錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『源氏九郎颯爽記』(その八)

2007-11-19 15:35:21 | 源氏九郎颯爽記・剣は知っていた
 「地に足の着いたリアリズムと言おうか。映画を絵空事や奇麗事で終わらせず、出来る限り虚構を廃して、生活者の視点で描く。加藤泰の映画に顕著な特徴は、なまなましい生活臭であり、現実的な人間の素顔である。」
 これは私が以前『風と女と旅鴉』について書いた文の一節であるが、素材はまったく違うが『源氏九郎颯爽記』にも、加藤泰のこうした傾向ははっきり現れていたと思う。
 第一作『濡れ髪二刀流』は、加藤泰が源氏九郎を慕う女の生き方に重点を置いて描いたとはいえ、生活者の視点もずいぶん映画の中に取り入れていた。たとえば、長屋風景とその住人たちのおしゃべりがそうだ。ここは江戸下谷の長屋という設定だった。
 私は、原作にもない日常茶飯事的な風景を面白く思って観ていたが、こうした場面をなぜこれほどまで大きく扱うのか、内心少し疑問に思わなくもなかった。しかし、加藤泰はどうしてもこれを描きたかったのだろう。描きたいから描く。描かないわけにはいかない。そういうことなのだろう。
 『濡れ髪二刀流』で、源氏九郎が亡くなった大坪左源太(清川荘司)の家を訪ね、長屋のみんなが集まって、故人の思い出話をする場面がある。夫婦喧嘩を仲裁してくれたとか、かぼちゃが嫌いだったとか、そういうセリフを住人に語らせたのも加藤泰らしさと言えるだろう。映画の中ではファーストシーンにだけ登場し、斬られて死んだ左源太という浪人が実はどういう人間だったのか、あえて補おうとした。彼が真面目な善人だったとフォローしてやらなければ、あえなく果てた彼も決して浮ばれないだろうと加藤泰が思っていたかどうか。それは私には分からない。が、加藤泰の人間を見るやさしさが現れていたのではないかと思う。
 長屋のセットも凝っていた。とくに家の外の様子がきちんと描かれていた。画面では、奥の方まで丁寧すぎるほど点景を添えていた。竹馬に乗って遊んでいる子供もいた。犬もいた。わざわざ女たちの井戸端会議の場面を加えたり、雨が降って来て洗濯物をしまいこむ女たちの情景なんか、短いカットではあったが、挿入していた。
 『濡れ髪二刀流』を観ていると、源氏九郎は「掃き溜めに鶴」といった印象を受ける。九郎が全身真っ白の衣装のままで、汚い貧乏長屋に逗留するのだから、違和感があったものの、貴種流離譚にしてはかなり変わっているなと思った。そこへまた綺麗な着物を着た織江もやって来てここへ居ついてしまう。長屋の女房の一人は、赤木春恵が扮していたが、彼女を中心に二人のことが女たちの話題の的になるところも落語のようでいかにも加藤泰らしかった。
 加藤泰という映画作家には、常に市井の人々の生活を描きたいという思いが強くあって、それを何が何でも映画の中に挿入するこだわりがあったのだと思う。彼は、チャンバラも好きだが、生活感を映画に盛り込みたいという意欲も強かった。
 加藤泰は、伊藤大輔に憧れて時代劇を作るようになった監督である。後年、『王将』で伊藤大輔の助監督をやったり、一緒に本を作ったりして(『時代劇映画の詩と真実』)、その私淑ぶりは並々ならぬほどだった。が、その一方で叔父の山中貞雄の映画にも大きな影響を受けている。加藤泰の遺作ともいうべき著書が山中貞夫論だった。
 加藤泰の映画を観ていると、伊藤大輔のような過激な反逆精神や痛烈な批判性は薄く、むしろ人間愛護的なやさしさを私は感じる。悪を完膚なきまでに暴いたり、悪人に対し怒りに燃えて懲罰するような厳しさは、彼の映画には感じない。小悪党はたくさん出てくるが、結構人間的である。悪の権化みたいな大物は登場しない。彼の映画には山中貞雄的な人間観と作風が溢れているように思う。人間の暮らしぶりから等身大の人間を描こうとするわけである。だから、悪党でも性善説的な見方で描くことになる。彼は東映時代劇の勧善懲悪的なストーリーのようにパターン化した悪役は描きたくなかったのだろう。『濡れ髪二刀流』には、悪役として磐城屋という豪商(佐々木孝丸)とその番頭・狐小僧(三島雅夫)が出てくるが、それほど悪いヤツでもない。老中(小沢栄太郎)とその一派も何を企んでいるのかよく分からず、悪の中心であるはずのこの老中も何だかちっぽけな男に見えてならなかった。
 加藤泰の映画は、東映時代劇の中では異端視されていた。東映幹部の受けも悪かったようだ。が、それは、『源氏九郎颯爽記』のような貴種流離譚を映画化するにしても、定式化した単純な娯楽時代劇のようには映画を作らなかったためである。その点、加藤泰は天邪鬼であった。
 描いたいものを描くということにかけて、加藤泰は頑固一徹であった。第二作『白狐二刀流』は、第一作のそうした傾向をさらに押し進めたのだと思う。(つづく)




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