錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『源氏九郎颯爽記 白狐二刀流』(その3)

2007-11-23 01:12:04 | 源氏九郎颯爽記 白狐二刀流
 ファーストシーンの洞窟でのサスペンス、そして次の船着場のシーンで登場する二人の謎の美女(マリーと志津子)と源氏九郎との関係がこれからどう発展するのかといった期待感。それが、『白狐二刀流』を観ているうちに、見事にはぐらかされてしまう。
 九郎が同心の一人(里見浩太郎)の家に逗留することになったあたりから、この映画はあれよあれよという間に思いがけない方向へ進んでいく。番所の役人たちやその家族、貧乏公卿、不良浪人、悪徳商人とその愛妾など、いろいろな人物がごちゃごちゃ出てきて、話が横道にそれ、「どうなってるの、この映画?」という感じになってくる。脇役たちの身辺雑記的な場面が目立って、主役の源氏九郎の存在感が薄れてしまうのだ。あれだけカッコいい源氏九郎なのに、セリフのないまま九郎がじっと坐っている姿や後ろ姿を見せる場面が増えてくる。錦之助ファンは不満を感じたにちがいない。

 この映画には前作のように江戸の裏長屋に住む庶民は登場しないが、番所の与力・同心たちが住む官舎のような長屋が重要な場所になっていて、加藤泰は、こうした共同生活の場やそこに住む人々、女房子供を含めてそこに暮らしている人々の生活模様を前作以上に丹念に描きたかったようだ。それだけではない。豪商播州屋の裏に大部屋があって、ここに雑居している浪人たちの生活ぶりも出てくる。さらに、河野秋武が扮した貧乏公卿も奇妙なほど戯画化して描かれていたが、これも原作の登場人物を大幅に変えてまで加藤泰が描きたかったことなのだろう。原作でこの公卿は、直情径行型の尊皇攘夷派ではあるが、これほどみじめではなく、頭のおかしい感じもない。
 イギリス船での宴会のシーンは、初めて観た時にはびっくりした。佐々木康監督の映画には時代劇でも宴会の場面や歌ったり踊ったりするショーのような場面がよく出てくるが、加藤泰はこうした宴会の場面をイギリス船の中でやりたかったのかもしれない。それにしても、時代劇の常識ではありえないような場面の連続である。悪乗りに近いと思った人もいたことだろう(私も初めはそう思ったが、もう見慣れてしまった)。マリーがフラメンコまがいのダンスを踊るのは良いとして、テーブルについた番所の役人たちがナプキンをしてフォークとナイフを使って肉を食べたり、洋酒を飲んで酔っ払らい、最後は踊り出す始末。加藤泰は真面目な人だから、ドタバタ喜劇のようなつもりで面白半分に撮ったわけではないと思うのだが、彼は何を描きたかったのか、いささか理解に苦しむ。日本の役人たちの無節操ぶりを批判的に描こうとでもしたのであろうか。
 しかし、こうした加藤泰の意図が「源氏九郎颯爽記」というストーリーにうまくマッチしていたかというと、私は首をひねらざるをえない。源氏九郎というヒーローの活躍を描くなら、二人の美女との関係を含め、それにもっと重点を置いて描くべきだったし、幕末期の憂国の士や貧乏公卿や密輸商や小悪党や小役人たちを道化芝居風に描くなら、別にこの原作を借りて作る必要もなかったのではあるまいか。
 『白狐二刀流』は、料理にたとえるなら、ごった煮のようだった。高級な材料もありふれた材料も一つ鍋にぶち込んで煮た感じである。西洋の食材も使っていた。中には、舌鼓を打つようなうまい具もあったが、半煮えで消化に悪そうなものも入っていた。食べ終わって満腹にはなったが、料理そのものの出来が良いとは感じられなかった。

<追記>
 東映幹部の間では、この映画には反発があったらしい。加藤泰自身の思い出話によると、東映社内で完成試写が終わった後、彼は企画者の小川貴也(錦之助の兄)と一緒に撮影所長に呼び出され、ある大監督の一人が映画を観て激怒し、「スターの錦之助をワヤにさせるつもりか」とクレームを付けたと伝えられたそうだ。「ワヤ」とは関西弁で「ダメ」とか「メチャクチャ」の意味だとのこと。この大監督、私の推測では松田定次ではないかと思うが、加藤泰は、撮影所長に平謝りして、事なきを得たという。

 『白狐二刀流』には、後日談がある。当時松竹でまだ助監督だった山田洋次がこの映画を観て感心し、加藤泰にファンレターを書いたという話である。彼がこの映画のどこを気に入ったのか、分からないが、多分加藤泰独特の悲喜こもごもの人間模様の描き方を面白く思ったのだろう。その後、山田洋次は監督になってからも加藤泰と交友を続け、一緒に映画を作ることになる。ハナ肇主演の『馬鹿まるだし』(1964年)という松竹映画で、脚本を加藤泰と共同で書き、彼自身が監督した大変面白い現代諷刺喜劇だった。その後山田洋次はハナ肇主演の喜劇を連作し松竹の喜劇映画の旗手になって行くが、もちろんこれは『男はつらいよ』シリーズを始める以前ことである。(2019年2月4日一部改稿)