錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~マスコミの寵児(その3)

2013-05-13 21:24:48 | 【錦之助伝】~スター誕生
 錦之助の人気はうなぎ上りに上昇し、新聞、雑誌、ラジオなどのマスコミの取材申し込みが続々とやって来るようになった。それは、公開中の『里見八犬傳』五部作が佳境に入った6月半ば以降だった。『里見八犬傳』の撮影スケジュールも強行だったが、その後の錦之助の多忙ぶりはすさまじかった。7月半ばに『唄ごよみ いろは若衆』の撮影を終えると、ラジオドラマ「明玉夕玉」の収録が始まり、そして雑誌の取材を錦之助は次々にこなしていく。
 「平凡」のライバル月刊誌「明星」は、8月号に、錦之助を淡路恵子と組ませ、「夕涼み」というタイトルでグラビアを載せ、9月号は、「ひばりちゃんのGO・STOP」で錦之助を登場させる。
 「近代映画」は、9月号に、『笛吹童子』の錦・千代コンビの対談「僕等は仲よし」を載せる。
 「キネマ旬報」は、9月上旬号で、「錦之助と千代之介――まかり出た若衆スター」というタイトルで、5ページに及ぶ文章ばかりの取材記事を載せた。これは「キネマ旬報」の記者が、『里見八犬傳』を上映中の浅草の映画館へ実際に行き、観客の様子や館主の評判を取材し、また、錦之助と千代之介に15項目の質問を投げ、その答も載せたものである。そして、時代劇映画に錦・千代という新たなスターが現れたことを、映画史的に説明し、二人の今後の活躍を期待するという、錦・千代に対し非常に好意的な論説であった。
 昭和29年の夏、錦之助が映画デビューして5ヶ月あまりで、芸能誌、映画誌がこぞって錦之助にスポットを当てて、取材合戦を始めたわけである。

 その後の雑誌記事についても書くと、次のようだった。
 「平凡」10月号に、ひばりと錦之助の対談「私のボーイフレンド」。これは多くの愛読者からの希望対談で、二人の初対談であった。ひばりも錦之助も『八百屋お七 ふり袖月夜』の撮影中で、8月初旬のある夜、京都の料亭で行なわれた。しかもこの対談は録音され、8月25日の午後9時から(地域によっては23日または26日)、ラジオの「平凡アワー」で全国に放送された。ひばりの歌だけでなく、錦之助の「いろは小唄」も流したという。



 「明星」10月号には、ひばりと扇雀と錦之助の三人の座談会、題して「チャンバラ若衆」。
 「映画ファン」は10月号にグラビア「歌う新コンビ 美空ひばり・中村錦之助」を載せるが、扱いはまだ小さかった。
 「平凡」11月号では、グラフ「あこがれの瞳 素顔の錦之助さん」で錦之助の魅力を紹介。



 「近代映画」11月号は、スタア小説「中村錦之助・物語」を載せ、錦之助の生い立ち、歌舞伎時代、映画界入りの経緯などを書いて、錦之助の伝記を取り上げる。
 そして、「平凡」は、別冊「平凡スタア・グラフ」を企画し、その記念すべき第1号に「中村錦之助集」を発行することになる。(発行は昭和29年11月10日で、発売は10月末だったと思われる)



 「平凡」12月号(10月下旬発売)は、特集「男性美に関する十二章」を載せ、第一章「皇太子さま」の次の第二章を「男装の麗人型 中村錦之助」に当て、錦之助が若い女の子にもてる秘密の分析をしている。
 それによると錦之助は、「気取りがなく、誰と話していても友達同士ような感じ」で、「なにより野球が大好きという近代的なスポーツボーイ」だが、「ひとたび和服になると、藤間流できたえた身のこなし」でファンを魅了し、また、「サッパリしていて、庶民的で、いわばターキー、ヨッタンなど男装の麗人的魅力の持主」であると結論づけている。ターキーは松竹歌劇の水の江瀧子、ヨッタンは宝塚の久慈あさみであるが、錦之助は、若い女性ファンがSKDや宝塚の男役に熱を上げるのと同じような憧れの対象と見なされたわけである。
 「明星」は、12月号(10月下旬発売)に、遅まきながら、ひゃらりこ座談会「笛吹童子大会」を載せ、大友柳太朗、千代之介、錦之助、高千穂ひづる、田代百合子、千原しのぶ、藤里まゆみといった東映時代劇の売れっ子を総出演させている。




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