東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

周防大島 楽しかった文殊堂~文殊山~嘉納山ウォーキング(2/2)

2017年11月05日 | 歴史探訪他ウォーキング

 私が着く5~10分前、皆さんは嘉納山に着いたようです。ちょうど、山頂からの眺めを楽しんでいる時に私が着きました。田布施の我家を正午に出てから昼食を取っていませんでした。そのため、嘉納山に着くと簡単に昼食を取りました。飲物を車に置き忘れたため、恥ずかしながら水を分けていただきました。ありがとうございました。

  嘉納山から東、久賀を見下ろして     嘉納山から西、平郡島を見下ろして
 

 私が簡単に昼食を取り終わると、全員の集合写真を撮影しました。そして、すぐ近くの鉄塔まで行きました。この鉄塔から東へ1時間ばかり尾根を歩くと嵩山です。一方、南への尾根をやはり1時間ばかり歩くと源明山です。今回、下見と同様に嘉納山から文殊堂に戻りました。

          ウォーキングに参加された方々、嘉納山山頂にて


 鉄塔傍に鮮やかなマユミの実がなっていました。歩きながら周りの草木を見ていると、いろいろな秋の花や実に気が付きます。いったん嘉納山山頂に戻ると、元来た文殊堂への道を歩きました。今度はほとんどが下り坂のため楽に歩くことができます。ただし、深い杉林が続くので展望がないのだけは残念です。

 鮮やかなマユミの実    下り坂を軽快に歩く     深い杉林の小道
  

 今回歩いた周防大島の山道や尾根道は、幕末の大島戦争時に第二奇兵隊が何度となく往復した道の一つではないかと思います。第二奇兵隊の陣は小松方面にありました。幕府方に占領されたのは、今の久賀と橘です。そのため、地元の人しか知らない山道や尾根道を通って久賀と橘に戦いに行ったのではないでしょうか。戦いが終わると陣に戻り、次の朝また戦いに向かったのでしょう。私の母の祖母の祖母の息子がこの大島の戦いに参加したそうです。そのため、大島から大砲の音が聞こえてくるたびに、その祖母は「息子の事が心配でいけん。」と言っていたそうです。

       嘉納山から戻る途中、西方面(ダムの方角)を見下ろして


 嘉納山から40分位でしょうか、下っていると舗装された林道に着きました。立ったまま休憩すると、その林道をもくもくと歩きました。下見時と比べて紅葉が進んでいました。そして、台風の影響で道路にはたくさんの落ち葉が敷き詰められていました。風で無理やり飛ばされたのか緑の葉が少なくありませんでした。

 林道で立ったまま休憩   道を流れる水を飛び越え  文殊堂に置いた車に到着
  

 40分位林道を下っていると、文殊堂下に着きました。皆さんは文殊堂下の駐車場に車を停めていましたが、私は文殊堂に止めていました。そのため、石階段を登って文殊堂に直行しました。そして、皆さんが待っている文殊堂下駐車場に車で戻りました。そして、二人を乗せて周防大島を離れました。初めての周防大島ウォーキングでした。皆さんお疲れ様でした。次回は、平生町の佐賀地区をスタートして尾国地区までの山間や海辺をウォーキングします。

        今回歩いた、周防大島の文殊堂~文殊山~嘉納山~林道

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする