東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 伊保庄 小田~山近周辺の史跡巡りウォーキング(2/5)

2022年04月24日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今回の史跡巡りで、私はおニューの靴を履きました。ハイキング用の中でも、やや登山向きの靴です。そのため、上りも下りも快適に歩くことができました。特に、最初に行った行者堂では落葉が積もった道なき山道でした。落葉が積もった下りの道で滑った方がいたようでしたが、私は滑るように下ることができました。底が減っていない靴なので滑らなかったのでしょう。やや高価な靴でしたが、それに値する楽しい歩きができました。普段歩きには適しませんが、やや登山向きの良い靴でした。今後山を歩く時はこの靴にしようと思います。

        私はおニューの靴で、滑るように快適に下った落葉道


 行者堂を下って新道に戻りました。そして、2年ほど前に閉校になった柳井南中学校校舎を見ながら新道を歩きました。しばらく歩くと、だいぶ昔に廃された金毘羅社に向かいました。これまた大変な山道を藪漕ぎしながら登りました。竹や灌木が通せんぼするように道に生えていました。廃されて以降、誰もお参りせずしかも道を整備しなかったのでしょう。我々は何十年ぶりの参拝者ではないかと思います。倒木などを越したり避けながら進むと、崩れそうな石垣の向こうに、苔むした狛犬が出迎えてくれました。

  行者堂から新道に戻る   金毘羅社までの茨道    苔むした狛犬
  

 右左の狛犬の上段には、かつてお堂があったようです。お堂の柱数本が、腐ったまま地面に横たわっていました。その柱を踏むとボロボロと崩れます。自然岩に由来が彫られていました。その文字をかろうじて読むと、明治30年頃に掘られたようです。お堂が建てられた頃はさぞかし華やかだったようです。柱の腐りようから推定する、40年位前に廃されたのではないでしょうか。

    お堂の腐った柱が地面に      竹や藪の道を漕ぎながら下る
 

 金毘羅社跡を見ていて思います。山の上にある神社仏閣は、高齢者がお参りすることはとても困難です。お参りできなくなった神社仏閣はいずれ衰退してしまいます。その事例の一つがこの金毘羅社跡ではないかと思います。近年、山にある神社や祠を人々が暮らす麓に移すケースが増えているように思います。

    柳井市 伊保庄 黒島~山近周辺の史跡巡りウォーキングのコース


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