東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 国木~千坊山~竹尾ウォーキングの再下見

2017年04月14日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今月4月の史跡巡りウォーキングは国木を出発して、千坊山の尾根筋を歩きます。そして、竹尾に降りてから、河原田や西迫を経由して出発地点に戻ります。下見では西迫の史跡を満足できるほど調査ができませんでした。そのため、下見後に三度ばかり西迫を中心に再下見をしました。山で道に迷ったりして、冷や汗をかきました。

      西迫の阿弥陀堂跡地          阿弥陀堂の礎石
 

 二度目の西迫再下見では、古い地図に残っていた稲荷神社を目指しました。ところが、古老に教えていただいた荒神様跡や阿弥陀堂跡も一気に探し当てようとしたのが間違いでした。山への入口を間違えて、ひたすら獣道をさまようことになりました。かつては山道だったのでしょうが、数十年も使われなかったようで行けども行けども神社や祠らしいものにたどり着けませんでした。

   Tさんに案内いただいた稲荷神社     昔は魚が釣れたため池
 

 山の中をさまよっているうちに、お餅などを作るタケシタの工場が木の陰から見えてきました。とんでもない場所をさまよったようです。タケシタを目指して山を下りていると、ひょっこりと溜池に降りました。その溜池そばにお地蔵様がありました。そのお地蔵様と溜池を越えて、イノシシ避けのバリケードを二度越えて再び西迫に戻りました。

   清水が湧く古い井戸   ため池傍のお地蔵様    遠くに見えたタケシタ
  

 次に旧八尋石八幡宮の鳥居の残骸に行きました。かつて参道であっただろう山道が、ウォーキング時に通ることができるか確認するためです。鳥居跡の山道をどんどん進むと竹藪になっていました。竹が倒れてとても歩くことができません。倒れた竹を跨ぎながら無理に進むとひょつこり舗装道路に出ました。ウォーキングすることは無理であることが分かりました。

           浄泉寺跡に林立する杉林にたたずむTさん


 舗装道路を歩いていると古老に出会いました。お話しをしていると、阿弥陀堂がかつてあった山を教えていただきました。その山の藪をこいで無理に登ると、阿弥陀堂があったと思われる礎石が露出していました。50年位前に阿弥陀堂は無くなったのではないかと思います。結局この日はお地蔵様と古い井戸そして阿弥陀堂跡を発見しただけでした。やれやれ!

          西迫観音堂前広場に並んだお地蔵様


 数日後気分を入れかえて、再び西迫にやってきました。今度は地元で自治会長をしておられるTさんに案内していただきました。ラッキーなことに、あれほど山をさまよって探した稲荷社がすんなり見つかりました。ただ、この稲荷社は屋根に大穴があいていました。この4月、ウォーキング当日に観音堂にご神体を移すことになっているとのことでした。さらに、浄泉寺跡を教えていただきました。この場所は代々言い継がれているとのことでした。Tさんと話していると、元郷土館長のNさんと同級生であることが分かりました。Tさんありがとうございました。

           下見や再下見のため、三度歩き回った西迫地区

コメント
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