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この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

自分とは異なる解釈が許せない解釈は人それぞれ派と他人の解釈は気にならない解釈は一つ派。

2021-08-12 12:35:47 | 戯言
 自分は解釈は人それぞれという考えは間違っていて、正しい解釈は一つしかない、と考えています。
 解釈が作者の作品に込められた想いを探る行為であり、作品に込められた想いが一つであるならば、当然解釈で得られる答えも一つだろうと思うからです。

 たまに、解釈は見る人の自由で構いません、という作家がいますが、その作家に、「この作品の隅に鉤十字に見える模様があります。これはつまりナチスを礼賛しているってことなんですよね?」って言ったら、さすがに「そういった意図はありません」と否定するでしょう。
 解釈は見る人の自由で構わないなんていう言葉はただのリップサービスだと考えていた方がよいのです。

 正しい解釈は一つしかないと述べました。
 ただ、間違った解釈をしたら、それでダメだ、というつもりはありません。
 小説にしろ、映画にしろ、解釈を間違ったからといってそれで何だというんです?
 間違いに気づいたら、その時修正すればいいだけのことです。
 間違えていたとしてもそれは恥でも何でもない。

 自分は自分の『ガタカ』の解釈に自信があります。
 自分の中に核となるものがあるので、逆に他人がどう解釈しているか、気になりません。
 興味がないといってもいいぐらいです。
 興味がないから否定することもありません。
 見ず知らずの赤の他人が『ガタカ』の解釈で合っていようと、間違っていようと、それは自分の知ったことではないのです。
 なので自分と異なる考えの人のブログに乗り込んで、「あなたの考えは間違っている!」などと議論を吹っ掛けることもしません。

 先日『ガタカ』の考察記事にコメントをしたミスター・ヒステリー氏(仮)は解釈は人それぞれだという考えの人でした。
 まぁ解釈は人それぞれと考えるのも構わないと思いますが、解釈は人それぞれと言っている割にはこちらの解釈をやたら否定してくるのです。
 前述の通り自分は正しい解釈は一つしかないと考えています。
 なので間違った解釈には(必要とあらば)「間違っています」と言います。
 そこに矛盾は感じません。
 でも解釈は人それぞれと言いながらこちらの解釈を否定する人って何なんですかね?
 解釈は人それぞれであるけれど、正しい解釈は一つなんて戯言を言っている奴の解釈は否定しても構わない、そういうことなんですかね?
 つまり、あれだ、暴力は絶対に良くない、と言いながら、暴力を否定しない人間に対しては暴力を仕掛けても構わない、そういうことだ。

 解釈について考えて、解釈は人それぞれだ、という結論に達したとしてもそれは構わないと思います。
 ただ、解釈は人それぞれという考えには字面よりもはるかに重いものがあるということを自称解釈は人それぞれ派の人たちに忘れないでいて欲しいです。
コメント (2)
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