メンタリストのDaiGoのYouTubeが差別発言によって炎上していますね。
炎上していますね、と言っていますが、実際彼のYouTubeを覗いたことはないですけれど(彼に限らず、普段YouTubeを見ることはほとんどないです)。
彼の発言を聞いて思ったのは、「コイツ、最低だな」ということでなく、「思ってはいても口にしない方がいいことをよく口にしたな」ということです。
メンタリストを自称するくせに差別発言をしたら自分が世間からどう見られるようになるのか、想像出来なかったのですかねぇ?
今日はDaiGoを見習って、というわけではないですが、言わない方がいいかもしれないことを言ってみようかと思います。
自分は老人が苦手です。
なぜ苦手なのか?
理由もなく苦手というわけではないのです。
理由はあります。
あれは一ヶ月前ぐらいのことだったかな、倉庫の軒下で入荷した商品の検品作業をしていた自分に、散歩の途中と思しき老人が「トイレば貸してくれんね」と声をかけてきました。
その老人の馴れ馴れしい態度にいい印象は持たなかったのですが、だからといって「いえ、貸しません」とも言えないですから、その老人を事務所のトイレまで案内しました。
それから作業に戻ったのですが、待てど暮らせど老人は戻って来ない。
ちょっと心配になってトイレに行ったら、何のことはない、老人は大の方で用を足していました。
しばらくしたら老人が戻ってきて、また「〇〇さんはおるね」みたいに馴れ馴れしく話しかけられました。
そのときなぜか、虫の知らせのようなものを覚えて、老人をその場に置いたまま、トイレへと行きました。
トイレのドアを開けて絶句しましたね。
便座が便で汚されていたからです。
便器じゃないんですよ、便器じゃ。
汚されていたのは便座、排せつ時に直接肌が触れるところですよ、そこが老人の便で汚されていたのです。
唖然としましたね。
思考が停止しました。
でも倉庫に戻るのに5分はかからなかったと思います。
倉庫に老人の姿はありませんでした。
代わりにあったのが生のう〇こ。
老人は置き土産を残していったのです。
トイレの便座掃除をしながら、そして倉庫のう〇この処理をしながら、自分は「あのジジィ、見つけたらマジで〇〇〇!」と思いましたよ(お好きな動詞を入れてください)。
不幸にしてというべきか、幸いにしてというべきか、その後その老人を見かけることもなく、というかそれ以前に老人の顔をよくは覚えていないので、老人を「〇〇〇」には至っていません。
老人の粗相ぐらい大目に見てやってもいいじゃないかと言われる人もいるかもしれませんが、もしかしたらそれが正論なのかもしれませんが、実際う〇この処理をしている最中、怒りは収まらなかったですけどね。
そういう自分って短気なんでしょうか。
世の中の老人がすべて件の老人と同じだと思っているわけではありません。
けれど一人でもそういう老人に出会ってしまうと、他の老人もそうなんじゃないかって思わずにはいられないのです。
次に老人が「トイレを貸して欲しい」と言ってきても、「はい、どうぞ」と言えそうにない自分は器が小さい人間なのでしょうか…。
炎上していますね、と言っていますが、実際彼のYouTubeを覗いたことはないですけれど(彼に限らず、普段YouTubeを見ることはほとんどないです)。
彼の発言を聞いて思ったのは、「コイツ、最低だな」ということでなく、「思ってはいても口にしない方がいいことをよく口にしたな」ということです。
メンタリストを自称するくせに差別発言をしたら自分が世間からどう見られるようになるのか、想像出来なかったのですかねぇ?
今日はDaiGoを見習って、というわけではないですが、言わない方がいいかもしれないことを言ってみようかと思います。
自分は老人が苦手です。
なぜ苦手なのか?
理由もなく苦手というわけではないのです。
理由はあります。
あれは一ヶ月前ぐらいのことだったかな、倉庫の軒下で入荷した商品の検品作業をしていた自分に、散歩の途中と思しき老人が「トイレば貸してくれんね」と声をかけてきました。
その老人の馴れ馴れしい態度にいい印象は持たなかったのですが、だからといって「いえ、貸しません」とも言えないですから、その老人を事務所のトイレまで案内しました。
それから作業に戻ったのですが、待てど暮らせど老人は戻って来ない。
ちょっと心配になってトイレに行ったら、何のことはない、老人は大の方で用を足していました。
しばらくしたら老人が戻ってきて、また「〇〇さんはおるね」みたいに馴れ馴れしく話しかけられました。
そのときなぜか、虫の知らせのようなものを覚えて、老人をその場に置いたまま、トイレへと行きました。
トイレのドアを開けて絶句しましたね。
便座が便で汚されていたからです。
便器じゃないんですよ、便器じゃ。
汚されていたのは便座、排せつ時に直接肌が触れるところですよ、そこが老人の便で汚されていたのです。
唖然としましたね。
思考が停止しました。
でも倉庫に戻るのに5分はかからなかったと思います。
倉庫に老人の姿はありませんでした。
代わりにあったのが生のう〇こ。
老人は置き土産を残していったのです。
トイレの便座掃除をしながら、そして倉庫のう〇この処理をしながら、自分は「あのジジィ、見つけたらマジで〇〇〇!」と思いましたよ(お好きな動詞を入れてください)。
不幸にしてというべきか、幸いにしてというべきか、その後その老人を見かけることもなく、というかそれ以前に老人の顔をよくは覚えていないので、老人を「〇〇〇」には至っていません。
老人の粗相ぐらい大目に見てやってもいいじゃないかと言われる人もいるかもしれませんが、もしかしたらそれが正論なのかもしれませんが、実際う〇この処理をしている最中、怒りは収まらなかったですけどね。
そういう自分って短気なんでしょうか。
世の中の老人がすべて件の老人と同じだと思っているわけではありません。
けれど一人でもそういう老人に出会ってしまうと、他の老人もそうなんじゃないかって思わずにはいられないのです。
次に老人が「トイレを貸して欲しい」と言ってきても、「はい、どうぞ」と言えそうにない自分は器が小さい人間なのでしょうか…。