花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

マレーシアの旅(9)

2012年01月22日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

≪最後に≫
思い切って出かけたマレーシアだったが、現地ガイドは戦時中の日本統治にはほとんど触れず、私達を気遣ってくれた様子だった。しかし、私は『旅行ガイドにないアジアを歩くーマレーシア』(梨の木舎)を図書館で見つけて借り、当時の実情を知った。

        
それによると、マレーシア国内にある日本人に殺された人たちの「追悼碑」は、著者たちが調査したものだけで70か所以上あり、中には赤ん坊を含む村人全員が虐殺されたとか、村の男性数十人が広場に集められて殺され、放置されたり埋められたりしたという場所も何か所にものぼっている。(彼らに穴を掘らせてから側に並んで立たせ、背後から銃を撃ったり銃剣で刺して殺戮して埋めたという調査も出て来る。共通したやり方は、集めた大勢の人達を幾つかに分けて兵士が4~5人ずつ付き、離れた場所に連行してから殺害したと書かれていた)

また、北ボルネオ島の売られた日本人女性『からゆきさん』で有名な「サンダカン」では、1944年11月に連合軍の大空襲を受け始めると、この地の放棄を決めた日本軍は、軍事用飛行場の造成をさせていた連合軍のオーストラリア軍、イギリス軍の捕虜を含む1000人強の兵士の逃亡を恐れ、250km離れたラナウまで険しいジャングルを3回に分けて強行行進させたという。
この途中、熱帯というだけでなく、食糧不足、過労で多くが倒れたり病気になり、その都度、刺殺、射殺された犠牲者が多く出て、日本の敗戦時にはわずか6人しか生存者がいなかったというのだ。「サンダカン、死の行進」といわれるこれらの事実を日本の私達にはあまり知らされていない。
私はこの本を読んで、今までナチスドイツが行ったおぞましいホロコーストや日本軍が中国で行った残酷非道な行いに心を傷めて来たが、ここでもまた、敗戦までの僅か3年9か月の間に、日本軍は大勢のマレーシア人(日本軍は、抗日運動をした中華人の排除を狙ったのだというが)や、連合軍捕虜を殺害したのである。
歴史に「もし」は無いというが、もし日本の侵攻が無ければ、マレーシアはもっと早くに大きな発展を遂げていたのではとも思ったりするのだ。
こうした史実を私達も知って、今世紀以降の国のあり方、国政の進み方に生かさなければならないと強く思う。

僅か数日間の旅行だったが、本当に行って良かった。私のつたない体験ではあるが、まだマレーシアに行った事がない方々や長くなった旅日記にお付き合いいただいた方々には、マレーシアという国について少しは身近に感じていただけただろうか。
旅を終えた今、今度はもう一つのマレーシア領である「北ボルネオ島」と、かってマレーシアだった「シンガポール」に行きたくなっている。(完)
                    

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6 コメント

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Unknown (ニアミス君)
2012-01-22 16:03:00
ソナタさん
はじめまして こんにちは 「まさえ」さんのHPからやってきました。5年前からHPを覗いてまさえさんの生活を感心してみていました。このたびは本当に残念でした。まさえさんにはお会いしてませんでしたが何度か近場で出会いそうなことがありました。

もうHPも閉じられましたね。
5年前私もがんで声を失いました。でもこうして元気に生活しています。ソナタさんの部屋も無断でときどき覗いてました。戦争の話で書き込もうかなと思いました。父も終戦まじかなS20.8.9に中国で戦死しました。3年前厚生省の戦没者遺児の中国訪問団に参加し慰霊巡拝し、やっと安らぎを得た思いがします。
やはり色々話を聞くと中国でも食料を略奪しながら
進軍したようです。
兵士はやるか、やられるかで平和な世の中では考えられないことだと思います。

二度と戦争はしてほしくないですね。
東日本大震災、原発事故でも大勢の方が亡くなりました。戦争は殺し合いですがこれも人災で過去に学べず言いようのない
悲しみを覚えます。

それでも日本国民の被災地でのボランティアには感動以外何物でもないですね。
それにひきかえ政治家には憤りで胸がはじけそうです
。悪いことをやる政治家が後を絶えません。うそ、いつわり、記憶にない、秘書に任せた。etc

あまり楽しくない話ですみませんでした。
これからも楽しい旅行、園芸、活動期待してます。






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Unknown (ソナタ)
2012-01-23 09:05:26
ニアミス君、初めまして。コメント有難うございます。
Mさんの所からとか。(この所、Mさんへのコメントは控えていましたが)
こんなことをここで言っていいのかどうかと思いますが、Mさんにもナイーヴな所があり、とても落ち込む時もありました。でも『ブログには弱さは書けない』と言って最後まで気丈に振る舞ったので、読者やメール友は励まされたと思います。
ただメール友以外の友人がいなかったみたいでしたし、ご家族にも胸の内は言えないと言っていたので、孤高の人だったように感じています。
私もMさんのブログからエールを受け取り、この様に残された人生を前向きに楽しむ様になりました。ブログ、雑記帳が消されたのが残念です。

戦争であなた様の御父上が亡くなったのは何とも残念な事です。もう少しポツダム条約の提示と受け入れが早かったらと思わずにはいられません。
私の父は従軍先から結核で帰還させられて6年間療養の末亡くなりました。母には遺族恩給は出ていませんので、苦労だけして53歳で死にました。今の私はそんな父と母を見て来た影響を受けています。

私と同世代かどうか分かりませんが、ニアミス君、どうぞお体を大切にして、精一杯自己表現や活動をされるようお祈り致します。
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Unknown (あばた)
2012-01-23 12:29:42
sonataさん、こんにちは♪
日本人、酷いですね。だからこそ私たちは先頭に立って平和を訴え続けなければならないと思います。
マレーシアのことが知れて良かったです。
有難う御座いました。
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Unknown (ソナタ)
2012-01-23 17:16:44
あばたさん、こんにちは。
かいま見たマレーシアの旅日記でしたが、読んでいただけてコメントも下さって有難うございました。
戦争の時の事は、加害者が隠したり忘れたとしても、被害者は絶対覚えていて後世に伝えるんです。だから、私達も事実を知らなければ彼らに対して恥ずかしいと思います。ビジネスをする前提ですね。

あばたさんも暇ができた時には、是非一度訪れて見てはいかがですか。
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Unknown (lastsmile)
2012-01-24 00:48:02
日本陸軍のアジアに残した爪痕の深さにあらためて痛みを感じます。マレーシアでのお話を読んで、忘れてはいけない歴史の重さ、戦争の狂気とともに刻んでいくことの大切さを身にしみました。
ありがとうございます。
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Unknown (ソナタ)
2012-01-24 07:47:29
lastsmileさん、こんにちは。
やはりこのことは書かねばと思いました。日本軍は国際条約に違反する行為を沢山やったんですね。宣戦布告もせずに攻め込んだり、丸腰の民間人を大量に虐殺したり…。そのやり方も赤ん坊を空中に投げあげてから…などと。胸が痛みます。
事実を知らされていない私たちが一番おめでたいのかもと思います。国の指導者がどんな人達かが重要な教訓ですね。
今後も命ある限り、学び続けたいです。
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