東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻里府 住吉神社のお祭り 2017(1/6)

2017年04月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 毎年田布施町麻郷高塔の牛頭天王社祭に参加しているのですが、今年は麻里府の住吉神社の祭礼に参加しました。その理由は、祭礼の記録を取るためです。これまで、浮島神社石の口八幡宮の祭礼に参加して記録しました。50年後100年後にこれらの祭礼を振り返ることができるように記録を取っています。今後、高松八幡宮、八尋石八幡宮などの祭礼も参加して記録しようと思っています。

  尾津東地区の御旅所     尾津東集会所      集ってきた子供達
    

 さて、集合時間が分からなかっため9時半に尾津東の御旅所に行きました。しかし誰もいなかったため、麻里府公民館で時間を潰しました。そして、10時半頃に尾津東集会所に行くとポツリポツリ人が集まり始めました。尾津東集会所の中には昨日作ったのでしょう子供神輿が置かれていました。また女性たちがお接待として出すご馳走を作っていました。偶然同級生のY君に会いました。彼は自治会長をしており忙しく立ち回っていました。忙しい中、彼に祭りの話を聞きました。

  ふるまわれたご馳走   子供神輿が外に出される   子供達の自己紹介
    

 子供達が集まると、子供達による自己紹介がありました。それを聞いていると、田布施町内のあちこちの小学生も来ていました。きっと保護者の出身地が麻里府で、このお祭りのために帰省したのだと思います。普段麻里府に住んでいる方々も、嬉しそうに子供達の紹介を聞いていました。参加した子供達の自己紹介などの催しは、他地区のお祭りでは見かけません。素晴らしいと思います。

          尾津東集会所に集まった元気な子供達


 尾津東集会所を出発したのは11時半頃でした。子供神輿を担ぐ子供達を先頭に住吉神社に向かって歩き始めました。私は麻里府公民館にバイクを置いて、みなさんと一緒に住吉神社に向かいました。朝はやや寒かったのですが、今日は快晴です。歩いているとだんだん暑くなってきました。そのため上着を一枚脱いでザックの中に仕舞い込みました。

  尾津東地区を抜ける    尾津中地区を通る    尾津中の横断歩道
    

 尾津東を通り抜け、尾津中の横断歩道を渡り、尾津西地区に入りました。そして、桜川を上流に向かって歩きました。ちなみに今は桜川と呼ばれていますが、明治34年以前は潮入川と呼ばれていました。明治34年当時の麻里府村長が、今の麻里府小学校跡地に小学校を作った時に住吉神社や川の土手に桜を植えました。その時に潮入川を桜川と改称したのです。改称して桜川となりましたが、今も「潮入り」の名のとおり海から潮が上がっています。

       桜川(かつての潮入川)の堤防に沿う道を住吉神社に向かう


 桜川を進み住吉神社に着くと、住吉神社の急こう配の石段を登りました。歩いても大変な石段を子供神輿は登りました。さすがに子供達には無理ですので、大人たちが神輿を担いで石段を登りました。いつもは住吉神社うしろの倉庫に保管されている本神輿は、昨日のうちに本殿に移されていました。そして、見田団地と尾津東の子供神輿は本殿の両脇に置かれました。少し遅れて中郷の子供神輿も到着しました。

    もうすぐ住吉神社に到着        急こう配の石階段を登る神輿
  

 私はこの住吉神社に参加して、明治時代の住吉神社祭礼時の集まり方がそのまま残されていることに驚きました。日露戦争戦勝記念祭が住吉神社で行われた時の記録が残されています。それによると、中郷の人達は八幡田(今の中郷集会所付近)に集合して住吉神社に向かい、尾津地区の方々は二代川(今の尾津東集会所近く)に集合してから住吉神社に向かったとの記録があります。麻郷などでも、かつては各地区に集合して高松八幡宮の祭礼に参加していたとの記録があります。麻里府の住吉神社祭礼は、昔のままの祭礼スタイルを今に伝えている貴重なお祭りではないかと思います。

   住吉神社祭礼前、尾津東,見田団地,中郷ごとに集合して住吉神社に向かう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする