東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 佐賀~魚見~黒羽根~小郡ウォーキングの下見(1/3)

2017年11月18日 | 歴史探訪他ウォーキング

 11月は平生町の佐賀~魚見~黒羽根~小郡をウォーキングします。下見ウォーキングでは佐賀公民館に集合しましたが、本番ウォーキングでは佐賀公民館を知らない方のため田布施町交流館に集合しても良いことにしました。スタート地点の佐賀公民館は、縄文遺跡が出土した場所です。その岩田遺跡の石碑が公民館前に建っています。

  岩田遺跡の石碑     最初に向かった大師堂   大師堂横の足摺地蔵
  

 佐賀公民館をスタートすると、県道を上関方面に向かって進みました。そして、大師堂を見学しました。ちょうど一組の夫婦がお詣りしていました。この大師堂、近くの尾根筋に八十八ものお地蔵様が並んでいます。ただし、近年お詣りする道が手入れがされておらず、今では一部しか見ることができないようです。
        
         大師堂から道を戻り、藪・大田地区に向かう川筋の道


 大師堂の横には足摺地蔵が安置されています。このお地蔵様、さすると足が良くなったり治るようです。高齢になれば誰でも足が弱くなります。この地蔵様にあやかろうとして永い間地元の方々からさすられたようです。いつまでもウォーキングできるように、私もこのお地蔵様をなでて、その手で足をさすりました。

     藪地区の道を登る         大田大師堂近くのお地蔵様
 

 その後、来た道を少し戻りました。そして、川筋の道を藪・大田地区に向かって緩い坂道を登りました。11月とは言え暖かい日差しで汗ばんできました。藪地区の道脇で休憩しつつ上着を脱ぎました。藪地区を抜けて大田地区に入ると、だいぶ登ったことが分かります。魚見の海岸が見下ろせるようになります。

            大田地区から見下ろした魚見の海岸


 魚見の言葉は、かつて漁業が盛んだった頃に山のいただきから魚の群れを発見・監視したことから来ています。山の上から猟師に、群れの方向を指示していたそうです。今で言う、手旗のようなもので指示していたのでしょうか。今では魚群探知機がありますが、昔は魚や鯨を見つけるとても大切な仕事だったようです。当然視力が良い者でないと勤めることができません。

   大田大師堂        山中の祠       棚田奥にある石橋
  

 大田地区に入ると、防陽八十八箇所霊場第十九札所だった大田大師堂に行きました。しかし、ドアに鍵がかかっており中に安置されたお地蔵様を見ることはできませんでした。3年前に大田大師堂でお大師講を見学させていただきました。お大師講に来ていた皆さん、まだお元気でしょうか。大田大師堂を出ると、光輝病院に向かって坂道を歩きました。そして、山の中にある祠、地元の方に教えていただいた棚田奥にある石橋を見学しました。

       下見ウォーキングした平生町佐賀~魚見~黒羽根~小郡地区

コメント
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