読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

「ダスター」の謎

2010-07-20 22:03:15 | ウェブ日記
今日はとあるお店で夕飯を食べていたとき、「ダスター」という普段聞き慣れない言葉を耳にしました。

客の女「すいませーん、ダスター借りられますかー」
店員の男「ダスター?」
(この後1~2秒くらい間が空く。たぶん客の女が何かしら補足をしたはず)
その後店員の男が「台ふき」を女のところに持っていって、一件落着。

このことから、「ダスター」が台ふきのことだと分かりました。
最近は台ふきのことをダスターというのかと思い、何となく時代の流れを感じました
ここで疑問があるのですが。。。
わざわざダスターなどと呼ばなくても、台ふきは台ふきのままでもいいのではないでしょうか。
何でもかんでもカタカナ言葉で言えば良いというものではないと思います。
これがテレビやパソコンなら、これらはもともと海外から伝わったものなので、カタカナ言葉でも自然な感じがします。
しかし台ふきはもともと日本で生まれた言葉なので、これを無理にカタカナ言葉にしても、どことなく違和感があります。
ここは日本で生まれた伝統ある言葉に自信を持って、「台ふき」で押し通すべきではないでしょうか^^

何だか今日は、保守派のような主張をしていますが。。。
一応断わっておきますと、私は旧態依然としたものを守るタイプではありません。
しかし日本語については、色々な言葉が次々とカタカナ言葉に変わっていくことに戸惑っています。
例えば、授業の「時間編成」がいつの間にか「カリキュラム」になっていたり…
人の心の傷を慰めることを、いつの間にか「ケアする」と言うようになっていたり…
これらの言葉は、何となく心証がイマイチなんですよね。
(もちろんそういった言葉を好む人もいるでしょうし、これはあくまで私の場合です)
私もカタカナ言葉を使っているので偉そうなことは言えないのですが、つまるところ使いどころが重要なのではと思います。
カタカナ語が威力を発揮する場面もあるし、反対にもともとの日本語が威力を発揮する場面もあります。
そこを考えながら、もともとの日本語とカタカナ語を上手く織り交ぜていけば、現代風の良い感じの日本語になるのかなと思いました。