東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

山口県 阿東町の長門峡ほかを散策(1/6)

2017年11月08日 | 歴史探訪他ウォーキング



 日曜日、山口県阿東町の長門峡に行ってきました。たまたまその日が空いていました。そんな数日前、Nちゃんからのお誘いの上、やはりその日が空いていたEさんと3人で行くことになりました。その他の方々は予定が入っているようでした。往路は、高速道路を使って長門峡がある阿東町に向かいました。快晴、絶好のウォーキング日和でした。

 道の駅 長門峡に駐車     長門峡遊歩道入口     真っ赤なモミジ
  

 日曜日のため混んでいるかと思っていたら、思いもかけず混雑はしていませんでした。道の駅 長門峡に到着すると、ラッキーなことに駐車スペースが1台分空いていました。体を軽くすると、すぐに長門峡遊歩道を歩き始めました。片道5.8kmの遊歩道です。そのコースを往復したので11.6km歩いたことになります。渓谷を下流に向かって歩きました。

           深い渓谷と紅葉を楽しみながらウォーキング


 歩き始めにある石碑に気が付きました。中原中也の石碑です。彼の詩が刻んでありました。しばらく歩くと、渓谷を鑑賞できる東屋が頭上にありました。そこから少しの距離に桜橋がありました。さらに行くと、渓谷が曲がった場所に、巨岩が階段のように見える榧ヶ淵を見下ろすことができました。

  ハートに見える岩棚    紅葉に覆われた渓谷    遊歩道には手すり
  

 遊歩道はもともとは、村と村とを結ぶ秘境の道だったのではないでしょうか。2ヵ所ほど岩をくりぬいたトンネルがありました。また、猟師などが行き来する細い道でもあったようです。遊歩道の数ヵ所に、炭焼き小屋か猟師が泊まったと思われる跡がありました。修行のための道でもあったのかも知れません。

  巨岩が階段のように見える榧ヶ淵       深く清らかな渓谷の流れ
 

 長門峡はもともとは長門耶馬渓と呼ばれ、大正年間に正式に長門峡と命名されたそうです。ちなみに、大分県の耶馬渓は最も有名な渓谷で、小学生時にF教頭先生から「青の洞門」の話を聞いたことでとても印象があります。長門峡は、歩き始めて終点まで次々に景勝が出てくるので飽きることがありません。

           田布施町から阿東町長門峡までの往復路

コメント
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