7月に西九州を史跡探訪した記録の続きです。早朝に武雄のホテルを出ると、午前中は隠れキリシタン関連の史跡を中心に巡りました。長崎市を避けて半島の海側をどんどん進みました。やがて、右手へ曲がる道を進むと高台に教会が見えてきました。最初に訪れたカトリック黒崎教会です。駐車場を降りて教会を見学することにしました。急な石階段を登ると、レンガ作りと思われる重厚な教会が目の前に現れました。
ゴシック建築を思わせるカトリック黒崎教会
この付近は平地が無いためか、集落の中心と思われる高台に目立つように教会が立っていました。この教会の一番の特長は、ゴシック建築を思わせるような天井構造です。そして、教会に多いステンドグラスが左右の窓に並べられていました。日が当たると、彩色がとても見事です。今では珍しくないステンドグラスですが、当時に暮らしていた人々は目を見張ったのではないでしょうか。続いて、隠れキリシタンの方々が祈っていたと言われる枯松神社に行きました。
急な石階段を登る 現れたレンガ作りの教会 左右の窓にステンドグラス
カトリック黒崎教会は江戸時代が終わってから建築されました。キリスト教が禁教であった250年近い江戸時代は当然教会はなく神父もいませんでした。当時の人々は、枯松神社と呼ばれる神社を信仰しているように装ったようです。枯松神社のすぐ近くに雨をしのげる巨大な岩があります。その岩の下に信者の方々が集い信仰を守ったとのことです。ちょっとした油断で信仰が見つかることがあります。そのため、信者たち同士で結婚してひっそりと秘密に信仰を守り伝えたのでしょう。
枯松神社へ行く途中の長い猪垣 雨宿りできるほどの巨大な岩
日本では在来の神道と外来の仏教が併存しています。家の中に、神棚と仏殿があることは珍しくありません。もしかして、禁教前は神道も仏教もキリスト教も仲良く併存していたのかも知れません。一神教は通常、一つの神しか認めていません。その点、日本人は神道からして複数の神を認めています。当時も今も、たくさんいる神の一つとしてキリスト教を受け入れているように思えます。考え方によっては、日本人はどの神も受け入れる懐が深い民族と思えます。
静かな枯松神社 遠藤周作文学館 遠藤周作文学館からの海
枯松神社を見た後、少し先にある遠藤周作文学館に行きました。遠藤周作はキリスト教の考えに基づいた文学をたくさん書いています。私も読んだことがあります。海に面した高台に文学館があります。素晴らしい夕日を見ることができる場所です。なお、文学館内を見学する時間的余裕がなかったのはとても残念でした。いつか再訪したいと思います。次に、文学館から遠くに見える、外海歴史民俗資料館や出津教会に向かいました。
訪れた、武雄~長崎~キリシタン史跡などのルート