読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

「ことり」小川洋子

2018-04-15 21:02:31 | 小説


今回ご紹介するのは「ことり」(著:小川洋子)です。

-----内容-----
世の片隅で小鳥のさえずりにじっと耳を澄ます兄弟の一生。
図書館司書との淡い恋、鈴虫を小箱に入れて歩く老人、文鳥の耳飾りの少女との出会い……
小さな、ひたむきな幸せ。
やさしく切ない、著者の会心作。

-----感想-----
「小鳥の小父さん」が亡くなっているのが発見されるところから物語が始まります。
第三者が一人称で小父さんのことを語る形で物語が進んでいきます。
小父さんは両腕でメジロの入った竹製の鳥籠を抱いて亡くなっていました。

小父さんは近所の幼稚園の小鳥達を二十年近くに亘って世話をしていた時期があり、その間にいつしか「小鳥の小父さん」と呼ばれるようになりました。
また世話は誰に頼まれたわけでもなく全くの奉仕活動でした。

小父さんは愛想よく世間話をするのが苦手です。
鳥小屋の掃除が終わった時に園長を務める老婦人が「いつも、ありがとうございます」と声をかけても「いえ、まあ」と口ごもっていました。

家へ帰って園長先生から貰ったプリンを食べる時の描写が印象的でした。
家へ帰り着くと、小父さんは濡れた洋服を着替え、手を洗い、連絡袋の中からプリンを取り出して食べる。園児のおやつ用のそれはとても小さく、あっという間に食べ終わる。髪の毛に引っ掛かっていた烏骨鶏(うこっけい)の真っ白い羽毛が、連絡袋のカナリアの上にふわりと舞い落ちてくる。
最後の一文が印象的で、純文学の作家さんはこういった繊細な表現をすることがよくあります。
動作の描写の後に場の雰囲気を表す描写が添えられていて、私はこういった表現が好きです。

初めて小父さんに幼稚園の鳥小屋を見せてくれたのは七つ年上のお兄さんで、小父さんが6歳の時に見せてくれました。
小父さんが「どうしてこんなに鳴くの?」と言うとお兄さんは「鳴いているんじゃない。喋っているんだ」と言い、さらに「小鳥は僕たちが忘れてしまった言葉を喋っているだけだ」と言います。
お兄さんには小鳥の言葉が分かります。

お兄さんは11歳を過ぎた頃、自分で編み出した言語で喋り始めます。
母親は驚きうろたえ、検査入院など様々なことをしますがお兄さんが日本語を話してくれることはありませんでした。
学校の先生も父親、母親も近所のおばさんもお兄さんが何を言っているのか分かりませんでしたが、小父さんにはお兄さんの言葉が分かりました。

父親は長男をどう扱ったら良いのか分からなくなり途方に暮れます。
勤め先の大学関係で助けになってくれそうなつてがあれば働きかけ、学術文献を取り寄せたり、専門教育を受けた家庭教師を見つけてきたりもしました。
小父さんの目には父親がお兄さんを畏れているかのように映っていました。

お兄さんは小鳥のさえずりだけをお手本に言語を作っていきました。
「小鳥たちのさえずりからこぼれ落ちた言葉の結晶を、拾い集めていった。」とありました。
またお兄さんは芸術センスに優れていて、独自の言語で「ポーポー」と呼んでいる青空薬局で買う棒つきキャンディーの包装紙を張り合わせて、そこから小鳥を切り出して接着剤で安全ピンを取り付け、小鳥のブローチにして母親の誕生日プレゼントにしていました。
小父さんはお兄さんの言語を心の中で「ポーポー語」と呼ぶようになります。

母親が難しい血液の病気で亡くなった九年後、父親が大学の定年退職を目前に急死します。
この時お兄さんは29歳、小父さんは22歳で、以来彼らは二人きりで共に暮らします。

小父さんは家から自転車で十分くらいのところにある、金属加工会社のゲストハウスの管理人として働いています。
小父さんの仕事はいつゲストがやって来てもいいようにそこをベストの状態に保っておくことです。

土曜日の午後、小父さんの仕事が終わった後、二人は幼稚園の鳥小屋を見に行きます。
お兄さんの耳は小鳥たちの歌を正しく聞き取り、小鳥が発する何もかもを受け取り、そこに現れる意味を理解します。
そして小鳥たちもお兄さんが小鳥の言葉が分かるのを分かっています。

