかしい先輩後輩の顔が。電車に乗り込んで会場の川越プリンスホテルへ向かう。車内はいつの間にか学生時代にタイムスリップ。先輩の寺坂さんが「おい、笹、お前の顔、大学3年に戻っているよ」その通りだった。当日、関東地方はものすごい強風で川越まで約一時間のところが40分遅れ。そんなことも全く気づかなかった。
会場は全国にいるOB約450名のうち150名が出席。頭の薄くなった人、昔と変わらない人・・・1年生の時の主将大久保さんは当時、人を寄せ付けないような雰囲気さえあったが、笑顔で「おお!なつかしいなあ!元気か?」と声をかけてくれた。長い間OB会の事務局をしていた原田先輩が来ていないのが残念だった。しかし、在学中体調を壊して中退せざるをえなかった2年先輩の松岡さんが来ていた、これが大東文化大学陸上競技部の誇れる自慢だ。
寮には北海道、東北の人もいれば九州の人もいる。今までまったく知らなかった人たちと同じ屋根の下で暮らした、青葉先生の家族もいた。だから、先生の娘や息子たちとも同じ釜のめしを食った。同じ生活の中で様々な体験をさせてもらった。当然、監督、先輩に怒られたこともあればいやになるようなことも確かにあったのだが、それが今では、すべてが面白かったという記憶しかない。そんな不思議な縁を陸上競技が結んでくれた。 2013年4月27日 笹原 真二
今年の1月の中旬、大東文化大学名誉教授で陸上競技部の元監督、青葉昌幸先生(箱根駅伝優勝4回、全日本学生駅伝優勝7回)の古希の祝いと前立腺癌からの快気祝いの案内が届いた。
大学を卒業してあっという間に33年が過ぎた。4年間の寮生活、同じ屋根の下で暮らし同じ釜のめしを食った先輩、後輩、同期の仲間。8日に1度回ってくる食事当番では、1年生と2年生が組んで2人で約40人分の食事を作った。朝夕のおかずの材料費は200円、肉は当時g50円の豚の細切れ、鶏肉、レバー、魚は鯖、皆が工夫を凝らしながらスパー丸武、加島肉店で買出しをした。
同期で新潟の高橋から「卒業以来、みんなで一緒に会うことが無かったから集まろう!」という連絡が入る。主将をしていたか鹿児島の吉元からも「3月10日の青葉先生の会へ行こう」そんな電話は先輩や後輩からも掛かってきた。
寮の部屋は江戸間の6畳、おもちゃのようなタンスとファンシーケースがあって3人分の布団を引けば畳は見えなくなる。最初の部屋長は岩手県出身で2年先輩の後藤さんだった。あまり口数は多くなくお酒が好きで・・・後藤さんに会いたい!と思って1月31日、電話を掛けた。すると奥さんが「主人はこの20日に会社で倒れてそのまま亡くなりました」35年ぶりに会える事を楽しみにしていた先輩は亡くなっていた。しかもほんの少し前に。
3月10日14時頃、新宿ワシントンホテルに同年代が10名ほど集まる。後輩の長谷川は坊主頭でまるで修行僧のような感じ、なつかしい先輩後輩の顔が。電車に乗り込んで会場の川越プリンスホテルへ向かう。車内はいつの間にか学生時代にタイムスリップ。先輩の寺坂さんが「おい、笹、お前の顔、大学3年に戻っているよ」その通りだった。当日、関東地方はものすごい強風で川越まで約一時間のところが40分遅れ。そんなことも全く気づかなかった。
会場は全国にいるOB約450名のうち150名が出席。頭の薄くなった人、昔と変わらない人・・・1年生の時の主将大久保さんは当時、人を寄せ付けないような雰囲気さえあったが、笑顔で「おお!なつかしいなあ!元気か?」と声をかけてくれた。長い間OB会の事務局をしていた原田先輩が来ていないのが残念だった。しかし、在学中体調を壊して中退せざるをえなかった2年先輩の松岡さんが来ていた、これが大東文化大学陸上競技部の誇れる自慢だ。
寮には北海道、東北の人もいれば九州の人もいる。今までまったく知らなかった人たちと同じ屋根の下で暮らした、青葉先生の家族もいた。だから、先生の娘や息子たちとも同じ釜のめしを食った。同じ生活の中で様々な体験をさせてもらった。当然、監督、先輩に怒られたこともあればいやになるようなことも確かにあったのだが、それが今では、すべてが面白かったという記憶しかない。そんな不思議な縁を陸上競技が結んでくれた。 2013年4月27日 笹原 真二