錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『宮本武蔵』(その三十一)

2007-07-28 01:48:53 | 宮本武蔵
 第五部のクライマックスは、もちろん、武蔵と佐々木小次郎との「船島での決闘」である。巌流島というのは、ご承知のように、ここで小次郎が武蔵に倒され、小次郎を追悼して後世に名づけられた名称で、船島というのが正しい。小倉からも下関からも4キロほどのところにある小さな島だそうだ。隣の彦島は比較的大きな島で、ここは昔から源平合戦などで名高く、また火野葦平の『花と竜』にも登場するので、よく知られている。
 さて、宮本武蔵といえばどうしてもライバル佐々木小次郎との巌流島の決闘がなくては、観客は納得しないだろう。吉川英治原作の『宮本武蔵』の映画(テレビは除く)で、佐々木小次郎を演じた俳優は、戦前は月形龍之介(その時の武蔵は片岡千恵蔵)、戦後は高倉健のほかに、鶴田浩二(武蔵は三船敏郎)、田宮二郎(加藤泰監督作品、武蔵は高橋英樹)などが頭に浮かぶ。村上元三原作の『佐々木小次郎』では、大谷友右衛門(武蔵は三船敏郎)、東千代之介(武蔵は片岡千恵蔵)、尾上菊之助(現・菊五郎、武蔵は仲代達矢)が小次郎を演じていたのが記憶に残る。私は一応どれも観ているが、最近ビデオで見直したのは、月形龍之介、鶴田浩二、東千代之介の佐々木小次郎である。それに、高倉健を加えて比較してみよう。
 何と言っても、天才剣士で一番強そうに見えるのは、月形龍之介だった。が、月形は、きざな役がどうも似合わず、訛りも気になった。
 やはり、小次郎のイメージに一番近いのは、鶴田浩二だと思う。きざで、女に一番もてそうな美剣士なのも鶴田の小次郎である。稲垣浩監督の戦後版『宮本武蔵・決闘巌流島』(1956年)では、三船の武蔵よりも鶴田の小次郎が主役で、クレジットタイトルも鶴田の名前が一番初めに出てくる。そして、小次郎を魅力的な好人物、悲運のヒーローに描いていた。(吉川英治の原作をずいぶん変えていた。)岡田茉莉子の朱美や嵯峨三智子のお光との関係も鶴田の小次郎となら十分許せるものだった。
 東千代之介の小次郎は、線が細く、無難ではあるが、物足りなかった。剣も弱そうだった。が、とても哀れで情感豊かな小次郎を演じていたと思う。

 高倉健の小次郎については、前にも適役ではないと書いたが、無粋と言おうか、力みすぎて、動きもセリフも固く、派手な衣装も似合わず、要するになかなか良い点が見当たらなかった。それでも第五部では、細川家に召抱えられ、総髪になってから(由井正雪みたいだったが…)立派になって、かなり良くなったと思う。ただし、燕返しの剣さばきをほとんど見せないまま終わってしまったのは、大いに不満だった。高倉健は、時代劇の立ち回りが不得意だったのだろう。内田吐夢も高倉健には殺陣師(足立伶二郎)を付けなかったようだ。細川忠利の御前で、槍使いの岡谷と試合をする場面では、小次郎は片手に木刀を持って構えるだけで、試合が始まると岡谷の足さばきしか映さず、誤魔化していた。ラストの船島での決闘でも、物干し竿を持って砂浜を突っ走るだけで、飛び上がった武蔵に一撃にして頭を打たれてしまう。小次郎は、普通、にっこりと笑った死に顔を見せるものだが(鶴田の小次郎はそうだった)、高倉健の小次郎は、目をうつろにして意識を失っていく顔を見せていた。この死に顔も印象に残るものだったが、死に顔が最高の見せ場だったとは健さんもさぞかし無念だったことだろう。
 ともかく、健さんには時代劇は似合わない。(『千姫と秀頼』の侍役もいただけなかった。)やはり現代劇の俳優だと思う。若い頃は真面目なサラリーマン役で佐久間良子と共演したりして、それなりに良かったが、たいした人気は出なかった。高倉健が錦之助に替わって一躍東映を背負うスターになっていくのは、皮肉なことに『宮本武蔵』で不本意な小次郎役を演じたこの時代(昭和36年~40年)からである。『人生劇場・飛車角』(昭和38年)の宮川、『日本侠客伝』(昭和39年)の辰巳の長吉、『網走番外地』(昭和40年)の橘真一、『昭和残侠伝』の寺島清次を演じ、高倉健は新境地を開いていく。内田吐夢の映画では、『宮本武蔵』第四部と第五部の間に製作された『飢餓海峡』(昭和39年製作)に、高倉健は若い刑事役で出演している。『飢餓海峡』は吐夢最後の傑作だったと昔から私は評価しているが、高倉健はこの役の方が佐々木小次郎よりずっと良かったと思う。(つづく)




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