錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

田代百合子

2007-11-13 17:23:47 | 監督、スタッフ、共演者
 今回は、ついでにと言っては何だが、田代百合子について語ってみたい。以前は、錦之助の共演女優の記事を書いたこともあったのだが、ずっとお休みしていた。ここらで、そうした記事を復活させるのも良いかもしれない。映画論ばかりだと、読んでいる皆さんも飽きてくるし、書いている私の方も、筆が進まず、記事が滞りがちになる。本当は共演男優についても書かなければならないと思うのだが、男である私は、当然のことながら女優の方に数倍の興味がある。お許し願いたい。
 田代百合子は、『濡れ髪二刀流』で錦之助との共演が最後になった。その後すぐに東映を辞めてしまったからだ。東映を退社してからは大映や松竹の映画に出ていたらしいが、私が覚えているのは、小津安二郎の『秋日和』で誰かの娘役をやっていた田代百合子だけである。
 思えば、『笛吹童子』以来三年間、田代百合子は錦之助の相手役を何度も務めてきた。『里見八犬伝』『お坊主天狗』『新選組鬼隊長』『海の若人』『あばれ振袖』『赤穂浪士』『紅だすき素浪人』『ヒマラヤの魔王』などが錦之助との共演作である。
 『笛吹童子』で彼女が演じた桔梗という娘は、錦之助の菊丸に思いは寄せていたものの、その思いはかなえらずに終わってしまう。桔梗は、満月城の家老・上月左門の娘で、菊丸は城主の遺児だった。身分の違いがあった上に、菊丸には中国(明の国)に婚約まで交わした女がいた。所詮、かなわぬ恋だったのだろう。
 『お坊主天狗』では、小染(錦之助)に惚れる乙女のような娘役を演じた。片岡千恵蔵の妹役だったと思う。初めは、錦之助のことを美しい女だと思って惚れるレズビアン的な関係が面白かった。錦之助が凛々しい若侍に変身すると、そこでまた惚れ直す。要するに錦之助のすべてが好きなミーハーのファンみたいな役柄だった。
 『新選組鬼隊長』では、沖田総司(錦之助)の恋人役を演じた。胸を病んで床についた錦之助を甲斐甲斐しく世話する田代百合子が幸せそうで良かった。
『海の若人』での田代百合子の役は、それまでの生一本な純情娘とは違って、港町の年増芸者だった。この役はなかなか魅力的だった。田代百合子はいわくありげな田舎芸者で(といっても静岡のどこかの街の芸者である)、商船学校の若い学生(錦之助)を可愛がる。錦之助には美空ひばり(女子高校生)の恋人がいるのだが、この芸者との関係が学校の噂になって大問題となる。田代百合子が酔漢に教われて足を挫き、錦之助におんぶしてもらうシーンが印象的だった。彼女がいかにも重そうだったからだ。
 話はちょっと脱線するが、錦之助はしばしば相手役の女優をおんぶしてきた。おんぶの場面があると、錦ちゃんの女性ファンたちは抗議の手紙を錦之助に送ったそうだ。錦之助は若い頃の著書『あげ羽の蝶』の中で、ファンの方は僕が女の人を背負うことをとてもきらっているようだ、なぜだかわからないが、止めてくれと言われる、と書いている。錦之助は、ドラマで必然性があれば女の人をおんぶするのも仕方がないといった意味のことを書いて弁解しているが、女性ファンがいやがる理由ははっきりしている。女のオッパイや太ももが錦チャンの体に当たるのがいやだったのだ。話はさらに脱線するが、映画の中で錦之助がおんぶした歴代女優を挙げておこう。古い順である。美空ひばり(『ふり袖月夜』)、高千穂ひづる(『満月狸ばやし』)、千原しのぶ(『獅子丸一平』『晴姿一番纏』)、田代百合子(『海の若人』『紅だすき素浪人』)、大川恵子(『紅顔無双流』)、ざっとこんなところか。丘さとみ、桜町弘子、中原ひとみは、私の記憶ではおぶったシーンが思い浮かばない。忘れていた。『瞼の母』の中で、名も知らぬお婆さんをおぶっていた。それと、だっこした女優は、岩崎加根子(『反逆児』)、浪花千栄子(『宮本武蔵』)といったところか。
 話を戻そう。オールスター映画の『赤穂浪士』でも田代百合子は錦之助の恋人役だった。錦之助は、小山田庄左衛門という若い浪士で、さち(田代百合子)という娘にすがりつかれて、討ち入りを断念することになってしまう。
 『紅だすき素浪人』では、世津という娘で、江戸へ旅している途中、危ないところを中山安兵衛(錦之助)に救われ、道中を共にしている間に相思相愛になる。この映画の配役と登場人物の設定は、『濡れ髪二刀流』と似ていた。田代百合子は、武家の娘で、江戸に行って消息不明になった許婚(この役がまた片岡栄二郎)を探し求めていたのだが、この許婚が不良浪人になり果てていた。田代百合子は、切り傷を負い、床に伏せていたが、最後は錦之助に見取られ死んでしまう。悲しい女の役だった。(了)
 

『源氏九郎颯爽記』(その六)