ある日お兄さんが青空薬局に行った時、小鳥ブローチを店主にあげてしまいます。
母親への大事な誕生日プレゼントだったのになぜあげたのか小父さんは戸惑います。
これはいつも美味しいキャンディーを買わせてくれてありがとうという感謝の思いであげたのかなと思います。
母親が亡くなり、そのまま置いておくよりは今生きている人への感謝に使いたいと考えたのかも知れないです。
小鳥ブローチは青空薬局が取引している薬品会社から貰ったモビールに飾られていました。

しかし薬品会社が倒産しモビールも全部捨てたため、店主が小鳥ブローチを返してくれます。
小鳥ブローチが帰ってきてからお兄さんは青空薬局に行かなくなりキャンディーも買わなくなります。
お兄さんは何も言いませんでしたがショックを受けたのだと思います。
もう来ないでくれと受け取ったのかも知れないです。

小父さんが小鳥を飼おうと言うとお兄さんはいらないと言います。
「小鳥は幼稚園にもいる。庭にもいる。世界中、どこにでもいる。どれが自分のかは、決められない。だから、自分の小鳥はいらない」と言っていました。
お兄さんにとって小鳥はどれも大事な存在で、特定の小鳥を手元に置くことはできないということだと思います。

小父さんとお兄さんの生活は23年続きました。
ある時二人で旅行に行こうとなりましたが、荷物の準備も終わり出発の時になってお兄さんが「やっぱり行かない」と言います。
以来二人の旅行は荷物を用意してリュックにつめるまでで終わる架空旅行になっていて、それを年に一度か二度行っています。

小父さんはお兄さんに対し「昨日と同じ一日を過ごすこと」を最も意識していました。
どんなささやかな変化でもお兄さんには負担になったとありました。
これは自閉症の症状に似ていると思いました。

ある日、お兄さんがいつものように幼稚園の鳥小屋を見ている時に心臓麻痺で倒れて亡くなり、52年の生涯を閉じます。
この時病院に付き添ってくれた園長先生と小父さんが初めて話します。
小父さんはお兄さんの死を次のように思います。
お兄さんは最も相応しい場所で死んだのだ、と小父さんは思った。最後の時、小鳥たちがそばにいたことは、兄弟にとって何ものにも代えがたい慰めだった。

小父さんは園長先生に「もしご迷惑でなければ、鳥小屋を掃除させてほしいのです」と言います。
園長先生は「ええ、もちろん。喜んでお願いしましょう」と言ってくれます。
園長先生が亡くなったお兄さんのためにコスモスを活けているのを見て小父さんは次のように思いました。
コスモスを活けるのが園長先生にとっての供養であるならば、自分にとってのそれは鳥小屋を世話することだ。お兄さんが生涯をかけて見つめ続けた鳥小屋を、隅々まで丁寧に磨き上げながら、求愛の歌をうつむいた背中で聴くのだ。それが死んだお兄さんの最も近くに行く方法だ。
供養の方法は人それぞれで、この兄弟にとってはやはり小鳥に関わることなのだと思います。

鳥小屋の掃除に幼稚園へ通う以外の時間、小父さんはしばしば図書館で過ごします。
そして借りるのは鳥にまつわる本だけです。
ある日新しく借りる本をカウンターに置いた時、司書の若い女性から「いつも、小鳥の本ばかり、お借りになるんですね」と声をかけられます。
女性は小父さんが次に何を借りるか密かに予想を立てていると言います。
カウンターに女性の姿がなく、別の人が座っていた時に小父さんはひどく狼狽して読書もはかどらなくなっていて、明らかに女性が好きなのが分かりました。

小父さんがバラの植わった古い屋敷の管理人だと言うと、女性は「私、子供の頃からずっと、一度でいいからあそこに入ってみたいと思い続けているんです」と言います。
小父さんは「よかったらご案内しましょう」と言い図書館が休館の日に女性が訪れます。
他の従業員から不審がられ、さらにゲストハウスの食べ物を女性に出したりもしていて、私用に使うのはまずいのではと思いました。

