錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『唄しぐれ いろは若衆』(補足)

2013-05-18 17:24:08 | おしどり若衆・いろは若衆・ふり袖月夜
 映画の話に戻ろう。
 『唄しぐれ いろは若衆』は、錦之助の十二本目の作品だった。娯楽版の中篇を一本に数えた上での本数であるが、『笛吹童子』と『里見八犬傳』を二本と数えれば、六本目である。そして添え物ではない本編のこの作品は、美空ひばりの相手役でなく、錦之助が一人で主役を張ったという点では錦之助の初めての主演作であった。
 しかもこの映画は、錦之助が自ら企画を持ち込んで製作することになった作品であり、大人の鑑賞にも堪えられる内容であったので、錦之助の張り切りようも特別だった。錦之助が主題歌を唄い、「いろは小唄」をレコードにして発売したことはすでに述べた。
 錦之助の相手役は千原しのぶだった。千原は、新聞記者の父親が片岡千恵蔵と旧知の仲だったこともあって、千恵蔵に乞われ、昭和27年4月に東映に入社した。本格的なデビューは同年10月。映画界入りは錦之助より一年以上先輩で、年齢も二歳近く年上だった。千原しのぶは昭和6年1月16日岡山県生まれである。デビュー以来、千原は主に千恵蔵の主演作に助演していたが、東映娯楽版の第一作『真田十勇士』では第一部に出て大友柳太朗を助演。『里見八犬伝 (第二部)芳流閣の龍虎』でも八犬士の一人犬田小文吾(島田照夫)の妹役をやって、少しだけ出ているが、錦之助との共演はなかった。
 千原はすでにその前に錦之助と、月刊誌「平凡」のグラビア写真の撮影でいっしょに仕事をしたことがあった。錦之助が東映京都撮影所に来て、『笛吹童子』に出演する前である。千原は、その時、仕事に付き添ってくれた東映宣伝部課長(彼末光史)に、「可愛い坊やみたいじゃない」と漏らした。錦之助の明るくてやんちゃそうな性格に好印象を持ったのだった。千原自身、さばさばしていて男の子みたいなところもあり、「ボクちゃん」という仇名で呼ばれていたほどだった。錦之助も、軽口でも冗談でもポンポンと言えそうな姐御肌の千原に、親しみを覚えた。
 千原は、『唄しぐれ いろは若衆』で錦之助の相手役をすることになったと言われ、あの時の坊やかと思った。が、雑誌の軽い仕事とは違い、今度は映画での本格的な共演である。脚本を読むと、重要な恋人役を演じなくてはならない。錦之助は歌舞伎の名門の出身で名女形の時蔵の御曹司。自分より年下と言っても、プロの役者である。共演することに期待もあったが、役者としてまだ素人のような自分が恥ずかしくもあった。考えると、ちょっと気が重くなった。
「えいっ、どうにでもなれ。わたしはわたし流でやっちゃおう」と千原は決心した。
 監督の小沢茂弘が打ち合わせも兼ね、本読みもしたいというので、会議室へ行くと、錦之助がいた。錦之助は「やあ」と手を上げて笑顔を浮かべると、千原をそばに呼び寄せた。
「お久しぶりです」と千原は言った。
「あの時はどうも」と錦之助は言うと、
「聞いた話だけどさ、君、ぼくのこと、坊やみたいだって言ったんだって」
「あら、誰に聞いたの。可愛い坊やみたいね、って言ったのよ」
「こっちは、おっかねえおばさんだなアって思ったよ」
「失礼しちゃうわ」
「じゃあ、いいよ。君のこと、これからママさんって呼ぶからな」
「やだ。わたし、まだ若いし、独身よ」
「でも、ずっと年上に見えるよ」
「それ、老けてるってこと?」
「まあ、そういうことかな」
 千原は、あけすけで飾らない話し方をする錦之助に気安さを感じ、彼とならいっしょに楽しく仕事ができるなと思った。
 それから映画がクランクすると、錦之助は、やんちゃ坊主ぶりを発揮した。セットで待ちのとき、錦之助がそばに来て、
「ママさん、聞いてごらん。これが君の音だよ」
 錦之助は、手にした細い枝を千原の目の前に差し出し、ポキッと音をさせて折った。



 千原はすらっとして痩せていた。公式発表では、身長158センチ、体重43キロ。体重のほうは撮影が始まると40キロを切るほどだった。食も細く、ロケの昼食もバナナやメロンなど果物だけで済ませていた。錦之助はそれを見て、
「よく、それだけで、からだが持つなあ」
「だって、わたし、ご飯食べたくないんだもの」
「途中で倒れないでくれよ。今さら相手役、変えられないんだからな」
 ある時、千原のいる化粧部屋に錦之助がふらっとやって来て、鏡台の上に、薬の入ったびんを置いた。
「これ、疲労回復にとてもよく効くんだってさ」
 見ると、ビタミン剤のパンビタンだった。千原は、錦之助のことをなんて気遣いの細かい人なんだろうと思い、彼からの思わぬ差し入れに、じーんと心温まるものを感じた。




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