錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『宮本武蔵』(その三十)

2007-07-27 18:37:03 | 宮本武蔵
 内田吐夢という監督は、結構いい加減なところがあるようだ。吐夢の映画を観ていると、時々変だなーと感じる箇所を発見する。これは、ストーリーの根幹に関わる部分ではなく、描写の仕方について疑問に感じる点なので、それほど重要なことではない。が、映画を観ている時や観終わった後に、私みたいに少々理屈っぽい者は、どうも気になって仕方がない。『宮本武蔵・第五部』にはそうした箇所がいくつか目についたので、挙げておこう。この映画をご覧になった皆さんがどう思われたか知らないが、多分私同様に疑問を感じた方もいるのではなかろうか。
 たとえば、
 一、お通さんが武蔵を追って、渓流の岩場を急ぎ足で歩いていくシーン。岩と岩の間に細い木を掛けただけの2メートルくらいの橋があって、見るからに渡るのが危なっかしい。武蔵が先にそこを渡る。足元に気をつけながら渡った後、向こう側で立ち止まる。するとお通さんが武蔵に声をかけ、二言三言、会話を交わす。その後なのだが、お通さんが武蔵の方を見たまま、足元も見ないで、しかも話しながら、すーっと向こう側の武蔵のところへ歩いて行くのだ。ここはお通さんのバストショットで、足元は映していない。もちろん、このカットは足場の良い別の場所で撮影し、それをつなげたのだろうが、そのまま観ていると誰でも「危ない!」と言いたくなる場面である。お通さんがサーカスの曲芸師でもなければ、あんな芸当はできないのではないかと思う。しかし、この場面は次のような解釈もできるかもしれない。武蔵は危ない橋を渡っていく。追いかけるお通にも、行く手に危険が待ち受けている。が、武蔵を一途に慕うお通には武蔵の姿しか見えず、だから、危険などには目もくれない…。
 
 二、武蔵が秋の野原で伊織に出会うシーン。足元から急に野鳥が飛び立つと、武蔵は木刀(杖かもしれない)を頭上に構えている。すると、向こうに落下した野鳥を捕まえに、一人の少年(伊織)が飛び出してきて、野鳥を逆さまに持ち、口からしたれる血か何かを器に採っている場面になる。ここが私にはどうしても理解できなかった。原作では、武蔵がドジョウを取っている少年(伊織)にそれを少しくれないかと頼んだのがきっかけで顔見知りになるのだが、ドジョウを野鳥に変えるのは構わないが、伊織が野鳥の口から何を採っているのかが分からなかった。打ち落とした鳥の口からはたして血が流れ出るだろうか。ドジョウを伊織が取っているのは、それが死にそうな父の好物だからであるが、伊織が野鳥の血を採るのは、それを父に飲ませようとでも思ったのだろうか。

 三、武蔵と小次郎との船島での試合が決まり、お通さんもとに手紙が届く。小倉に行くようにと指示を出す沢庵からの手紙なのだが、部屋の中でお通さんが手紙を読んで、「二人の人に会えると書いてあるけど、一人は武蔵様……、もう一人は?」と言う短い場面である。が、お通さんが登場するのは、渓流のところで武蔵と別れて以来なのだが、その時いったいお通さんがどこにいるのか、映画を観た限りではまったく分からなかった。(原作では、柳生の里にいる。)
 
 四、武蔵は小次郎との決闘で櫂を削って作った長い木刀を使う。その櫂のことだが、映画では武蔵が船出する間際に波打ち際に落ちていた櫂を拾うという設定にしていた。それが私には納得できなかった。海水に浸って腐っているかもしれない櫂だ。それに水を含んで重いだろうし、削るのも大変だろう。それよりも、武蔵は小次郎の物干し竿と対抗するために長い木刀を使うわけで、これは武蔵が考えた重要な戦略である。だから、偶然、波打ち際で拾った櫂を使うというのは、どう見てもおかしい。原作では、下関の廻船問屋の主人に頼んで櫂をもらい受けることになっていたと思う。ところで、船島へ行く舟の中で、櫂を削って木刀にするということも無理な話であろう。これは、原作にもあり、映画もそれに従っているが、以前誰かが不可能だと指摘していたことを覚えている。下関から船島へ渡るのにわずか30分、しかも海流が急で、舟が揺れてとても櫂を削れるどころではない。しかし、この点は許そう。(ただ、波打ち際で櫂を拾うことだけは気にかかる。しつこいようですが…。)
 
 五、小次郎を倒して帰る舟の中で、武蔵が血に染まった手を見る場面、ここが不思議である。武蔵は小次郎の脳天を一撃で叩き割ったはず。櫂の木刀を持った手が血でぬれるわけがない。もし、血がついているとすれば、木刀を強く握り締めていたため、武蔵自身の手が切れて出た血としか思えない。あの場面では確か武蔵が「ああ、この手は血で穢れている」と嘆くが、画面に映った武蔵の手のひらの赤い血は、想像上の血だったのだろうか。
 六、これも舟の中で、武蔵が過去の闘いを次々に追想するシーンがあり、さかのぼって「たのむはこの一腰。青春二十一、遅くはない」と言う姫路城を旅立つ時の場面が映し出される。その後、武蔵が我に帰り、「あれから十年…」と言うが、厳密に言うと八年である。

 映画の本筋とは、関係ないことを思わず書いてしまった。この辺で、アラ探しみたいなことはやめるとしよう。(つづく)




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