東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

東京練馬に住んでいた義母の葬儀・告別式

2013年11月05日 | 家族関連

  この動画は、海外に居住,そして修学旅行中などで、葬儀に出席できなかった方々のために。
       このような おごそかな雰囲気で、おばあちゃんの葬儀が執り行われましたよ。


 30日のお通夜に続いて、31日は葬儀・告別式でした。お通夜に間に合わなかった方が来たため、お通夜よりも多い参加者でした。私の父親の葬儀では、仕事などの関係で政治家や地域の偉い方が出席していましたが、義母の葬儀には近所でお付き合いが多かった商店会の方々がたくさん出席していました。義母は地元の商店会の方々にとても慕われていたようです。

              親族や地域の商店街の方々の参加の元、葬儀の開始


 私が家内と結婚した頃、義父や義母は地域の商店会でお店を持っていました。義母が大きな声でお客さんを呼び込んでいた光景を覚えています。忙しい時には何人か雇っていたこともあるそうです。大晦日など休む暇もなく働いて三人の子供達を育てました。

                  導師さんの元で、粛々と葬儀


 家庭内ではなかなか厳しい方でした。生前、私が家を訪れても素っ気ないそぶりや口ぶりでした。子供達にも、贅沢をいっさいさせない生活信条でした。しかし、商店会などの方にはとても親切で、とても信頼されていたようです。そのためなのでしょう、商店会を始め地域の方々が大勢来て涙ぐんでいました。

      挨拶している義母の孫達               花をたむけられている亡き義母
 

 葬儀が済むと、いよいよ火葬場への出立です。お棺がみんなの前に置かれて、最後のお別れです。最初に小さな花,次に各種色の花束,そして紫色の大きな花束がお棺内にたむけられました。家族は意外と冷静でしたが、親戚や地域の方々は涙声や涙ぐんでいる方が多くいました。

            子,孫,親戚,そして地域の方々に、次々と花をたむけられる


 花束がたむけ終わると、全員一同黙とうをささげました。
 義母は、いつも大きな声で賑やかでした。その大声に、うるさい説教がまた始まったかなどとよく思っていたこともありました。しかし、今となってはその声を聴くことができません。そして、世代が一つ終わったことをひしひしと感じました。

                 出棺の前に全員で、亡き義母に向かって黙とう


 白い蓋を全員で持つようにして、お棺に足元からそっと被せました。それが終わると、戒名を三女が持ち、義母の写真を次女が持ち、そして家内である長女が喪主として挨拶をしました。

      みんなで蓋をお棺に被せる             喪主である家内が挨拶
 

 喪主である家内の挨拶が終わると、義母の娘,娘夫婦,そして孫たちが集合して写真を撮影しました。世代が交代すると、お付き合いの範囲が変わるのは世の習いです。今後は、これら子供達の世代でのお付き合いが中心になるでしょう。

         義母の娘達,娘夫婦達,そして孫達が集合して写真撮影


 次に親族がお棺を持って、葬儀場前に待機していた霊柩車まで運びました。そして、霊柩車の後を追うようにしてバスに乗り込みました。到着すると、さすがに都心の火葬場です。あちこちから次々にお棺が運び込まれていました。1日に何体位が火葬されるのでしょうか。
 火葬直前、亡き義母のお顔を拝見し最後のお祈りしました。

      親族みんなでお棺を運ぶ            火葬炉前にて、最後のお祈り
 

 一時間位待ったのち、お骨拾いでした。壷の中に骨を残さず入れて、葬儀場に戻りました。
 壷に入った義母、不思議な感慨が湧いてきます。供えられた骨壺に向かって、涙ぐむ人がいたり、故人にお礼を語りかける声が次々に聞こえてきました。
 骨壺を前にして、最後の会食をしました。故人の思い出を懐かしみながら時間が過ぎていきました。故人の一生はそのお葬式に凝縮されている、と聞いたことがあります。義母は今日来た方々と、どんな密な関わりがあったのかと思いながら静かに食事をしました。合掌。

     亡き義母に語りかける方々           故人を偲びつつ最後の会食
 

コメント (1)
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