自分は解釈は人それぞれという考えは間違っていて、正しい解釈は一つしかない、と考えています。
解釈が作者の作品に込められた想いを探る行為であり、作品に込められた想いが一つであるならば、当然解釈で得られる答えも一つだろうと思うからです。
たまに、解釈は見る人の自由で構いません、という作家がいますが、その作家に、「この作品の隅に鉤十字に見える模様があります。これはつまりナチスを礼賛しているってことなんですよね?」って言ったら、さすがに「そういった意図はありません」と否定するでしょう。
解釈は見る人の自由で構わないなんていう言葉はただのリップサービスだと考えていた方がよいのです。
正しい解釈は一つしかないと述べました。
ただ、間違った解釈をしたら、それでダメだ、というつもりはありません。
小説にしろ、映画にしろ、解釈を間違ったからといってそれで何だというんです?
間違いに気づいたら、その時修正すればいいだけのことです。
間違えていたとしてもそれは恥でも何でもない。
自分は自分の『ガタカ』の解釈に自信があります。
自分の中に核となるものがあるので、逆に他人がどう解釈しているか、気になりません。
興味がないといってもいいぐらいです。
興味がないから否定することもありません。
見ず知らずの赤の他人が『ガタカ』の解釈で合っていようと、間違っていようと、それは自分の知ったことではないのです。
なので自分と異なる考えの人のブログに乗り込んで、「あなたの考えは間違っている!」などと議論を吹っ掛けることもしません。
先日『ガタカ』の考察記事にコメントをしたミスター・ヒステリー氏(仮)は解釈は人それぞれだという考えの人でした。
まぁ解釈は人それぞれと考えるのも構わないと思いますが、解釈は人それぞれと言っている割にはこちらの解釈をやたら否定してくるのです。
前述の通り自分は正しい解釈は一つしかないと考えています。
なので間違った解釈には(必要とあらば)「間違っています」と言います。
そこに矛盾は感じません。
でも解釈は人それぞれと言いながらこちらの解釈を否定する人って何なんですかね?
解釈は人それぞれであるけれど、正しい解釈は一つなんて戯言を言っている奴の解釈は否定しても構わない、そういうことなんですかね?
つまり、あれだ、暴力は絶対に良くない、と言いながら、暴力を否定しない人間に対しては暴力を仕掛けても構わない、そういうことだ。
解釈について考えて、解釈は人それぞれだ、という結論に達したとしてもそれは構わないと思います。
ただ、解釈は人それぞれという考えには字面よりもはるかに重いものがあるということを自称解釈は人それぞれ派の人たちに忘れないでいて欲しいです。
解釈が作者の作品に込められた想いを探る行為であり、作品に込められた想いが一つであるならば、当然解釈で得られる答えも一つだろうと思うからです。
たまに、解釈は見る人の自由で構いません、という作家がいますが、その作家に、「この作品の隅に鉤十字に見える模様があります。これはつまりナチスを礼賛しているってことなんですよね?」って言ったら、さすがに「そういった意図はありません」と否定するでしょう。
解釈は見る人の自由で構わないなんていう言葉はただのリップサービスだと考えていた方がよいのです。
正しい解釈は一つしかないと述べました。
ただ、間違った解釈をしたら、それでダメだ、というつもりはありません。
小説にしろ、映画にしろ、解釈を間違ったからといってそれで何だというんです?
間違いに気づいたら、その時修正すればいいだけのことです。
間違えていたとしてもそれは恥でも何でもない。
自分は自分の『ガタカ』の解釈に自信があります。
自分の中に核となるものがあるので、逆に他人がどう解釈しているか、気になりません。
興味がないといってもいいぐらいです。
興味がないから否定することもありません。
見ず知らずの赤の他人が『ガタカ』の解釈で合っていようと、間違っていようと、それは自分の知ったことではないのです。
なので自分と異なる考えの人のブログに乗り込んで、「あなたの考えは間違っている!」などと議論を吹っ掛けることもしません。
先日『ガタカ』の考察記事にコメントをしたミスター・ヒステリー氏(仮)は解釈は人それぞれだという考えの人でした。
まぁ解釈は人それぞれと考えるのも構わないと思いますが、解釈は人それぞれと言っている割にはこちらの解釈をやたら否定してくるのです。
前述の通り自分は正しい解釈は一つしかないと考えています。
なので間違った解釈には(必要とあらば)「間違っています」と言います。
そこに矛盾は感じません。
でも解釈は人それぞれと言いながらこちらの解釈を否定する人って何なんですかね?
解釈は人それぞれであるけれど、正しい解釈は一つなんて戯言を言っている奴の解釈は否定しても構わない、そういうことなんですかね?
つまり、あれだ、暴力は絶対に良くない、と言いながら、暴力を否定しない人間に対しては暴力を仕掛けても構わない、そういうことだ。
解釈について考えて、解釈は人それぞれだ、という結論に達したとしてもそれは構わないと思います。
ただ、解釈は人それぞれという考えには字面よりもはるかに重いものがあるということを自称解釈は人それぞれ派の人たちに忘れないでいて欲しいです。
ガタカのDVDレンタル注文しました。
実際見た時、私はいろんなシーンを細かく見るタイプではないので、誤読するのではないか…とか、いろいろ考えながら、到着を楽しみにしております。
解釈については、私はあまり自信がないので、なんとも…ですが、これまでの考察記事やコメント欄を読ませて頂き、
いつも冷静に(私にはそう感じます)、持論を明快な論調で述べられているせぷ様の文章やコメントには、正直でまっすぐなお人柄を私なりに感じております。
やはり、文章は顔が見えない分、文章から感じられるお人柄を尊重しながら読んでいき、意見を交換し合うことが、ブログのコメントのやり取りの中では、大切になってくるのかなと思います。
(解釈がどうであれ、違う意見を相手に対して発する場合、特にそうなのかなと。)
私自身、気を付けたいところです。
唐津への旅はいかがでしょうか。
「雨ばっかり降りよるよ〜」と、昨日福岡の母がぼやいておりましたが…。
旅行記楽しみにしています。
(気分にムラがあり、ブログ訪問できる時とできない時があります。先日の記事を読んでいなくてすみません!。だけど、落ち込んでいる時にも、せぷ様の記事は、せぷ様らしいマイペースが貫かれていて、気楽に読め、私の肩の力も抜けるので、いつも一番に訪問させていただいております。)
そっか、近くにレンタルショップがないとそうなるのか。
でも逆に言えば便利な時代になりましたね。
誤読したって構わないですよ。
テストじゃないんですから。
自分は正しい解釈は一つだと考える人間ですが、一番大切なのは楽しむことです。
楽しんだ者勝ちですよ。
>正直でまっすぐなお人柄を私なりに感じております。
全然そんな人間ではないんですけど、期待は裏切らないように頑張ります。
唐津旅行、さすがに中止になりました。
前夜までは行く気満々だったのですが、現地の情報を聞き、さすがに無理だと判断しました。
>先日の記事を読んでいなくてすみません!
いえいえ、全然謝られることではないんですよ。
こうしてコメントを頂けているだけで本当にありがたいのです。
以前は毎日更新しているのに二ヶ月か三ヶ月一つもコメントがつかないことが普通にありましたからね。
そのときは自分の心が砂漠になっていくようでした。
本当に無理はなされないでください。
コメントなんてものは無理してまでするものではないですから。
何事もマイペースが肝要だと思います。