小父さんは会社から服務規律違反による始末書の提出を求められます。
女性をゲストハウスに招いたことがばれ、さらに女性を招いてから自身もゲストハウスのチョコをひと粒ずつ食べるようになったのもばれていました。
しかしそれでも小父さんは女性に「いつでも好きな時に呼び鈴を押してくれていいんです。チョコレートを用意して待っています」と言っていて、かなりこの女性が好きなのだと思いました。
そして小父さんは司書も自身に好意を抱いていると確信していましたがこれは勘違いではと思いました。

ある日小父さんが司書に方向が同じなら一緒に帰りませんかと言い、一緒に帰ります。
その時の川面に映る半月の描写が印象的でした。
黒々とした川面に半月が映っていた。さざ波の下に沈んだかと思うとすぐに浮き上がり、やがてばらばらの光の破片になり、また流れの中で元の半月に戻った。
これは描写が凄く丁寧で、川面でゆらゆら揺れる月が思い浮かびました。

司書が突然辞めていなくなります。
元々臨時職員で、結婚するとありました。
ただ最後の方は小父さんの好意に気づき困っているように見えました。

お兄さんが亡くなって15年近く過ぎ、小父さんは定年間近になります。
9月の終わり、小父さんが河川敷のベンチで一休みしていると見知らぬ老人が近寄ってきます。
老人は小父さんの隣に座り、背広の内ポケットから小さな箱を取り出して耳に当てます。
運は虫箱で、老人は鈴虫を入れて鳴き声を聞いていました。
老人は鈴虫の鳴き声は一匹一匹違い、いかに綺麗な音で鳴く鈴虫を見分けるかが大事と言います。
お兄さんと小父さんの兄弟も変わっていますがこの老人もかなり変わっていると思いました。

5歳の女の子が行方不明になり、翌日の朝、河川敷公園の草むらで一人で泣いているところを発見されます。
女の子が知らない人に連れて行かれたと話したことから警察は未成年者略取の疑いで捜査します。
そして小父さんの家に警察が二人やってきて幼児連れ去り事件のことを聞かれます。
小父さんが幼稚園に行くと扉に南京錠が付き今までのようには開かなくなっています。
老婦人から代わった新しい園長が園の関係者以外は立ち入り禁止というルールにしたことを伝えます。
小父さんは南京錠が自身を締め出すためのものだと理解します。
さらに周囲から自身が幼児連れ去り事件に関わっていると噂されていることに気づきます。

幼児連れ去りの犯人が逮捕されます。
しかし小父さんを気味悪く言う人はまだいて、鳥小屋の係には復帰できそうにありませんでした。
やがて小鳥が全て亡くなり鳥小屋は撤去されます。
鳥小屋が姿を消した後しばらくして小父さんはゲストハウスの仕事を辞めます。
60歳で定年を迎え嘱託として勤めを続けていましたが、会社がゲストハウスを手放すことになりそれを機に退職しました。

ある朝、メジロの幼鳥が窓にぶつかって倒れているのを見つけます。
小父さんはメジロを動物病院に連れていき世話をするようになります。
傷が癒えた頃いきなり男が家にやって来て、メジロを譲ってくれないかと言います。
男は二十五年間、五百羽以上メジロを飼い続けていて、小父さんのメジロを十年に一羽の鳴き方に才能のあるメジロだと言います。
さらに男は鳴き合わせ会という、メジロの鳴き声を聞いてみんなで楽しむ会に来ないかと言います。

小父さんが籠の中で鳴くメジロに「私のためになど、歌わなくていいんだよ」と言っていたのが印象的で、自身のために鳴かそうとする男とは対極の言葉だと思いました。
小父さんはメジロに「明日の朝、籠を出よう。空へ戻るんだ」と声をかけます。
お兄さんが鳥小屋を見ていて最期を迎えたのと同じように小父さんもメジロとともに最期を迎えられて良かったと思いました。


とても静かでゆったりとした物語でした。
文章も淡々としていたのが印象的で、静かに暮らす兄弟によく合っていました。
あまりに静かな日々ですが、静かな日々を送るにはお兄さんは毎日に変化がないように神経を使い、小父さんはお兄さんと暮らすために働いていました。
お兄さんも小父さんも静かな毎日をしっかり生きたのだと思います。


※図書レビュー館(レビュー記事の作家ごとの一覧)を見る方はこちらをどうぞ。

※図書ランキングはこちらをどうぞ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 再び山陽へ | トップ | 「毛利元就 第一回 妻たち... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