この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

飲酒運転について思う。

2008-11-18 22:58:00 | 政治・経済・時事
 つい先日も大阪で痛ましい飲酒運転による引きずり死事件があった。
 つい先日も、と書いたけれどあまりにも同様の事件が頻発していて、具体的な日付を書かなければどの事件かわからないぐらいだ。
 感覚も麻痺してしまって、どれほど悲惨な事故であっても、せいぜい「あぁ、またか」ぐらいにしか思わなくなってる自分に気づく。

 基本的に飲酒運転は無くならないって思う。
 酒を飲むってことは酔っ払うってことであり、酔っ払うってことは理性を無くすってことだ。理性を無くした人間に「飲酒運転をしてはいけませんよ」と道理を説いたって無駄だからだ。

 だが同時に飲酒運転を無くすのは簡単でもある。
 単純に、すべての自動車にアルコールチェッカーをつけて、呼気からアルコールが検知されたらエンジンがかからないようにすればいいだけの話だ。簡単な話だ。

 その簡単な話が日本では実行に移される気配は一向にない。アメリカの一部の州やフランスなどでは違反者にアルコールチェッカーの設置を義務付けていて、特にスウェーデンでは2012年からすべての新車に設置が義務付けられるというのに。

 結局、要はどれぐらい飲酒運転根絶に本気なのかということなのだろう。
 つまり、飲酒運転根絶のためにすべての車にアルコールチェッカーの設置を義務化しました、そのための費用が一台につき○万円ほどかかりますが、各自負担してくださいね♪というお上からの御達しがあったとして、(事故を起こしたわけでもない)自分が何でそんなの負担しなくちゃいけないの?と顔をしかめたとすれば、その人は本気じゃないってことだ。過去に身近な人を飲酒運転による事故で亡くした人であれば喜んで負担するであろうから。
 そして日本はどれほど飲酒運転による悲惨な事故が多発しようが、残念ながらスウェーデンと違って本気じゃない人がいつまでも多数派を占めるのだろう。

 さて、これから年末にかけて忘年会のシーズンである。いいかえれば飲酒運転のシーズンであり、飲酒運転による悲惨な事故のシーズンである。
 せめて日付を言わずとも、あぁ、あの事故ね、とすぐに思い至る程度の事故数であってくれればと願わずにはいられない。
コメント (6)
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