錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『宮本武蔵』(その二十九)

2007-07-26 21:59:43 | 宮本武蔵
 第五部で私がとくに好きな場面は、武蔵が刀研ぎ師の耕介の店へ刀を持って行き、耕介から説教をされるところである。耕介に扮した中村是好の、飄々としているようでぴりっとカラシの利いた演技が大変良い。武蔵に刀を研いでくれと頼まれ、「切れるようにというご注文ですか、それとも切れるほどでもよいというご注文ですか」と尋ねる場面がふるっていた。武蔵が「もとより切れるようにお願いする」と答えると、一転してつむじを曲げ、「研げません。刀はお返しします」ときっぱりと言うセリフなど、いかにも一本筋の通った職人といった感じだった。侍が刀を、人を斬るためにばかりに使うのはけしからん、看板をよくご覧なさい、「御たましい研ぎどころ」と書いてあるではないか。武蔵が耕介の話に納得し、「一理ある」と妙に感心するのも謙虚でよろしい。また、耕介の女房役の日高澄子も地味な役だが、落ち着いていて良かった。頑固な夫の横で、武蔵に対し非礼を丁寧にわびたりするところなど、細かい女房の気遣いがうまく表されていた。

 馬喰宿で荒くれ者の秩父の熊五郎を前に武蔵が蕎麦にたかったハエを箸でつまむ場面は、これまでの武蔵の映画では必ず描かれてきた有名な場面である。この場面はいつ観ても痛快で面白い。熊五郎は、戦前の片岡千恵蔵の武蔵では上田吉次郎、戦後の三船敏郎の武蔵では田中春男が演じていたが、どちらもアクの強い一癖も二癖もある博労だった。尾形伸之介の熊五郎は単純で生真面目、人の良さそうな面が印象に残った。錦之助の武蔵では、箸でつまんだハエを、熊五郎が床に突き刺した匕首の柄の上にのせる点が新工夫。また、武蔵がわざと熊五郎の目の前で、空中に飛んでいるハエをつかんで見せると、熊五郎がトンボのように目を回すところも、おかしかった。錦之助が終始真顔なので、余計おかしかった。「箸を洗ってきてくれないか」という言葉は、普通武蔵が伊織に対して言うのだが、熊五郎に向かって言うように変えていた。熊五郎が急にかしこまり、素直に「はい」と返事するのだが、こっちの方が話のオチとしてはずっと面白いと思う。

 武蔵が外でやくざたちに後を付けられ、彼らをまくために宿まで駆けっこしようと伊織に言い、二手に分かれて走り出して宿に着くまでの場面は、映画のオリジナルで、短いけれども私の好きな場面である。錦之助の武蔵は、城太郎や伊織といった子供と一緒にいると、弟を可愛がる兄貴みたいになる時があり、そうした場面での錦之助は、稚気があり、またなんとも言えぬ優しさが表情にあふれる。それがたまらない魅力でもある。

 ところで、第五部には戦前戦後と何度も武蔵を演じ当たり役にしてきた片岡千恵蔵が出演している。小倉藩の家老長岡佐渡の役である。長岡佐渡は、第五部のキーパーソンだった。武蔵に興味を持ち、彼の噂話を聞くにつけ、「なかなかの人物だな」と感心し、武蔵に対し次第に好感を持っていく。佐々木小次郎に対しては、「こざかしいヤツ」と言い、その傲慢さに鼻持ちならない気持ちでいる。小次郎のスタンドプレイも見透かしている。貫禄たっぷりの千恵蔵が何か意見を言うと、説得力があってもっともだと思ってしまうから、不思議なものだ。さすが東映の重役である。千恵蔵に認められると、錦之助が、いや武蔵が、だんだん立派な人間に見えてくる。長岡佐渡の役回りは、武蔵と小次郎の対決を冷静に見守る立場で、こうした客観的な視点をドラマに加えることは、内田吐夢の映画の特長でもある。
 長岡佐渡が伊織のことを「小僧、小僧」と言って、可愛がるところも奥ゆかしかった。「菓子をやるから遊びに来いよ」というセリフなど、おじいちゃんが孫に言うような言葉ではないか。佐渡は伊織に「侍になりたいなら、ワシのところへ来い」と誘うのだが、伊織は武蔵を先生と慕っているので、あっさりと断わられてしまう。ちょっとがっかりする千恵蔵の表情が良い。伊織が武蔵の手紙を持って、はるばる小倉の長岡佐渡の屋敷にやって来た時、「やっぱりわしのところへ来たではないか」と言って内心喜ぶところも、子供好きな千恵蔵の地がにじみ出ていて、味があり、実に良かった。(つづく)




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