錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『源氏九郎颯爽記』(その七)

2007-11-14 11:33:49 | 源氏九郎颯爽記・剣は知っていた
 『濡れ髪二刀流』で織江を演じた田代百合子は、加藤泰監督に相当しごかれたのではないかと思われる。織江が刀を抜いて九郎を突き刺そうとする場面が二度あるが、どちらの場面もこの映画の見どころになっていた。田代百合子が一生懸命やっているのがありありと分かり、それが思いつめた女の一念を表わすことになって、効果を上げていた。
 一度目は死んだ要之進の菩提を弔う寺の中だった。寺の本堂で九郎に襲いかかるのだが、いかにも運動神経が悪そうで体の重い織江は九郎に軽くいなされてしまう。勢い余って仏壇の前で転んだ時に、要之進の位牌が仏壇から転がり落ちる。九郎はその位牌を元の場所に据えて、去っていく。その後姿を見やった後で、織江は振り返って仏壇の位牌に目をやる。この同じ動作を織江は二度繰り返す。もちろん、位牌が落ちることも、織江のこうした動作も原作には書かれていない。加藤泰の演出の粘っこさである。
 二度目は、九郎が泊まった長屋(大坪左源太の居宅)でのシーンだが、夜中に九郎が外に人の気配を感じて、雨戸を開けると、織江が雨の中を亡霊のように佇んでいる。今の言葉で言えば、女のストーカーである。刀を構え、じっと九郎を見つめて、哀願するような表情を浮かべている。そんなところに居ないで中に入りなさいと九郎に言われ、織江はほっとしたにちがいない。いや、内心嬉しかったことだろう。私の気持ちがやっと通じたのかもしれないわ、といった心境だ。結局、織江は九郎に自分の大切な使命を打ち明けられ、仇討をあっさり断念してしまう。
この後、織江は長屋に居つき、押しかけ女房のようになって、ひたすら九郎の身を案じ、九郎のために尽くす。こうして、織江は束の間の女の幸せをつかむのだが、その憐れな最期は書かずにおこう。

 源氏九郎を慕う女として、織江のほかに、放れ駒のお竜が登場する。老中に雇われた密偵のようなこの役を演じた千原しのぶも印象に残る。こうした鉄火肌の姐御役は千原しのぶには珍しいが、これがまた大変良かった。吹き矢を使ったり、啖呵を切ったり、酔っ払ったり、縄で縛られたり、短銃を撃ったり、大活躍だった。
 お竜も織江同様、源氏九郎に一目惚れに近かった。が、初めは弟分の留吉(桂小金治)の手前、惚れたことを隠し、突っ張っていた。
 お竜と留吉が九郎の泊まっていた宿屋に忍び込み、火焔剣を盗もうとして九郎に捕まり、それでも逃がしてもらうシーンは、加藤泰得意の長回しだった。ワン・ショット、2分以上あったと思う。カメラはずっと固定した状態ではなく、人物の動きに従ってパンするが、それにしても長いショットだった。九郎が布団で寝ているところから始まって、お竜、九郎、留吉、宿屋の番頭たちが次々に出てきて演技するのだから、芝居を見ている感じである。お竜は布団の上に坐り込み、「さ、なんとでもおし!」と開き直る。九郎は「まともな人間の生き方とはどんなものか、考えてみろ」と言って、お竜と留吉を許してやる。この時点で、お竜は九郎にぞっこん首っ丈になったのだろう。
 織江が九郎と同じ長屋に居るのを知った時など、お竜はヤケ酒を飲む。千原しのぶが酔っ払った演技をするのは多分これが初めてだったと思うが、熱演だった。ずいぶん意欲的な演技をするものだと、その心意気に私は感心してしまった。お竜は仙道鬼十郎に殺されかかり、九郎に助けられる。また助けられて、お竜はまともな人間になろうと決心する。それからは、源氏九郎のことを「源さん」と呼ぶほどの入れ込みようで、命がけで九郎に尽くす女になる。
 『源氏九郎颯爽記・濡れ髪二刀流』の映画の良さは、主人公の源氏九郎が自分を慕う二人の女(織江とお竜)の生き方を正しく導き、幸せにしてやるところにあったのではないかと思う。九郎は、この二人の愛を受け入れ、どちらに対しても優しく接する。妻にするとまでは言わないが、責任をもってできるだけのことはしてやる。その九郎の真心が、二人の女との接し方ににじみ出ていたと思う。錦之助の源氏九郎は、美しいとか強いとかいう表面的な魅力だけではない。博愛精神のような心の優しさがあって、そこが良かったのだと思う。
 (この映画には、もう一人、源氏九郎に惚れる女として磐城屋の娘が出てくるが、原作にもないこんな役をなぜ作ったのか、首をかしげたくなる。なにしろこの役を演じた女優が下手糞で見ていられないのだ。会社の方針でこの女優を売り出すように言われ、加藤泰もやむを得ず使ったのかもしれない。)(つづく)




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