2007-11-13 02:38:03 | 源氏九郎颯爽記・剣は知っていた
 『源氏九郎颯爽記』シリーズでは、三作とも主人公源氏九郎を演じた錦之助の魅力が画面全体に満ち溢れていたことは言うまでもないが、相手役の女優となると、私は第一作『濡れ髪二刀流』に登場する二人の女、織江(田代百合子)と放れ駒のお竜(千原しのぶ)が甲乙つけがたいほど良かったと思う。第二作『白狐二刀流』のマリー(へレン・ヒギンス)と志津子(大川恵子)は中途半端で、源氏九郎を慕う女の思いが描き切れていなかった。第二作は、テーマも恋愛にはなかったと思う。第三作『秘剣揚羽の蝶』では、口の利けない喜乃(北沢典子)が印象に残ったが、冴姫(大川恵子)も八重(桜町弘子)もまあまあで、私の好きな長谷川裕見子が悪女だったのが気に入らなかった。というわけで、私の評価は、ラヴストーリーとしては第一作がベストである。(ただし、錦之助の源氏九郎の美しさでは第二作がベスト、立ち回りの素晴らしさ、チャンバラの迫力では第三作がベストという、バラバラの評価になる。)
 『濡れ髪二刀流』は、恋愛映画の色合いが強かった。源氏九郎を慕う二人の女のドラマが映画を奥行きの深いものにしていたと思うので、そのことについて書いてみたい。(原作とは随分違うところがあるが、比較しても意味がないと思うので、その辺のところは触れずにおきたい。)
 監督加藤泰が自作について語ったコメントによれば、『濡れ髪二刀流』では織江というヒロインに「自分がうちこんでいける登場人物」を見出したそうである。つまり、織江という悲運の女性に、監督としての思いの丈を込めたようだ。そして、織江を演じた田代百合子は期待にたがわぬ熱演だった。
 田代百合子という女優は、鈍(どん)な感じがして、暗い影があり、おとなしいようでいて、芯の強そうな面がある。好きな男を一途に思いつめる女の役にはうってつけの女優である。やや不器用で決して演技派ではないが、東映城の初代三人娘の中では、得がたい存在だった。確か錦之助より二歳年上なので、『濡れ髪二刀流』に出演した当時、26歳だったと思う。結婚前の武家娘の役としては、いささか年増ではあるが、織江の役にはぴったりだった。
 この映画を観ていると、確かに織江という女の生き様はドラマチックで、印象に残る。織江は、許婚の早川要之進(片岡栄二郎)を神前試合で源氏九郎に討たれ、九郎を仇と見なして追いかけていく。しかし、仇討ちは口実にすぎない。本当は、九郎に恋焦がれていて、九郎を必死に追いかけることによってしか自分の生きる道が見えなくなってしまう、哀れな女だった。
 最初、織江は、家出同然のようにして、はるばる備前岡山から三島までやって来る。許婚の要之進が、三島神社で、藩に伝わる火焔剣を用い、もう一本の火焔剣の持ち主と、真偽を明らかにする神前試合をすることになったからだ。織江は要之進の身の上が心配で、追いかけて来たのだ。それにしても若くて美しい武家娘が奇麗な着物を着て、一人で岡山から三島まで来られるものどうか、疑問に思わなくもない。せめて年老いた従者の一人くらい付けるべきだったと思う。
 まあ、その辺はともかくとして、三島の宿で要之進を探している時に、織江は、ならず者の人足(星十郎)にだまされ、人気(ひとけ)のない野原で襲われる。この危ないところを織江は源氏九郎に救われ、その時九郎に一目惚れしてしまう。しかし、九郎が火焔剣を持っていたので、自分の許婚と試合をする相手にちがいないと思い、驚いて立ち去っていく。
 その後、許婚の要之進に久しぶりに再会するものの、なぜか彼が冴えない男に見えてしまう。織江は、池のほとりで要之進と二人だけになるが、九郎に出会ってからは、要之進に対して急に熱の冷めてしまった自分に気付く。要之進に関係を迫られるが、何度も「いけません」と言って拒んで女の操を守る。
 要之進が神前試合をする時の織江の気持ちは複雑だったにちがいない。この神前試合のシーンで、加藤泰は織江のカットをところどころに挿入するのだが、心変わりした女の気持ちが映像的に実にうまく描かれていて、私は感心してしまった。境内に九郎がやって来た時、織江は「源氏様!」と思わず声を上げる。九郎に会釈した時、織江は彼にまた会えた嬉しさを抑え切れなかったのだろう。試合が始まり、源氏九郎の刀が折れた時には「あっ!」と言って叫ぶ。前の晩、織江はあれほど要之進に、絶対試合に買ってくださいと懇願していたのに、どうしたわけか、心の中では九郎を応援していたのだろう。要之進が討たれた後、織江は彼の亡骸におずおずと近寄って来る。が、手前で立ち止まってしまう。普通なら、抱き付いて泣き叫ぶところなのに、そうはしない。最後は要之進の亡骸の傍らに屈みこんで、呆然としている。立ち去っていった九郎ことに思いを馳せていたのだろう。(つづく)