江戸時代の記録を見ると、田布施町のほとんどの地区で楮(こうぞ)を栽培していたことが記録されています。そして、当時の川西村で半紙が生産されていたことも記録されています。半紙は、今では習字を書く紙の事を言いますが、江戸時代も同じでしょうか。もし同じだとすれば、習字で使うような薄い紙を生産していたことになります。私には楮の記憶がかすかにあります。特徴的な枝分かれした姿と葉の形に見覚えがあるのです。もしかして、昭和初期頃まで楮が栽培されていたのではないでしょうか。そして、畑の隅っこに捨てられたように残った楮を見たのかも知れません。
真夏になり、ますます大きく成長する楮(こうぞ)
江戸時代に使われた紙を見る機会があるのですが、当時の紙には二種類あったのではないかと思います。一つは、証文などを書くために使われた今で言う和紙です。とても丈夫です。もう一つはとても薄いペラペラのこよりに使うような紙(半紙?)です。ちょっとした手習い紙,手紙,貸し借りの記録などに使ったようです。和紙に対して半紙は粗悪で安価だったようです。庶民用なのでしょう。後者を田布施で生産していたのではないかと思われます。今年は無理ですが、来年は楮を使ってハガキかA4サイズの紙を漉いてみようと思っています。
この枝を裂いて紙の繊維に たくさん枝分かれした楮