東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

東京練馬に住んでいた義母のお通夜

2013年11月04日 | 家族関連

 27日の田布施川沿い史跡巡りのウォーキング中、家内から「母が亡くなった。」との連絡がありました。東京では会場などの都合で、亡くなった日に必ず通夜とは限りません。家内から通夜と本葬の日付を聞いて、29日に東京に向かいました。そして、その日はいったん八王子の我家に泊まりました。

 29日朝、田布施川を歩いて田布施駅に       通夜の日、義母の家に到着  
 

 次の30日が通夜です。昼頃に都心の義母の家に着くと、家内や家内の妹家族が集まっていました。そして、歩いて30分位の葬儀場に行きました。着いてしばらく談笑した後、亡くなった義母の湯かんの儀が始まりました。
 私は湯かんの儀を初めて見ました。その儀式には、この世の仕事をやり遂げた後のお疲れ様の意味があるそうです。湯かんの儀が終わると、家族みんなで亡き義母の体を持ち上げてお棺に入れました。そして、足元に個人の思い出の品々や写真などを入れました。

     湯かんの儀を見守る家族             足元に思い出の品々を置く
  

 午後6時からお通屋です。私は、息子と一緒に弔問客の受付を担当しました。そして、家内の妹二人の夫はお香典の確認や計算をしました。私の父親の通夜葬儀と今回の義母の葬儀を比較して、東京の方が葬儀費用が高いようです。その理由の一つは、東京では葬儀所が民間であり、地方の例えば田布施は公営であることにも関係があるようです。また、今回の費用のうち「志」と呼ばれる諸費用です。一種のチップのようなものですが、業者と庶民には見識の相違があるようです。今回少しトラぶりました。田布施での葬儀には「志」なる費用は全くありませんでした。さらに振り返れば、野辺送りの時代は費用は微々たるものでした。時代と共に、また都会になるほど葬儀費用は高額になっているように思いました。

                  午後6時から、おごそかにお通夜


 お通夜が済むと、会場を変えて通夜振る舞いです。近くや遠路はるばる来た親戚の方々との会食なのですが、私はほとんどの方と面識がありません。福島県から来た親戚が特に分かりません。義父の葬儀や家内の妹の結婚式などで会った位でしょうか。顔は覚えていても名前までは思い出せませんでした。仕方がないことではありますが、私がよく知っている範囲は家内の妹夫婦やその子供達です。

    親戚同士が集まって通夜振る舞い     お通夜後、家内の妹夫婦などと一服
 

コメント
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