錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『宮本武蔵』(その三十二)

2007-07-28 19:24:44 | 宮本武蔵

 そろそろ『宮本武蔵』五部作もまとめに入りたいと思う。この4ヶ月間、「宮本武蔵」のことばかり書いてきた。30回以上書いて、まだ語り足りない気もしないではないが、内田吐夢監督、錦之助主演の映画『宮本武蔵』については私なりに語り尽くしたと思う。実在した宮本武蔵のことや、彼の兵法書の『五輪書』『兵法三十五箇条』、そして武蔵が最後に遺した自省自戒の壁書文『独行道』については触れる機会がなかった。これまで好奇心のおもむくまま、武蔵に関していろいろな本を読んできたが、吉川英治の『宮本武蔵』と吐夢の映画とを比較検討するのが精一杯だった。また、武蔵が登場する映画でビデオ化されたものは何本か観てきたが、吐夢の映画と錦之助の武蔵を中心に語ることが本意だったので、それらにもほとんど触れなかった。それでも、話はずいぶん脇道に逸れたように思っている。
 
 内田吐夢の映画『宮本武蔵』五部作は、この4ヶ月間にそれぞれ五度ずつは観たと思う。しかし、スクリーンではなくDVDで観たことだけは残念だった。来月15日に京橋のフィルムセンターで、第四部「一乗寺の決斗」を上映するというので、楽しみにしている。9月23日にももう一度上映するので、二回とも観ようと思っている。それはともかく、吐夢の五部作では、第一部から第四部までが最高の出来栄えで、第五部だけは少しレベルが落ちると思っている。私の個人的な好みから言うと、第一部と第二部は鳥肌が立つくらい好きで、何度観ても飽きない。錦之助の武蔵が抜群に素晴らしく、感動の連続で、心臓の高鳴りが止まらないほどである。第三部は、世評がやや低く、それは凄まじい決闘シーンがないからなのだろうが、私はこれも傑作だと思っている。第三部は起承転結の「転」の部分だと思うが、柳生石舟斎と吉岡清十郎の描き方が良く、十分見ごたえがあった。第四部は、ラストの「一乗寺の決闘」の部分ばかりが取り上げられ、ことのほか評価が高いが、私は前半の遊里の場面や三十三間堂での吉岡伝七郎との決闘の場面も非常に好きである。第五部については最近書いたことが私の正直な感想だと思っていただきたい。

 『宮本武蔵』五部作を観ていてまず何よりも強く感じることは、「錦之助よ、よくぞ武蔵を演じてくれました」ということである。私みたいな錦之助ファンにとっては、これがたまらなく嬉しいし、感謝の気持ちすら覚える。さらに言えば、内田吐夢が監督し、5年がかりで『宮本武蔵』を撮ってくれたことも喜ばずにはいられない。最高の役者、最高の演出による『宮本武蔵』が完成したからである。製作スタッフも共演者も、錦之助と内田吐夢を中心に、最高の仕事をしたと思う。吐夢に協力した脚本家鈴木尚之のシナリオは推敲に推敲を重ねたにちがいなく、セリフ過多にならず、鮮やかな映像とえり抜かれたセリフが相乗効果を発揮する素晴らしいものだった。また、撮影、美術、音楽、そして殺陣、すべてが一体化して映画の醍醐味を生み出していたと思う。
 共演者について言えば、錦之助の武蔵をめぐる人間模様に濃淡さまざまな彩りを加え、登場人物のほとんど誰もが生き生きとして、印象に残っている。二作以上に出演した主だった助演者を除けば、登場場面は少なかったが今私の頭に思い浮かぶ俳優は、ベテランや老優が多い。花沢徳衛(青木丹左衛門)、宮口精二(花田橋のたもとの竹細工屋の亭主)、織田政雄(木賃宿の親爺)、村田知栄子(奈良の逗留先の女主人)、東山千栄子(本阿弥光悦の老母・妙秀)、有馬宏治(遊里の茶屋の主人)、中村是好(刀研ぎ師の耕介)、日高澄子(耕介の女房)などである。月形龍之介(日観)、薄田研二(柳生石舟斎)、山形勲(壬生源左衛門)、片岡千恵蔵(長岡佐渡)は、一作にしか出演しなかったが、強烈な印象を与え、別格だった。(つづく)




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