お久しぶりですゆめはらです。
タイトルを考えるのも飽きてきました。外部の人に見られてたらどうしたらいいかわからないです。あまり見ないようにしてください。
もうすぐ12月25日です。12月25日と言えばお鍋ですね。古来より日本人は12月25日に鍋料理を食べてきました。風土記を紐解けば12月25日に全国のどこかの家庭では鍋料理を食べていたという記述が確かに記載されていると思いますけどぼくの記憶違いかもしれません。
つきましてはぼくの文化的関心から12月25日に鍋料理を食べようと思います。研究表題は日本における鍋料理のルーツに迫る!とかそんな感じです。少しキャパに不安がありますが、参加を予定している文化的関心の高い方はご一報ください。
あとおなべとガスコンロが足りないので誰か貸してください。
~当時展開した闇のゲームの数々~
・Lift it・・・クレーン車の気持ちになって決められた施設を建設するゲーム。常識をかけはなれた納期ときわめて杜撰な設計図から地震一発でオシャカになる違法建築をこなすプロの技は傍から見ればあまりにも滑稽。しかし本人たちは真剣である。
・ヒュペルボレア・・・バックビルディングシステムによってうんちゃらかんちゃらな袋に手をつっこむ陣取りゲームだとおもいます。
・Wizard・・・「見ろよこの形 命(勝ち札)を刈り奪る 形をしてるだろ」(スペードスッ
以上かと思われます。
お題は好きなアイドルについて語るです。このお題はもう114514回くらい書きました。
安易にニナチャーンについて語ることはできません。そもそも市原仁奈という存在について語るにはまず市原仁奈について深い知識が必要でありますが、その深い程度という線引は曖昧なものであります。そしてその深い知識を追求するためには、市原仁奈というものについて言語で表されているものを追求するほかありません。しかしどれだけ深く市原仁奈を言語で表そうとも、それは言語で表せる範囲の市原仁奈を逸脱するものではなく、究極的に市原仁奈そのものを表すことはできません。つまり市原仁奈の表す意味としての市原仁奈しか語りえないということです。このことをかの有名なウィトゲンシュタインは次のように言いました。
「われわれは語りえるニナチャーンしか語ることができない」
「語りえないニナチャーンについては沈黙しなければならない」
次のお題は「好きなお鍋の具材について語る」「クリスマス限定のめちゃモテコーデで愛しのカレのハートをゲット☆する方法をオトさんのために考えてあげる」のどちらかでお願いします。